第四話 ショコラの秘密
アンゼリカは、お茶の席に招かれていた。
染み一つない白いテーブルクロスの上に、白磁のティーカップが置かれ、良い香りのするお茶が注がれた。もちろん、テーブルの上には色とりどりの菓子もある。
カップを手に取り、お茶を口に入れた瞬間、口内に甘い匂いが広がった。マリカ茶だ。甘い匂いが特徴で、マリカ地方でしか取れない貴重な茶葉である。かなりの高級品だ。一度父親が買ってきてくれたことがあるが、家族一人一杯分が限界だったと言っていた。
「本当に、ごめんなさい、ミス・マンジェ。わたくし、貴女を驚かせるつもりなどなかったの」
同じテーブルを囲んだショコラが、しおらしい表情で謝罪した。
アンゼリカは、ショコラの顔の真剣さと頭の奇抜さがおかしくてしかたがなく、返事をするのに時間を要した。
「いえ、でもあのマスクはもう被らない方が良いと思います」
ショコラは、しゅんと俯いた。
そのせいで、木が横倒しのようになる。
ふっと、アンゼリカの唇から息が漏れた。
危ない、笑い出すところだった。
「ミス・マンジェ。笑ってもいいですよ」
マーロンはアンゼリカが必至で笑いをこらえていることに気付いたようだ。
アンゼリカは、とりあえず話を逸らそうと口を開いた。
「あの、私、実は、結婚しているのです」
「それは失礼、ミセス・マンジェ」
マーロンが即座に訂正した。
ショコラは興味をかられたように、顔を上げ、アンゼリカと目を合わせた。顔を上げる動きに合わせて、勢いよく頭の木が置き上がった。当たり前だが。
思わず顔を逸らして、口元を押さえたアンゼリカの耳に、ショコラの嬉々とした声が届く。
「すてき、ご結婚はいつなさったの?」
「……今年の春です」
「まあ、ならつい最近だわ。新婚なのね。ますますステキだわ」
ショコラの羨望の眼差しがまんざらでもなく、アンゼリカの顔に笑みが浮かぶ。
「姉さんは、結婚できないんですよ。何しろ趣味が悪いので」
「まあ、失礼よ、マーロン」
弟に恨めし気な視線を送るショコラ。
マーロンはショコラの視線を平然と跳ね返した。
「本当のことでしょう。そもそも、顔合わせにあのマスクを被ること自体おかしいのです。そう思われますよね。ミセス・マンジェ」
「いえ、まあ、そうね」
嘘のつけないアンゼリカである。
マーロンは我が意を得たとばかりに、頷いて姉に視線を向けた。
「ほら、ミセス・マンジェも賛同しておられますよ、姉さん。姉さんの縁談がことごとく破談になったのは、貴女のお気に入りのマスクが原因なのです」
きっぱりと言い切られ、ショコラは悲し気に目を伏せた。ハンカチーフを服の隠しから取り出して、それを指でいじり始める。
「そうなのかしら。わたくし、あのマスクが一番のお気に入りなのに。あれほどに、愛らしく素敵なマスクはどこにもありませんわ」
「そもそも、誰も作ろうとはしませんからね」
弟の声が聞こえなかったのか、ショコラは悩まし気に眉を顰めた。
「でも、確かに会う方会う方、一様に顔を青くしておられたわ」
ショコラの呟きは独り言めいていたため、だれも返事はしなかった。
アンゼリカは、ショコラの縁談相手に同情した。
なんて、お気の毒なのかしら。気の強い私ですら、あっという間に気を失ったのに!
あのマスクと対面することになった殿方たちが不憫でならない。縁談を断りたくなるのも道理である。
「でも、マスクなしでは人前にでられません」
ショコラは叫ぶように言って、持っていたハンカチーフもろとも、手で顔を覆った。
マーロンに視線をやると、彼は肩をすくめてみせた。そして、呆れた口調で姉に向かって声をかける。
「今だって人前ですよ。姉さん」
「そもそも、どうしてマスクなんかを?」
アンゼリカが尋ねると、ショコラは顔を覆っていた手をゆっくりとおろした。
「わたくし、分かっていますの。この髪が、人様には嫌悪しか与えないことを。不快にさせると分かっていて、どうして人前にこの髪が晒せるでしょう」
辛そうな彼女には悪いが、アンゼリカには彼女の言わんとしていることがよく分からない。
ある意味滑稽ではあるが、それは木の形をしているからだ。
それも固めているという話だし、髪を下ろしてしまえば普通の髪と何ら変わらなくなるだろう。
「不快だなんて。どうしてそう思われるのですか?」
ショコラは悲し気に目を伏せ、手にしていたハンカチーフをまたいじり始めた。
「だって、小さい頃に言われたのです。わたくしの髪はまるで……」
途中で口を閉ざしてしまったショコラを促すように、声をかける。
「まるで?」
「ばっ」
「ば?」
「ふんのようだと……」
ふん?
要領を得ない顔をしていたのだろう。うつむいている彼女の横で、弟が、なんとも率直な発言をした。
「馬糞です。姉は幼いころ友人が陰で、姉の髪が腐った馬糞の色に似ていると言っているのを聞いてしまったらしいのです。近寄ったら、匂いがしそう。とか、汚らしいとか、触ったら病気になりそうとか。それはもう、散々だったらしいですよ」
自分の言葉が姉の心にグサグサと刺さっているのを知ってか知らずか、語り終えた彼は優雅にカップを持ち上げて、お茶を口にする。
「それは、ひどいわね」
だが、それくらいで、何年も自分の髪を隠し続けるとは。アンゼリカにはまねできそうもない。
「でも、そんな悪口、気にすることなんてないと思います。ミス・グラッセ。そんなの、子どものたわ言ですわ」
「気を使っていただかなくても良いのです。はっきりおっしゃって。わたくし、お友達や家族を不快にしてしまっているなどと知らず、それまで髪飾りをつけたりなどして、喜んでいたのです。本当に恥ずかしいですわ。周りの方々にはさぞや滑稽に映ったでしょうね」
悲し気な笑みが愛らしい顔に浮かんだのを見て、アンゼリカは胸が締め付けられるような感覚を味わった。
なんて、純粋な方なのかしら。
アンゼリカも、この赤い髪を血のようで気持ち悪いとからかわれたことがある。傷つきはしたものの、それほどに気にしなかったように思う。周りの人が慰めてくれたし、ブランもルビーのようで綺麗だよと言ってくれた。
彼女には、そのように言ってくれる人が周りにいなかったのだろうか。
アンゼがそのことを尋ねると、答えたのはマーロンだった。
「どうやら、兄がいけなかったようです。姉が、傷心を抱えて家に帰り、兄に聞いたらしいのです。わたくしの髪は馬糞に似ていますかと」
「それで?」
ショコラの兄と言えば、この国の宰相という地位を若くして勤めている公爵である。他にも爵位があったはずだが、アンゼリカは憶えていない。
「兄はうっかり、言われてみれば色が似ているな。と、言ってしまったそうです」
まさしく失言である。
妹になんてことを言うのだと、説教してやりたいぐらいだ。
「その後、失敗を悟った兄が何を言っても、家族の誰がそんなことはないと言っても、姉は聞く耳を持たず、部屋にひきこもってしまったそうです。挙句の果てには、髪を人に見せたくないからと言って、あんな気味の悪いマスクを作って被りだしてしまったのです」
後半は迷惑そうな表情を隠しもせず、弟が説明してくれた。
アンゼリカはすっかり、ショコラに同情してしまった。
純粋な彼女は、心無い人たちの言葉を真に受けて、自分の髪が汚らわしいものだと思い込まされてしまったのだ。
兄のうっかり発言がなければ、今とは違う未来が待っていたのではないかと思うと、さらにショコラが憐れでならなかった。
「ミス・グラッセ。私は貴女の髪を見て、一度も不快だと思ったことはないわ。最初、驚いたのだって、貴女の髪が精巧な木の形をしていたからだもの」
アンゼリカは、同情しすぎたあまり、敬語を使うのも忘れて言った。
「きっと、貴女が髪をおろしていても、私、不快だなんて思わないわ」
ショコラは弟と同じ緑色の大きな瞳をじっとアンゼリカに向けた。
「ほ、本当に?」
「ええ。ミス・グラッセ。私、嘘は言いません」
力強く断言すると、ショコラは嬉しそうに顔をほころばせた。
「ああ、ミセス・マンジェ。わたくし、嬉しすぎて涙が出そう」
ショコラは持っていたハンカチーフを目元に当てる。
「泣かないでください。ミス・グラッセ。それと、どうか私のことは、アンゼと呼んでください。親しい者は皆そう呼ぶのです」
「よろしいの? だったら、わたくしも。わたくしのことも、ショコラとお呼びになって」
「ショコラ」
「アンゼ」
互いに名を呼び合って、二人は感極まったように口を閉ざした。
一時静寂が辺りを支配する。
マーロンは二人の様子を子供らしからぬ冷めた目で見やって、そっと菓子に手を伸ばした。
「ねえ、アンゼ。わたくしたち。良いお友達になれるかしら」
「もちろんよ」
こうして、この日。アンゼリカは、王都へ来て初めて友をえたのであった。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
ぼけーとしていたら、危うく一日が過ぎてしまうところでした。
今日更新できてよかったよかった。
まだお話は続きます。不定期更新ではありますが、よろしければ最後までお付き合いいただければ幸いです。