最終話 「涼」
心に鍵をかけた。
そう、あの日からもう3日が過ぎた。まるであの日の出来事が嘘だったかのように、私はいつも通りの平穏な日々を過ごしていた。
「……れい…こ……」
「れ…こ、れい…」
「麗子!」
「煩い。聞こえているわよ」
哲平はそう言った私を、呆れたように見つめた。
「いつになく機嫌悪いな」
私は何も言わずに帰る支度を始める。
「原因はアイツが来ないから?」
私は忙しなく動かしていた手を止めた。哲平はそれを見るとここぞとばかりに言い寄ってくる。
「図星か」
「違うわよ。むしろ、逆。清々してる」
「お前なぁ……」
哲平の呆れた声が、私の心をひどく荒らしていた。
哲平の言うアイツは、あの日以来、ぴたりと私に付きまとうことはなくなった。私はやっと騒がしい毎日から開放されたのだ。
「帰る」
私は哲平から逃げるように教室を出た。
階段を駆け下り、ちょうど2年生の教室がある階まで来た私は、思わぬ光景を目にした。
「涼ちょっと待って〜」
聞き覚えのある名前に私は思わず立ち止まる。廊下の向こう側から体操着姿の綾瀬と女の子数人が歩いてきた。体育の授業の後だろうか。
「ねぇ、涼これから映画見に行かない?」
「今から?めんどくせーから嫌」
3日ぶりの綾瀬はいつものように普通の高校生とは違った妖艶な魅力をかもし出していた。
「じゃあカラオケは?」
そう言った丸顔の可愛らしい女の子は、綾瀬の腕に抱きつく。
「体育終わったばっかりで汗臭いからくっ付くなって」
「涼は臭くないもん」
「なんだそれ」
綾瀬は笑うと、女の子の頭をくしゃくしゃと撫でた。その瞬間、私は今まで感じたことの無い苛立ちを覚えた。
綾瀬はそしてゆっくりとこちらを見る。彼は私に気付いているようだ。
私とすれ違っても、綾瀬は振り返りもしなかった。
好きとは言っても、綾瀬の私を思う気持ちはその程度だった。そう言うことでしょ?別に何の問題もない。
私は恋愛なんてしないのだから、綾瀬が付き纏う事がなくなれば、これほど良いことはないじゃない。
気がつくと私は走り出していた。
辿り着いたのは図書室。私は綾瀬に腹が立っていた。突然目の前に現れて、台風みたいにめちゃくちゃにして行った。そして、当たり前のように私の前から消えて行く。
馬鹿みたい。私は崩れ落ちるように床に座りこんだ。
「何してんの?麗子先輩」
見上げた先にいたのは、私の心をかき乱す張本人だった。綾瀬は諭すような顔つきでこちらを見ている。
「別に……いつもの息抜きよ。本を読みに来ただけ」
私は早くなる鼓動を抑え、やっとのことで口を開いた。
「ふーん。床に座って読むの?」
「違っ……。そんなことどうでもいいでしょ。それよりカラオケは?あの可愛い女の子と行くんでしょ?」
こんなことを聞いて何になるのか。これじゃあまるで……。私が綾瀬に……。
「先輩もしかして、焼きもち?」
綾瀬に嫉妬しているみたいじゃないか。
「そんなわけないでしょ!」
私の顔は今、まるで茹でたタコみたいに真っ赤になっているだろう。綾瀬はそんな私を見て、全てを見透かすような独特の笑顔を浮かべた。
「押してダメなら引いてみろってね。意外と効果あったかな。でも俺にはやっぱり合わないみたい」
突然、綾瀬の手が私の腕を掴む。
「は、離して」
「何を怖がってんの?」
「怖がってなんか無っ……」
いつもの綾瀬ではなかった。
綾瀬は私の手を力一杯に引き寄せた後、床に押し倒した。ふいをつかれた私は、綾瀬の思うがままに床に叩きつけられた。
両腕に綾瀬の力が加わる。
「痛っ…」
「椎名麗子は俺を好きだ、認めなよ」
微かに薄荷の香りのする綾瀬の息が顔にかかる程の近さだ。綾瀬は瞬きもせずに、私を見据えた。
私は負けを認めざるを得ない状況に陥っていた。完敗だ。
今まで、私が何かから逃げてきたとすれば、答えは簡単なことだ。この男から逃げていたのだ。
恋愛なんてただの妄想、下らないゲーム、そう思っていたのも、全て言い訳。自分が傷つくのが怖かっただけ。
「そうよ。
我侭で、性格悪くて、自己中心的で何で好きか分からないけど……
私は綾瀬涼が好き。悪い?」
「ぷっ……はははは」
綾瀬は最上級の笑顔を見せた。
あぁ私はこの男が好きだ。理由なんて分からない。込み上げてくる愛しさはコントロールなんてできない。
こんなこと言ったら、ますます綾瀬が調子に乗るだけだろう。
「先輩らしいな」
でも、その端正な顔立ちから放たれる我侭も、今は許してあげてもいいわ。
「涼」
私は綾瀬を呼んだ。一瞬、綾瀬は驚いた顔で私を見て、すぐに不敵に微笑んだ。コントロールできない感情に振り回されるのも悪くない。
綾瀬はゆっくりと近づいてくる。綾瀬との距離がゼロになる瞬間、私は静かに目を閉じた。
ユニコーンです。まだまだ自己満足だけの文章ですが、呼んでくださった皆様、本当にありがとうございました。ご意見、ご感想、お待ち致しております。