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第九話 マカロン伯爵夫人

 王都には大通りと呼ばれる大きな通りが三つある。一つは王城から北へと向かう北の大通り。昨日アンゼリカと歩いた、王城からプレッツェル広場へ続く通称菓子通り。そして、ここ、南の大通りである。この辺りは貴族の邸宅が集中して建ち並ぶ閑静な場所だ。

 南の大通りの途中で、馬車が静かに停車していた。

 一つの屋敷から、二人の男性が姿を現した。ともに黒い制服を身にまとい、腰にサーベルを帯びていた。彼らは、とまっている馬車へと足早に乗り込んだ。

「雨になりそうだな」

 一人がぽつりとつぶやいた。

 外は春の陽気に不似合いな肌寒さを感じさせた。

 空はどんよりと曇り、周りの景色を灰色に染めていた。天気が崩れてきたせいだろうか。通りに、人の姿はない。

 ブランとカイザーはショコラ・グラッセ詐欺事件を調べるため、マカロン伯爵の屋敷を尋ねてきたところだった。

「レディ・マカロンの言ったこと、どう思う」

 カイザーは優し気な顔を顰め、隣に座るブランに声をかけた。

 ブランは外に視線を向けたまま、先ほどのチェリー・マカロンとの会話を思い浮かべた。




 マカロン伯爵の屋敷の中は、外観とは違い随分と質素だ。

 そう思ったのが顔に出たのか、面やつれしたマカロン伯爵夫人は、二人をソファーに座るように促した後、自身も対面に座りながら、こう口火を切った。

「何もない部屋でしょう。必要最低限の物だけ残して、主人が売ってしまったのよ」

「そうですか……」

 何と言っていいか分からず、言葉を濁したブランの横で、カイザーはマカロン夫人の手を取った。

「どんなに美しく高価な家具があっても、部屋に貴女がいれば霞んでしまうでしょう。貴女が居るだけで、この部屋は十分に華やぎますよ」

 そう言って、彼女の手の甲に口づける。

 夫人の青白かった頬に赤みが差した。

 カイザーがにこやかに笑みを浮かべながら、一向に夫人の手を離そうとしないので、ブランは肘でカイザーの脇腹を軽くつついた。

「失礼、レディ・マカロン。なんだか、離しがたくて」

 ゆっくりと夫人の手を離して、鮮やかな笑みを浮かべるカイザーに、夫人はより一層頬を赤らめた。

「いいえ、ありがとうございます。将校様に来ていただけてとても心強いですわ」

 そう言って、少しだけ微笑むと、マカロン夫人はすっと目を伏せた。

「どうか、どうか捕まえてください。ショコラ・グラッセを」

 膝上のスカートを掴むように手で握りしめ、彼女は泣きそうに顔を歪めた。

「詐欺にあったとお聞きしましたが」

 ブランが話を向けた。彼女は頷いて、服の隠しから金の鎖のついたペンダントを取り出した。

「これを買えば、夫は必ず家に戻ると、ショコラ・グラッセは言ったのです」

「拝見できますか」

 そう言って、ブランは夫人からペンダントを受け取った。やけに軽い。作りも雑で、装飾品のよしあしなど、パッと見では分からないブランでも、かなりの安物に見えた。

「これを幾らで購入されたのですか」

「その時は、持ち合わせがなくて……指輪を渡しました。金貨五枚の値はつくかと」

「金貨五枚がこれですか」

 かなりぼったくられたなという印象しか抱けなかった。

 そんなブランの横で、カイザーが夫人に問いかける。

「レディ。どういった経緯でこれを購入されることになったのですか」

「とあるパーティーで声をかけられましたの。貴女は悩んでおられる。ならば、オランジェット公爵の妹、ショコラ嬢に占ってもらってはどうかと」

「占う? ショコラ嬢は占い師なのか?」

 ブランが隣を見ると、カイザーが頷いた。思った通り、知っていたらしい。女性のこととなると、どうしてこうも詳しいのだろう。寝ずの勉強でもしているのではないかという疑いすら覚える。

「占い師と名乗っているかどうかは知らないが、オランジェット公爵家は、占いでのし上がったと言われているんだ。独自の占い方法があるとかで、物凄く当たるらしい。彼女がその占い方法を知っていても不思議ではないと思うよ」

 夫人を見ると、夫人も頷いた。

「私もそう思いました。私に声をかけてくださった方も、一度占ってもらって、悩みを解決できたからと進めてくださって、会えるように取り計らってくださったのです」

「その方の名は?」

「言えません」

「それは、相手に迷惑がかかるからと気にしておられるからですか」

 ブランが淡々と尋ねると、夫人は首を横にふった。

「いいえ、知らないのです。夫が居なくなって、ずっと家にこもっていたのですが、友人がそれではいけないとパーティーに誘ってくれて。でも、結局楽しめず、壁の花になっていたんです。そんな私に声をかけてくれた人でした」

「男性ですか? 女性ですか?」

「女性でした。随分と気さくな方で、すっかり打ち解けたのです。向こうは私のことを知ってらしたのに、私はどうしても彼女が誰だか思い出せなくて」

「知り合いだと向こうは言っていたということですか」

 ブランの問いに、夫人は頷いた。

「ええ、そんな感じでした。とにかく、彼女に指定された通り、私は指定された場所に行きました。そこには、私と同じくお茶会に招待された人が数人いました。」

「お茶会?」

「ええ、占いの会ということではなく、お茶会の席で、それぞれ占いをしてもらうという話でした」

「その数人いたという方の中にお知り合いは」

「一人、おりました。ムース伯爵です」

「彼も、何かしら占ってもらったということですね」

「ええ」

 ブランはなるほどと頷いて、夫人に先を促した。夫人は少し考えるようにしてから、口を開いた。

「私達は、目隠しが施された馬車へ乗り込みました」

「馬車には目隠しがされていたのですか」

「ええ。ショコラ嬢はどこに住んでいるのかを知られたくないということでした。でも、森の中というのは間違いありませんわ。馬車を下りた時、周りは木々に囲まれていましたから。ですから、皆が噂するショコラの森のどこかだと思いますわ」

 一度言葉を切った夫人に、ブランは続きを促した。夫人が話を再開する。

「私達は、地下の部屋へ案内されました。そこに、ショコラ嬢は現れたのです。とても、恐ろしい姿でしたわ。顔が噂通りの魔物のようで。緑色の肌をしていました。暗くて、よくは見えませんでしたが」

 夫人は視線を上げた。

「そこで、私は夫のことについて占ってもらいました。夫がいつ戻ってくるのかを」

「その時に、ご主人は戻ってくると言われたのですね」

 カイザーが問うと、夫人は首を横に振った。肯定が返ってくるだろうと思っていた二人には、いささか意外な返答だった。

「いいえ。このままでは夫は戻らないと言われました。どうしても夫に会いたいのなら、力を貸すと。そのペンダントには彼女の力が宿っていて、これを持って強く願うと必ず夫は戻ってくると言われたのです」

 夫人の声が震えを帯びた。

 夫人の瞳に暗い影が下りたように見えた。

「私は、夫には生きて帰ってきてほしいとそう思っていました。死体になって帰ってきてほしいなんて願ってないわ」

 叫ぶように言って、夫人は泣き崩れた。カイザーは彼女に白いハンカチーフを差し出すが、夫人は気づかない。

「私は、ただ、元気な姿で帰ってきてくれれば、何もいらなかったのに……」

 悲痛な叫びが、彼女の口からこぼれる。

 夫人の鳴き叫ぶ声が部屋の外へも届いたのだろう。この家の執事がやってきて、お引き取り下さいと言われてしまった。もう少し詳しく話を聞きたかったが仕方がない。

 ブランはカイザーを促し、マカロン伯爵邸を後にした。




 ゆっくりと馬車が動きだした。

 ブランは重い気分を吹き払うように、頭を振った。

「とにかく、一度ムース伯爵に話を聞きにいってみないとな。あと、マカロン伯爵が見つかった時の状況と死因をもう少し詳しく調べてみる必要がありそうだ」

「そうだね。あとは、他に同じようにショコラ嬢のお茶会に招待された人がいるかどうか。この分だと、まだ他に彼女の力が宿ったというペンダントを購入した人がいるはずだ。ショコラ嬢にも会ってみたいけど、それはもう少し後の方がよさそうだね」

 どことなく残念そうに、カイザーは最後の台詞を呟いた。

「スフレ少佐がショコラ嬢との面会を申請したが、却下されたと言っていたな」

「ああ、それはね。そこは、さすがに向こうが面会を断れないようなモノを用意しておかないと」

 カイザーの言葉に、ブランは頷く。

「確かに。行って、貴女は詐欺を働いていますかと聞いたところで否定されるのが落ちだ」

 下手をすると、名誉を傷つけられたと大事に発展するかもしれない。貴族相手は、慎重にことを運ぶ必要がある。

「まあ、でも。噂のショコラ嬢に会えると思えば、頑張れるかな」

 カイザーの言葉に、ブランは頬が引きつるのを感じた。

「おまえ、まさか。ショコラ嬢まで口説こうって気なんじゃ。相手は魔物の顔だっていうぞ、緑色の肌だって言っていただろう」

 カイザーは顔をしかめた。責めるような視線をブランに向ける。

「嫌だな。君は、女性を見た目だけで判断するの? どんな女性かは、話してみないと分からないよ。それに、謎の多い女性って魅力的だよね」

 同意を求めないでほしい。

 結局の所、彼は女性ならなんでもいいのだ。

 女性が思わず感嘆の溜息を吐きそうな笑顔のカイザーに、ブランは肩をすくめてみせたのだった。


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