第2話 「逃げるの?」
私は怪訝な目で綾瀬を見つめた。
「あれ?気に障った?」
綾瀬は悪ぶる様子もなく、無邪気な笑顔を浮かべた。
私はただ冷酷に綾瀬を見つめ言い放った。
「早く私の前から消えて」
「はははっ、噂通りだ。冷たいね」
綾瀬はそう言って、口元を歪ませた。先程の第一印象とは異なった威圧感が、私の体を蝕む。
「椎名 麗子。3年A組。テストではいつも上位をキープ、そして今年、大学に首席で入学することが決まっている。教師からの信頼も厚く、後輩からも慕われている。」
綾瀬はゆっくりと私の周りを歩き始めた。彼が動くたびに腰のチェーンがしゃらしゃらと鳴った。
「品行方正、容姿端麗。運動神経も抜群。告白されることもしょっちゅう。でもOKしたためしは一度も無い。恋愛なんかには靡かない鉄の女。有名だよ、麗子先輩て」
おどけたように言う綾瀬はどこか楽しんでいるようにも見える。
「ていうか俺的には、今のショートヘアも似合うと思うけど、ロングも似合うと思うんだよね。伸ばしてみたら?」
幾つもの指輪をした綾瀬の手が、私の髪をそっと掴む。
「ちょっ……、なんなのあなた」
私は綾瀬の手を振りほどき、睨み付けた。
「美人は得だな。怒った顔も美人なんだから」
まるで親しい関係のように妙にずうずうしい態度、私はいい加減、綾瀬の態度に苛々をつのらせていた。
「あなた一年生でしょう?敬語の使い方も分からないの?」
綾瀬は可笑しそうに私を眺めた。
「俺は尊敬してる人にしか敬語は使わない性質なんでね」
「あっそう。あいにく私は煩わしいのが大嫌いなの。言いたいことがあるならはっきり言って」
綾瀬は今までのふざけた表情から一変し、急に真剣な眼差しを向けた。
「椎名 麗子は必ず、俺を好きになる」
「は?」
目が点になると言うのは今の状況を言うのだろう。
綾瀬はそんな私の顔を一瞥すると、動揺ひとつ見せずに満足気に笑った。
本当に馬鹿らしい。こんな茶番劇に時間を費やすほど、心は広くない。私は綾瀬に背中を向け、立ち去ろうと歩き出した。
「逃げるの?」
私は思わず振り返る。
「私が一体何から逃げてるっていうの。いい加減にして」
綾瀬は何も言わず、限りなく優しい眼差しで私を見つめていた。私を諭すような視線。
私は思わず言葉を失った。
綾瀬の表情はくるくると変わる。汚れをしらない少年の顔、そして何もかも見透かすような大人びた顔。この男、どうも掴めない。どれが本当の彼なのだろうか。
「恋愛を怖がってる」
「ちょっと待って。私は怖がっている訳じゃないわ。下らないと言っているの。あなたなんか好きにならない、絶対に」
私はまるで自分で自分を言い聞かせるように、強く低い声で言った。
冗談じゃない。礼儀のなっていない年下に、こんなに馬鹿にされるような謂れはない。
「楽しみだね」
私の言葉なんか聞き入れもせず、綾瀬は自信満々の態度だ。それが私の神経を逆なでする。
「じゃあまた明日」
「ちょっ、待ちなさいよっ……」
綾瀬は混乱している私を横目に、しゃらしゃらとチェーンを鳴らしながら、走り去って行った。私の頭の中では、チェーンの摺れる金属音がやけに響いていた。