第4話 「おやすみ、麗子先輩」
PM 6:00
いつも以上に私は不機嫌だった。原因はお解りだろう。
「麗子先輩、見つけた。こんな所にいたんだ」
辺りはもう暗闇に包まれていた。学校に残っている者は部活動に励む生徒か、教師だけだろう。
私は読みかけの本にしおりを挟み、男を睨み付けた。
「何か用?」
「そんな怖い顔しないでよ。一緒に帰ろうと思って」
綾瀬と初めて会って以来、ずっとこんな調子だった。綾瀬はなにかと私の前に現れては、私に付きまとっている。まるで台風だ。
「悪いけど、どんなに付きまとわれても私はあなたを好きにならないの。構わないで」
「ねぇ、麗子先輩。いつもこんな遅くまでいるの?」
「人の話を聞きなさいよ……」
全く耳を傾けようとしない綾瀬に私は落胆し、ため息をつく。綾瀬は相変わらず甘ったるい顔で、こちらをみている。私は諦めたように口を開いた。
「息抜きよ。本を読むと時間を忘れるの」
「へぇ。麗子先輩も息抜きとかするんだ。毎日勉強ばっかりしてるのかと思った」
「人のことなんだと思ってるのよ」
私は小さく悪態をついた。これ以上綾瀬に関わっていると、血圧がどんどん上がって行くような気がする。ここは大人しく帰るのが得策だろう。
私は隣の椅子に置いたスクールバックを持ち、図書室を出た。
「寒い」
「当たり前でしょ、冬なんだから」
綾瀬はマフラーに顔を埋め、手を擦った。
吐かれる息は白く跡を残して消えていく。
駅のホームには私たち以外に誰もいなかった。流石、田舎の駅だ。
しかも、田舎の電車は都会のように何分に1本の世界ではなく、1時間に1本電車が来ればいい方だ。最悪の場合には2時間も待つことになる。
私は、この待ち時間を綾瀬と過ごすのかと思うと憂鬱でしょうがなかった。
「携帯の番号教えてよ」
「は?」
私は全く話の流れについて行けず、不思議そうに綾瀬を見つめた。
「いや、だから、携帯番号。あっあと、メルアドも」
「どうして、あなたに教えなきゃいけないのよ」
「はいはい。分かったから麗子先輩、携帯出して」
綾瀬はまるで子供をあやす様に言うと、私から携帯を奪い取った。骨ばった指先が器用にボタンを打ち付けていく。
「綾瀬涼……090……。メルアドは……ne.jp。はい、登録っと」
「ちょっと、勝手に登録しないで」
「先輩が困ってたらすぐに駆けつけるから」
曇りのない目で私を見つめる綾瀬は、本当に性質が悪いと思った。
「ん〜やっぱり、男の名前はほとんどないね」
綾瀬のペースに乗せられっぱなしの私を横目に、綾瀬は私の携帯を、カチカチと操作し、アドレス帳を見ていた。
「返して」
私は携帯を取り返そうと大きく手を振り上げた。しかし身長差が邪魔をし、手が空を切る。
「麗子先輩、誰、この哲平って」
携帯の画面を私に向け、綾瀬はむくれ顔をした。画面には哲平のアドレス。
「あっ、思い出した。前に、先輩にチューしようとした時に、邪魔した奴だ」
「哲平は関係ないでしょ。返しなさい」
「麗子先輩、どうしてこの男は哲平で、俺は綾瀬なの?納得できないなんだけど」
相変わらずむくれ顔の綾瀬は、自分はどうして名前じゃないのかと真剣に考えている様子だ。頬に大きく空気を入れた綾瀬の顔は、整った顔が台無しなほど可笑しな顔になっていた。
「ふっ、馬鹿じゃないの」
まるで綾瀬の頭の上に大きなハテナマークがあるようだ。私はおかしくなり、ふと顔を緩める。
「まぁいいや。先輩の笑った顔が見れたから」
そう言い、綾瀬は真剣な顔つきを止め、優しい眼差しを向ける。
ふいをつかれた私は、途端に顔が赤くなる。
「べ、別に笑ったわけじゃないわ。あんまりあなたが可笑しなことを言うから」
「はいはい。ほら電車来たよ?」
気が付けば、もう1時間もたっていた。
私は赤い顔の余韻を残したまま電車に乗り込む。しかし、綾瀬は一向に乗ろうとしなかった。私は綾瀬を覗き込む。
「乗らないの?」
「家、学校の近くだから」
「何よそれ!そんなこと一言も言って無かったじゃない!わざわざ駅まで来ること……」
「おやすみ、麗子先輩」
綾瀬の言葉と同時に扉が閉まった。綾瀬は微笑みながらこちらに手を振っている。
わざわざ駅まで送ってくれたのだろうか。私は小さくなっていく綾瀬の姿を複雑な気持ちで見送った。
「ほんとに馬鹿」
私はふと携帯のアドレス帳を開いた。
いつの間に……哲平の名前の欄が『あほ哲平』と変更されている。綾瀬の名前までもが『愛しの綾瀬涼』と入力されていた。
犯人は分かっている。
私は心地よい電車の揺れを感じながら、携帯を眺めていた。