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宝石の目と海の翅 ~ムシの国の物語~  作者: 福山陽士
第1章 古の魔道士編
22/103

22.蝶とカエル

 城の『胴体』部分の三階。来客用の部屋の前に来たフライアは、扉を二回軽くノックする。


「私です。フライアです」

「はい」


 中からのオデルの返事が聞こえた少し後、静かに扉は開かれた。


「オデル王子……」


 フライアは少し緊張した面持ちでオデルの名を呼ぶと、言葉を詰まらせる。


「……中へどうぞ」


 オデルはそのフライアの表情を見て何かを感じ取ったのか、丁重に部屋の中へ促した。

 オデルが利用している来客用の部屋は、フライアの部屋とほぼ同じ広さだ。一国の王子ということで、ノルベルトは彼にゆったりとした空間を用意していた。その広さも、ヴェリスがいなくなってしまった今は空虚さを演出する空間となってしまったが。

 中央に設置してある椅子へとフライアを案内したオデルの動きは、まるでここが自分の部屋であるかのように滑らかなものだった。そしてオデルもフライアの向かい側に腰掛ける。


「彼らの容態は?」


 沈痛な面持ちで先に口を開いたのは、オデルだった。


「はい。ラディムもフェンさんも大丈夫です。今は二人とも寝てしまったみたいですけれど」

「そう……か。良かった。本当に……」


 フライアの表情からまさか――と思っていたオデルは、その報告に心から安堵し、椅子の背もたれに力なく寄りかかった。しかしそこで「ただ……」とフライアが続ける。


「二人の傷を癒したイアラ先生が倒れてしまいました……。さすがにあれだけの傷を癒すのは初めてだったみたいで、体力を使い果たしてしまったようです。でも魔法による疲労は休めば元に戻りますから、明日には回復しているかと」

「なるほど。正直に言うとあの傷を見て、二人とももうダメだとばかり……。つくづく魔法の力とは凄いものだな」


 最後の方はオデルの独り言に近いものだったが、フライアは何も返すことができなかった。

 混蟲(メクス)たちが魔法を使える理由をヴェリスから聞き知ってしまった今、褒められ、感心されても、素直に喜ぶことができない。

 小さく俯いたフライアに気付いたオデルが、慌てて頭を下げた。


「失礼いたしました。配慮に欠ける発言でしたね……」

「い、いえ。そんな」

「では話題を変えるついでに、少し僕の昔話に付き合っていただけますか?」


 特に否定する理由もないフライアは、こくりと頷いた。オデルはフライアの返答を見届けると、改めて姿勢を正す。


「僕には二人の兄と、一人の姉がいます。僕は長年、兄たちと姉、そして母に虐げられて生きてきました」


 そこまで言うと、オデルは自嘲のような、それでいて嘆息のような息を吐く。


「一応血は繋がっているんですけれど、その『一応』が兄弟たちと母には気に食わなかったみたいでしてね。……僕だけ、母親が違うんですよ」


 そこで、僅かに下に逸れていたフライアの視線が跳ね上がった。


「僕の家庭は少し複雑でして。二番目の兄を産んでしばらくして、父と兄たちの母が離婚。その後に僕の母親と再婚して僕が産まれたのですが、母は病弱で僕を産むとすぐに他界してしまいました。そして間もなく父は、離婚した兄たちの母と再婚したのです。……しかしまぁ、こう改めて話すと、全く民衆の話の種に事欠かない王族ですよね。お恥ずかしい」

「そんな……。でも王子のお父上様のお気持ち、何となく理解できるような気もいたします。大切な人を失った心の穴を、すぐに埋めたかったのではないでしょうか……」


 母が他界してから、それまで以上に仕事に打ち込むようになったノルベルトの姿がフライアの脳裏にふと()ぎった。もっとも、ノルベルトは周囲の再婚の勧めにも全く耳を貸さなかったのだが。


「そうですね。僕もそうだと思いたいです」


 オデルは目を伏せ、脳裏に映る父親の姿と対峙した。

 (まつりごと)のこと以外、何を考えているのかわからないレクブリックの王。会話らしい会話もほとんどした覚えがないので、オデルは父親の胸の内など知る由もなかった。確かに母親のことは愛していたのかもしれないが、でも自分は?

 ――と、思わず深い思慮の迷宮に入りかけていたオデルだったが、フライアの存在を思い出し、大きな目を開けると彼女へと向き直った。


「ここまで聞いて既にお察しかと思います。この度はレクブリック王族の――いえ、僕の身勝手な行動であなた方にご迷惑をお掛けしたこと、深くお詫びいたします」

「王子……」

「本当は王に直接申し上げるべきことですが、王は今安静の身。フライア王女、重ね重ね申し訳ないのですが、王がお目覚めになった時にどうかお伝えください」

「わかりました。私が責任を持って父に伝えておきます。……それで、その、王子」


 おずおずと尋ねるフライアに、オデルは首を傾げる。


「はい、なんでしょう?」

「あの……。ヴェリスさんが言っていた、呪いを解除する方法なのですが……。私、たぶんわかりました」

「王女も気付かれたのですね」


 フライアは目を丸くする。オデルの返答はフライアにとってまったく予想外のものだったのだ。


「オデル王子。あなたも既に……」


 オデルは頷くと大きな黄色の瞳を閉じた。


「以前、別の本で読んだことがあるのを思い出したのです。本来『魔を断ち切る』という意味も込められていると。今ではすっかり、その意味は忘れ去られているようですが」


 そこでオデルは苦笑する。フライアもつられて少し口元を緩めた。


「そしてヴェリスが上げた単語。その単語の示す『意味』を考えると、間違いないでしょう」


 確信に満ちた表情でオデルは言う。しかし、呪いの解除方法にそこまで気付いていながら彼の表情は晴れない。

 フライアはしばらく視線を宙に彷徨わせていたが、やがて決心したように拳を握る。柔らかな桃色の唇が、そっと決意の言葉を紡いだ。


「あの、オデル王子。私で良かったら、ですけれど……。呪いの解除、お手伝いいたします」

「フライア王女!?」


 しかしフライアの申し出に、オデルは飛び上がらんばかりに驚いた。


「あ……。やっぱり私じゃ、だめ、ですか?」


 細い眉がいじらしくきゅっと内に寄り、澄んだ赤の瞳が微かに潤む。

 真正面からフライアのその顔を見てしまったオデルは、参ったなと頭の後ろを掻きながら、今この場所に彼女の護衛がいないことを心底感謝した。

 もし今のやり取りを彼が見ていたら、変な恨みを買っていたかもしれない。いや、間違いなく買っている。


「そういう訳ではないのですが」

「あ、良かったです。だったら、早速一つずつ『試して』みますね」

「い、いやいやいや! 王女、さすがにそれは!」


 軽く言い、呪いの解除の準備をするべく立ち上がるフライア。オデルは彼女の態度に狼狽し、椅子ごと後ろに下がりながら両手を勢い良く左右に振った。オデルの反応に、フライアは怪訝な顔をするばかりだった。


「王女。どうかお願いです。『一つ』だけにして頂けませんか」

「えっ?」


 不可解なオデルの返答に、フライアは再度その瞳を丸くした。


「どうしてですか? 元の姿に戻りたくはないのですか?」


 あくまでフライアは、親切心で訊いている。目の前の使命に燃え、事の重大性にいまいち気付いていない。彼女のその心がわかったからこそ、オデルは心の中で彼女の護衛に少し同情した。


(これはラディムも、苦労してそうだな……)


 オデルは微笑しながら小さく溜息を付くと、椅子から降りてフライアの片手を優しく取り、その場に(かしず)いた。蝶に忠誠を誓うようなカエルの姿は、傍目から見るとメルヘンな芝居をうっているように映るかもしれない。


「もちろん、元の姿には戻りたいですよ。元々そのためにこの国に来たわけですし。でも、今ここで呪いの解除をすると――。僕の心が、あなたに奪われてしまう可能性があります」


 甘い吐息のような、色気さえ感じる低い声でオデルは言うと、顔を上げて軽くウインクをした。

 瞬時にオデルの言葉を理解することができずにいたフライアは、しばらくぽけっと突っ立っていたのだが、やがてその意味を理解したのか、みるみるうちに顔が朱に染まっていった。終いには耳まで真っ赤になってしまい、彼女の様子を下から覗き込むように見ていたオデルは、ばつが悪そうに頬を指で掻いた。


「まさかそんな反応をされるとは。少々冗談が過ぎました」


 実のところ、完全に冗談というわけではなかったのだが――。しかし僅かに芽を出しかけた自分の気持ちを、オデルはすぐさま胸の奥深くに封印する。


「そ、そうですよね。冗談……ですよね」


 真っ赤に染まった頬を冷却するように手で押さえながら、フライアは蚊の鳴くような声で何とか答えた。


「でも、フライア王女。一つだけというのは冗談ではありません。これだけは譲れません」

「…………」


 瞳からオデルの強い意志を感じ取ったフライアだったが、その表情はまだどこか不服そうだ。オデルは苦笑しながら、吸盤の付いた指をぴんと口の前に立て、優しくフライアに語り掛ける。


「僕の体のことより、もっとご自分の気持ちを大事になさってください、王女」

「私の、気持ち……?」

「そうです。それに」

「それに?」

「あなたの父上や護衛に、目を付けられてしまう可能性があります。僕の未来が危険に晒されてしまうかもしれないのです」

「お、王子!?」


 冗談に大真面目に反応するフライアを見て、さすがに少し罪悪感を覚えたオデルは軽く咳払いをすると、椅子に座り直す。


「いや、失礼。あなたの反応が面白くて可愛らしいのでつい悪乗りを。それで話は戻りますが、王女は『どれ』が正解だと思いますか?」


 まだフライアの頬に赤みは残っていたが、オデルの口調が真面目なものに変わったのでフライアもごく自然にそれに合わせる。


「あの……正直に言うと、わかりません……。でも、『思慕』だけは違うと思います」


 フライアは少し困惑した表情で、オデルを見つめながら答えた。


「ははっ、確かに。『思慕』だけは無理(・・)だな。今の僕には髪がない」


 フライアの返答を聞いたオデルは、片手で頭を押さえながら小さく笑う。


「となると、残り五つ。友情、愛情、親愛、それに……尊敬、賞賛、だったか」


 オデルは腕を組みながら天を仰ぐ。ヴェリスが残したヒントは、その単語だけ。もしかしたら他にもヒントを匂わせる発言があったのかもしれないと、オデルは懸命にヴェリスとの会話を思い出す。だが思い当たる会話は、記憶の中から見つけることはできなかった。


「あの……」


 大きな目を半分閉じた状態で悩み続けるオデルに、おずおずとフライアが口を開く。


「王子は、どれが欲しいですか?」

「欲しい、とは?」

「はい。友情、愛情、親愛、尊敬、賞賛の中で、王子が一番欲しいものにしたらどうかなって思ったのです」


 オデルは口を半開きにして、フライアの台詞を頭の中で反芻した。

 自分の、欲しいもの。

 彼は考えたことがなかった。いや、違う。考えようとしなかっただけだ。

 オデルの心が欲しているもの。

 この国の人たちに、嘘をついてまで目を背け続けてきた本心。しかし素直に目を向ければ、それは単語達の中からいとも簡単に――そう、本当に簡単に見つかった。


「フライア王女……。申し訳ございません。僕は自分で思う以上に子供だったようです。お恥ずかしい限りですが」


 薄っすらと曇り掛かっていたオデルの心に、晴れ間が射した瞬間だった。


「もし僕が選んだものが間違っていても、後悔せずにすみそうです。もっともその場合は、国に帰ってから何とかする予定ですけどね」


 穏やかな表情で言うオデルを、フライアは黙したまま見つめる。


「もう、決めました。フライア王女、どうかよろしくお願いします。ただ、あくまでこれは『呪いの解除』だということを、強く念頭に置いてください。あなたの人生の中でこれは『ノーカウント』です」

「は、はい?」


 何が『ノーカウント』なのだろう? とフライアの顔にあまりにもわかりやすく書かれてあったので、オデルは笑いを堪えるのに努力を要した。


「できればこの後、『彼』に消毒してもらってくださいね」


 そこでようやく、フライアはオデルの言葉を本当の意味で理解したらしい。瞬時にその顔色はザクロの如く真っ赤に染まる。頬を押さえながら「あぅあぅ……」と意味のない言葉を繰り返す様子は、愛らしい小動物のようで微笑ましい。

 オデルは満面の笑みでフライアの様子を見つめた後、緑の瑪瑙(めのう)のような頭を深く深く下げた。

 よろしくお願いいたします、と遠慮がちに添えて。




 ――僕はただ、家族として。ただ普通に、愛してほしかっただけなんだ――。


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