第十三話 工房通りへ
早めの昼食を終えて、ブランはカイザーと共に工房通りへとやってきた。
プティング伍長の言う通り、広い通りの両端に、敷布を敷いて売り物を並べている人が多数いる。商品を前に座っている売り手はどれも若い。部下の言う通り若い職人なのだろう。
ブランはカイザーを伴って、馬車から降り、通りの店を見て回ることにした。
それにしてもいろんな物がある。木の椅子があったかと思ったら、その隣の店は食器を扱っていたり、そのまた隣は何だかよく分からない置物を取り扱っていたりと様々だ。
通りを進んでいると、敷布の上に座る店主たちがブラン達を見てどこか怯えている様を見せていることに気付いた。
黒服たちが取り締まりに来たのではと思っているのかもしれない。
この地区の路上で店を出すことは、法で規制されていない。そもそも、ここで店を出す人がいることを想定していないのかもしれないが。
「ブラン、ちょっと」
不意に声をかけられ、ブランは後ろを振り返った。数歩後ろで立ち止まっていたカイザーはこちらに視線を向けることなく、一つの店の前で立ち止まって手招きしている。
カイザーに店の前に立たれた男は気の毒なほど怯えた顔をしていた。
あちこちの店から、視線がこちらに向くのを気配で感じる。
この店の両隣の店に座る店主も、気の毒そうでありながらも少しの好奇心を含んだ視線を向けていた。
ブランがカイザーのもとに行くのと、青白い顔をした店主が口を開くのとはほぼ同時だった。
「く、黒服の旦那。な、なんか用ですかい?」
若干引き気味に、背をそらなしながら店主が問う。
カイザーはにっこりと笑っただけだった。
店主の顔からさらに血の気が引く。
「な、なんも悪いことなんてしてやしませんぜ。ちょ、ちょっと、値段吹っ掛け過ぎかもしれねぇが、どうせ値切られるんだからいいだろ」
男がまくしたてる。カイザーは最初の笑みを持続させたままだ。ブランは大きく息を吐いた。その音に、びくっとなったのは、店主だ。
「お、オレ、捕まっちまいます?」
情けなさそうに、眉尻を下げた男の声はもはや、泣き声に近かった。
ブランが息を吐いたのは、笑顔だけで、店主自ら話すように仕向けたカイザーに感心しつつも、怯えているとわかっているのに、言葉を発しない人の悪さに呆れたからだ。顔を青くする店主に同情しただけだったのに、溜息一つで怖がられてしまうブランもブランかもしれないが。
「捕まるようなことは何もしていないだろう。それよりこの装飾品、あんたが作ったのか?」
ブランの問いに、心底ほっとしたように男は頷いた。
男の前に並べられているのは、ペンダントや、指輪、ブローチなどの装飾品だ。他にも、どれも可愛らしいデザインのものが多い。いくつか小さな宝石箱も置いてあった。
「へえ。そうでさ。なかなか綺麗にできていますでしょ。旦那も奥様にお一ついかかです?」
言われてブランは妻のアンゼリカを思い浮かべた。昨夜もアンゼリカと喧嘩をしてしまったのだ。喧嘩の理由はどんなことだったのか憶えていない。憶えていないということはいつもの如くくだらない理由だったのだろう。
朝出かけるとき、珍しく起きてきた妻にふいっと顔を背けられたことまで思い出し、ブランは暗い気分になった。
「それより、先に聞きたいことがあるんだけど」
ブランの横で、カイザーがようやく口を開く。
「へえ、なんでしょ」
不思議そうな顔になる店主に、カイザーは持ってきていたペンダントを見せた。
「これに見覚えないかな」
「見せてもらっても?」
店主が手を差し出して来たので、カイザーはペンダントを渡す。
好奇心に負けたのか、両隣の店主も近寄ってきて、ためつ眇めつ観察している男の横からペンダントに視線を送る。
「こりゃ、あれだ。チュロスの作ってたやつに似てる」
装飾品を売っている男が言えば、その横で額縁を売っていた丸顔の男が声を上げる。
「ええ? チュロスのペンダントはもっとこう、綺麗だろう」
「確かにそうだが、こんなの売ってた気がするな」
装飾品の店主を挟んだ向こう側から、無精髭をはやした男がうんうんと頷いている。彼は靴を売っているので、靴の職人なのだろう。
「ああ、真ん中に緑のガラス玉はめ込んでるシンプルなやつだが、この金の台座にガラス玉を装飾するようにレースみたいな縁がついてるだろ。ここ、よーくみると、右に蝶、左にウサギがかくれているんだ」
「見せてくれ」
ブランは手渡されたペンダントを上にかざしてみた。いわれてみれば、なんとなく、そんな風にみえないこともない。右と左が非対称だと思っていたが、ウサギと蝶だといわれれば、そう見えてくる。まあ、不格好なウサギと蝶だが。
「でも、奴のてはもっと普段は繊細でさ。これは、奴のをまねて誰かがつくったもんかもしれねぇな」
店主がそう結論付けた。
「そのチュロスというのは、どこにいる?」
ブランが問うと、三人の若い職人は顔を見合わせた。
「そういや、最近見ねぇな」
「親方のもと飛び出したって聞いたが」
「いや、博打で大損して、借金大量にこさえたことがばれて、親方に追い出されたってきいたぞ」
「本当かよ。あいつ結婚したばっかりだったろ」
「嫁さんも可哀想だよなぁ」
話しがチュロスの新妻の話に移ってしまった。カイザーは彼らの会話に割って入り、チュロスと言う人物が住んでいた場所や務めていた工房の名などを聞き出しにかかった。
会話は全てカイザーに任せ、ブランはそこに置かれた指輪やブローチ、小さな宝石箱を眺めていた。それはどれも、見栄えのするもので、今話している男の器用さがうかがえた。
たくさん並べられている品物の中でも、ひと際目を引いたのが、赤い宝石箱だ。妻の髪色を彷彿とさせる。縁は真鍮の装飾が綺麗に施されている。
手に取ってみると、思ったよりも軽かった。
「お、旦那。目が高いね。そりゃ、今まで作った中でも、一番時間のかかった業物だぜ」
商品を手にしたブランに目ざとく気づいた店主が笑顔を向けてくる。どうやら、黒服に対する恐れは残っていないらしい。
ブランは男の良い値でその宝石箱を購入することにした。
「君がそういうものを買うとは思わなかったよ」
チュロスが務めていたという工房へ向かう途中、カイザーにそう話しかけられ、ブランは眉を上げた。
「なぜ?」
「君は釣った魚には餌をやらないと思ってた」
カイザーの言に、ブランは不本意そうな顔を隠さなかった。
「失礼な。人の妻を魚扱いするな」
憤慨するような口調に、カイザーはそっちなんだと呆れてみせたあと、すぐさま謝罪する。そして、目にかかりそうな前髪をかきあげた。日の光が髪に反射して、金髪が輝いて見えた。何をしても絵になる男である。
「これで、アンゼリカの機嫌も治ってくれるといいんだが」
機嫌を直してもらう物としては、安すぎただろうか。だが、この装飾は見事だし、案外可愛い物が好きなアンゼリカの趣味に合うだろうとは思うのだ。
「ああ、なるほど。また喧嘩したのか」
ぼそっと呟いたカイザーの言葉はブランの耳には入らなかった。ブランの耳に届いたのは次の言葉だった。
「きっと喜んでくれるさ。こういう綺麗な物が嫌いな女性はいないよ」
カイザーの言葉に、自信を得て、今更ながらに職務中だったことを思い出し、ブランは大きく頭を振って意識を切り替えたのだった。




