第6話 「行かないで」
綾瀬のマンションは本当に学校から近かった。そのお陰ですぐに見つけられた。
白い壁の立派な外観、普通のマンションだが、日を遮るものが何もなく日当たりは抜群だろう。
私は怒りと不安を織り交ぜながら、綾瀬の部屋のインターホンを鳴らす。しかしなかなか綾瀬は出てこなかった。もう一度押そうとボタンに手をつけた所で、やっと扉が開いた。
「やっ」
扉が開いたと思った瞬間、綾瀬が覆いかぶさってきた。
「ちょっと何なのよ。離れて!」
私は綾瀬を退かそうと、力一杯押し上げたが、綾瀬の全体重が掛かっており、上手く引き離せない。私の怒りはピークに達し、綾瀬の顔をじろりと睨み付ける。
なんだか綾瀬の様子がおかしい。
頬はピンク色に染まり、目はやっとのことで開いている状態だ。肩を大きく揺らしとても苦しそうに息をしている。
そっと綾瀬のおでこに手を当ててみる。
「何よこの熱……」
よく見ると、綾瀬の着ているTシャツが汗でずぶ濡れになっている。
「麗子先輩来てくれたんだ」
綾瀬はそう言うと力無く笑った。
それから私はやっとのことで綾瀬をベットまで運んだ。
汗で濡れた服を着ていればまた熱も上がるだろう。私はタンスから適当に着替えを取り出した。
「Tシャツ脱いで、これに着替えて」
「無理。だるくて……身体が動かない」
綾瀬はぐったりと猫のように丸まっている。
四の五の言っている時間はない。私は綾瀬に万歳をするように言うと、Tシャツを脱がした。
無駄のない程よい筋肉の付いた綾瀬の身体が空気に晒される。私は綾瀬の身体をタオルで拭き、長袖のシャツに着替えさせた。
それにしても何て寒い部屋だろう。コートを着ている私でさえ寒いのだ。あたりを見渡すが、暖房器具は到底見当たらない。それどころか部屋に物が全く無かった。置いてあるのはテレビとベット、そしてタンスだけ。
親と一緒に住んでいる気配は少しも無かった。綾瀬はこんな寒い部屋に一人で生活していたのだ。
「何か食べたの?薬は?」
私はぐったりとうな垂れる綾瀬に、畳み掛けるように問いかける。
「何も食べる気がしない。薬は無い」
「何で買っておかないのよ! ちょっと待ってて、買ってくるから」
立とうとした瞬間、綾瀬の手がコートの裾を握る。
「離して。薬を飲まないと治らないじゃない。買ってく……」
「行かないで」
綾瀬の言葉とは裏腹に、綾瀬の表情はまるで全てを見透かすような大人びた表情だった。滲む汗が色気を醸し出していて、きっと全ての女たちはこの男に夢中になるんじゃないかと思わせる。
私はなぜか動けなかった。目の前で苦しんでいる綾瀬を置いて行けない。そんな風に感じたのだ。
「分かったわ。どこにも行かないから」
綾瀬は安心したかのように、また目を閉じた。
とにかく何か食べないと……。それに、やはり、薬も飲まなきゃ熱は下がらないだろう……。
私はある事を思い出して、鞄の中を探る。
「あった」
鞄の中から頭痛薬を取り出す。私は小さい頃から頭痛に悩まされることが多かった。今そのことが役に立つとは、思いもしなかったが。
裏書の説明を読む。大丈夫、急な熱にも効くと書いてる。
私は思い立ったように、冷蔵庫を開けた。案の定何も入っていない。あるのは卵だけ。
お米はあるらしい。私はあるだけの材料を使い、卵粥を作った。病人には、やはり薄味だろう。そんなことを考えながらお粥を作る自分が何だかおかしかった。