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第七話 ケンカしても夫婦です

 空は青から赤へとその姿を美しく変えていた。もうすぐ日が沈む。

 アンゼリカは馬車に揺られながら、今日のことを思った。

 気まぐれに寄った森で、あんな出会いをするなどと誰が予想できただろう。

 ショコラはとても愛らしい人だった。彼女の弟が言うように趣味は悪そうだが、それさえ目を瞑れば理想の友といえた。

 はにかみながら話す彼女は、例え髪が木の形をしていても愛らしかったし、自分とは違う考え方を聞くのも楽しかった。


 そう、楽しかったものだから、こんな時間になってしまった。

 ブランが帰る前に家に着いていたかったが、微妙だ。勝手に森へ行った挙句、倒れて介抱してもらったうえに、他所様の御宅に、それも公爵の身内の方の御宅でお茶までごちそうになったと知ったら、どれほどに叱られるだろう。

 それに、ブランに買ってもらったお菓子を無くしてしまったのだ。

 絶対に食べろと言われていたのに、食べられなかったと白状すればどうなるだろう。

 アンゼリカの不安は尽きないのだった。




 馬車が自宅へと着いたのは、すっかり日が暮れた後だった。

 二階建ての新築で、庭もそれなりの広さがある。若い二人の住む家にしては豪華に映る事だろう。それもそのはず、この家は末っ子が可愛い二人の両親からのプレゼントであった。

 家には二人の使用人もいる。アンゼリカの家から一人、ブランの家からも一人が若い二人の世話をするために使わされていた。

 送ってくれたグラッセ家の執事に礼を言い、アンゼリカは馬車が離れていくのを見送ってから、家のドアを開けた。

 そして、閉めた。

「待って、心の準備が……」

 アンゼリカは左手を胸に当て、大きく深呼吸する。右手は取っ手を掴んでいたままなのだが、その右手が意思とは無関係に動いた。

 ドアが、内側から開かれたのだ。

「何をしている。アンゼ」

 ドアの隙間から顔を出したのは、黒髪の男。その身はまだ、黒い制服を身にまとっている。

「ごきげんよう、ブラン」

「なにが、ごきげんようだ。今まで、どこに行っていた?」

 言いながら、ブランはアンゼリカの手を取ると、家の中に引き入れる。

「えっと……森に行っていたの」

「やっぱりか」

 ブランはがっくりと肩を落としてうなだれる。

 ブランの背後に、ほっとしたような顔をした二人の使用人の姿が見えた。

「心配しましたわ。お嬢さ……奥さま」

 長年の癖でお嬢様と呼びそうになった女性の名は、ノエル。彼女はアンゼリカが小さな頃から世話をしてくれている。アンゼリカよりも六つ年上の二十四歳で、アンゼリカのせいで婚期が遅れたと文句を言うのが日課になりつつある。いつもきっちりと結われた、二つの三つ編みがほつれているのは、アンゼリカを探し回ってくれたからだろうか。

 もう一人は男性で、こちらはブランの乳兄弟でもあるブッシュと言う名の青年だ。馬の世話から庭の手入れ、家具の修復などなんでもござれの頼りになる男である。

「本当に先ほどまで、あちこち捜したんですよ。ブラン様も笑える程……もとい、滑稽なほど動揺しておられたんですから」

「どっちも失礼だ。ブッシュ」

 ブランはむっとしたような声で、ブッシュにつっこみを入れると、アンゼリカに向き直った。

「アンゼ」

 低い声で名を呼ばれ、アンゼリカはとっさに目をきつく瞑った。大声で叱り飛ばされると思ったからだが、続いたのは声ではなく行動だった。

 ブランはアンゼリカをきつく抱きしめると、大きく息を吐き出した。暖かな息がアンゼリカの首筋にかかる。

「本当に、無事でよかった」

 心底安堵したようなその響きに、アンゼリカの胸に申し訳なさがこみあげてくる。

「ごめんなさい。こんなに心配かけるなんて思わなかったの」

 許してほしいという気持ちを込めて、ブランの背に手を回す。するとブランがより一層強く抱きしめてきた。少し痛いくらいだ。

「あらあらあら」

「わーお。ノエル、お邪魔な僕らは退散しますか」

「ええ、そうね。そうしましょう。ほほほほ」

 何故か変な笑い声を残し、気を利かせているのかいないのか、いまいち分からない使用人たちがその場を去った。

 二人の観客が居なくなったことにはまったく気づかず、というよりは、すっかり二人の世界に入り込んでいたブランとアンゼリカは、一頻り抱擁したあと、名残惜しそうに身体を離した。

「あの、ブランに謝らなければならないことがあるの」

「ああ、何だ?」

 アンゼリカはブランを上目づかいで見やり、眉を内によせて申し訳なさそうな表情になる。

「森で、エーダを無くしてしまって、食べられなかったの。本当にごめんなさい」

「エーダを探して遅くなったのか? エーダなんてまた買って来ればいいんだ。無くしてしまったなら仕方がない」

 絶対に食べろと念を押すほどだったから、絶対に怒られると思ったのに。呆れたような口調で返されて、アンゼリカは気が抜けてしまった。

「本当にごめんなさい。でも、遅くなってしまったのには、別の理由があるの」

 アンゼリカは夫と二人、居間へと足を向けながら続けた。

「あの森で、私会ったのよ。ミス、グラッセに!」

「何だって! ミス、グラッセって、あの、ショコラ・グラッセか」

 ブランの表情が一気に険しくなったのにも気づかず、アンゼリカは続ける。

「そうよ、すごいでしょ。私彼女に会って、気絶してしまって、それを……」

「待て、気絶だって? 一体何をされたんだ」

 ブランは立ち止まると、アンゼリカの腕を痛いくらいに掴んだ。

「何もされていないわよ。ちょっと、痛いわ」

「何もされていないのに、気絶なんてするわけないだろう。それとも、どこか体調が悪いのか?」

 今度は慌てたように、アンゼリカの腕を掴んでいた手を離し、彼女の額に片手を当てた。

「熱はないな……」

「熱なんてないし、私は元気よ」

 アンゼリカは、無駄な心配をする夫の手を額から退けさせる。

「とにかく私、ショコラとお友達になったのよ。明日、お茶に招待されたの。行っていいでしょう」

「ダメだ」

 間髪入れずに、却下された。

 アンゼリカの赤色の眉が寄る。

「なぜ? 噂のことを気にしているの? ショコラはとても可愛らしい人よ。あんな噂なんて、半分以上でたらめよ。噂をそのまま鵜呑みにするなんて、ブランらしくないわ」

 ブランの顔を覗き見るも、彼の表情は険しいままだった。

「絶対にダメだ! 彼女は犯罪に関わっている可能性があるんだ。そんな相手の所に、お前をみすみすやれる訳が……」

 そこまで喋って、ブランははっと口を閉ざした。失言だったとでも思ったのか、顔をしかめる。普段の彼はどんなことがあろうとも、仕事に関わることを家で口に出すことはなかった。

 アンゼリカは、黙り込んだ夫を、目を細めて見つめた。

「ちょっと、犯罪に関わっているってどういうことよ。ショコラが罪を犯すわけがないでしょう。そもそも、どんな犯罪に関わっているっていうのよ」

 あんなに、おっとりとした純情な子が犯罪なんてできる訳がない。ブランは彼女を知らないからそんなことが言えるのだ。

「とにかく、明日は家から出るな」

「絶対に嫌よ、約束したんだもの。それに、相手は公爵家の人間よ、約束を反故になんてできると思うの?」

 そう言うと、ブランは苦り切った顔をした。

「なら勝手にしろ。後で泣いたってしらないからな」

「泣かないわよ。ショコラが犯罪に関わっているなんてあるわけないもの。私は明日、お友達の家に遊びに行くだけよ」

 二人はふんっと互いにそっぽを向いた。

 喧嘩の締めはほぼ、子どもの頃のままだった。


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