第十二話 書類仕事とペンダント
マカロン伯爵邸に行った翌日の朝。
ブランとカイザーは、日常業務、つまり書類仕事に忙殺された。数日分溜まっていたのだ。これさえ、やり終えてしまえば、午後は自由に行動できる。特別任務に就いているとはいえ、日常業務をおろそかにすると、部下の仕事が滞る。それを避けるのもブランの務めだ。
「ブランって、真面目だよね」
声をかけられ、机に向けていた顔をあげれば、カイザーの爽やかな笑顔が目に入ってきた。
彼の手には、書類が握られている。副小隊長のカイザーがサインした書類を、小隊長であるブランが最終チェックし、サインをしているのだ。
忌々し気に、彼の手から書類をとると、また書類に視線を落とした。
「あれ? これって」
すぐに自分の席に戻るかと思っていたカイザーの声が、先ほどと同じ方向から聞こえ、再度顔を上げる。
彼の紫色の目がとらえているのは、どうやら机の上に置いていたペンダントだ。
「マカロン夫人のペンダントだ。午後はこれを作った工房がどこか探るつもりだ」
「なるほど。夫人に返し忘れていたんだね」
あっさりばれてしまった。普段からきっちりしているように見えて、ブランはたまにこういううっかりをする。
またかとでも思っているのだろうと、ブランはカイザーを軽く睨んだ。
「あとで、きちんとお預かりしたい旨を先方に伝えて、了承を得ている」
「ならいいけれど。どうした?」
不意に、カイザーが後ろを振り返って、誰かに声をかけた。ブランからは、カイザーが立っているせいで死角になっているようだ。
「いえ、あの。もうそろそろ書類が出来上がる頃かと思いまして」
声を聞いて、ブランの頭にはちみつ色の髪をした若い隊員の姿が思い浮かぶ。
「プティング伍長。こっちにある書類は全部目を通している。持って行ってくれ」
ブランから見て、机の左側に積み上げた書類を叩いて知らせた。
威勢よく返事を返したプティング伍長は、カイザーの傍らまで来ると、書類の束を持ち上げ、急に動きを止めた。
彼の視線もまた、机の上に置いてあるペンダントに向かっている。
「どうした? これがどうかしたか」
ブランの問いに、彼はバツが悪そうな表情になる。すぐに、思ったことが顔にでるのが、プティングの悪い癖だ。
「いえ、恋人に贈ったものに似ておりまして、何でこんな所にと」
「へえ。君恋人いるの。どんな娘?」
すかさず、カイザーが尋ねる。好奇心いっぱいの顔をしていても、カッコいいのだから男前は得だ。
「いや、それが、私には勿体ないくらいのいい娘でって、ダメですよ。シュマーレン中尉。絶対に中尉には会わせませんから」
「まだ何も言っていないのに」
憂い顔のカイザーは誰が見てもやはり美男子で、プティングはブルンブルンと首を横に振った。
「中尉の噂はこの耳でしかと、しかと、聞いております」
「さすがに部下の彼女まで取ったりしないよ?」
麗しい笑顔なのだが、なぜか、うさん臭さが漂っている。
伍長の顔が青くなる。
「ダメですったらダメです。うっかり彼女の気が移るかもしれないじゃないですか」
弱気な発言をしたプティングは、そのすぐあとに、ヒッと息を飲んだ。先ほどまでにこやかだったカイザーの雰囲気が、一気に変わったからである。
「プティング伍長」
冷ややかな声で、カイザーが彼の名を呼ぶ。
「は、はい」
「自分の好きになった女性を信じられないのはどうかと思うよ」
「も、申し訳ありません。軽率な発言でした」
「そうだね」
申し訳ありません。と、もう一度謝って、書類を手にそそくさと出て行こうとするのを、ブランは呼び止める。
「ちょっと待て、プティング伍長」
「はいー」
先ほどとは打って変わって弱弱しい返事をして振り返った彼の顔は、もう勘弁してくださいと物語っていた。
情けなく眉を八の字に下げている彼を手招きすると、恐る恐る先ほどの場所に戻ってくる。
「このペンダントだが、これに似ているというのはどこで買ったんだ?」
机の上に置いていたペンダントを取り上げて、手のひらに乗せてプティングがよく見えるようにしてやる。
「え、ペンダント? ああ、ペンダント」
話題が変わったことに、一瞬頭が付いていかなかったようである。
プティングはそばかすの浮いている鼻の頭を人差し指でかきながら記憶を探り、それほど間をおかずに答えを返す。
「あ、あそこです。工房通りです」
王都の中でも東の端の方に工房街と呼ばれる一画がある。貴金属や、家具、服、その他諸々の工房や、その工房で働いている職人の家が連なる一画だ。その中に、工房通りと呼ばれる通りがある。そこで働く職人でもない限り、滅多に足を運ぶことはないが。
「工房通りで、最近若い職人が自分たちで作った品物を持ち寄って、市を開いてるいるんです。そこで買いました」
「へえ、知らなかったな」
カイザーは、いつもの穏やかさを取り戻していた。少しの怯えを残しつつも、ほっとした様子で、プティングは語を紡ぐ。
「最近、若者の間で流行っているんですよ。結構安価で買えるし、そこそこ上手い作り手とかもいて、見栄えするし、俺たち薄給兵には大変助かるんですよね。たまに、はずれもありますけど」
一つ頷いて、ブランはプティングにペンダントを持たせて、よく見るように促す。
「さっき似ているといったが、作り手は同じ人間だと思うか」
プティングは軽く首を傾げつつ、熱心にペンダントを観察する。
「そうですね。どうかなー。俺が、じゃなかった。私が買った物にデザインはそっくりですが、でも造りが随分雑というか。私が買った方がもっと高級感がありました。これじゃ、子どものおもちゃですよ」
「でも、パッと見はすぐに判別できないくらい、デザインは似ていると」
カイザーの問いに、プティングは頷く。
「イミテーションですかね。でも、若い作家の作品のイミテーションなんて誰が作るんだろ」
確かに、プティングの疑問はもっともだ。
ブランは、カイザーと顔を見合わせ、肩をすくめ合うと、プティングに礼を言って職務に戻るよう促した。
部屋を出て行くプティングの背を見送りながら、カイザーが小声で問う。
「どう思う?」
ブランはプティングの手から再び戻ってきたペンダントを見つめながら、こちらも小声で返す。
「そうだな。とりあえず、午後の行き先は決まった」
「工房通りだね。分かった。馬車の用意してくるよ。君は、もうひと頑張りだね」
ポンとブランの肩をたたきつつ、カイザーが目線で示したのは、未処理の書類の山だ。
「頑張るよ」と、答えたブランの声が、随分げんなりして聞こえたのは、言うまでもない。