第二章 パンとかが膨らんで
初恋の相手に再会するも人違いだと言われてしまう、ゆき。
老人ホームの勤務先でも上手くいかず落ち込んでしまう。
道端に落ちていた、パン屋のパート募集のチラシを拾ったゆきは、何事も経験だと思い週に1.2回だけならと面接へ行ったのだが…
ホームの仕事が休みのだったゆきは
〝落ち込んではいられない〟と髪をピシッっとまとめ、拾ったチラシのパート募集中の面接に向かう為、簡単な履歴書を書いてパン屋へと向かった。
せっかく東京へ来てホーム以外の所で働かないで北海道へ帰るのは自分が何だか変われない気がした、と言っても北海道へ帰るのは3ヶ月後、耳の聞こえない自分を短期で雇ってくれる訳ないけどダメもとで行く事にした
チラシの住所を頼りに寮から歩いて三十分くらいの場所に小さな一軒家の大きな看板に〝プラチナパン〟と書いてあった、チラシには店の名前が書いてないが恐らく此処だろうと店のドアを一応ノックをして中に入るとオーナーらしき人が厨房で作業をしていた
ゆきは声をかけれないので履歴書をレジ横の机に置いてパンを眺めながらこっちに来るのを待った、しばらくして背中をトントンとされて振り向くと互いに
〝あっ〟となった
〝あの時の軽そうなナンパ男だ…〟
〝あの時の無視女だ…〟と一瞬変な空気が流れた
パン屋の男は手に持ってた履歴書の封を開けて、じーっと履歴書を見るなり
「…うん、採用!」と即決した、意外すぎる言葉にゆきは驚いた、
〝耳が聞こえなくても大丈夫ですか?〟と紙に書くとパン屋の男は笑いながら
「食パンは耳があっても聞こえないからな、食パンみたいな女の子が来てくれたと思うよ」と言った
〝私って食パンなんだ…〟とあっけにとられてしまった
パン屋の男はゆきをじーっと見て
「凄いななぁ、本当に唇が読めるんだなぁ、俺の名前は、畑中膨太、膨らむ太郎です、宜しくお願いします。早速ですが明日朝の5時に来てください!」
と分かりやすく口を動かしてくれた
〝5時?…早い…〟と思いつつも、ゆきは大きくうなずき頭を深く下げてプラチナパンを後にした、帰り道キーホルダーを捜しにまた同じ場所へ行った
〝見つからないなぁ〟とゆきはふと前を見るとビルの前に凄い人だかりが出来ている
〝何だろう?〟
周りの人が嫌な顔をして
「チンピラの喧嘩でしょう、嫌ねぇ怖い怖い〟」
などと言っているようだった
ゆきは喧嘩の様子を見ようと少し離れて様子を見た
〝空だ!〟
ゆきは人ごみをかき分けて空の腕をつかんだ、人だかりの人達は思わず
「お姉ちゃんやめな、殺されちまうぞ」と声をかけるが、勿論ゆきには届かない
空はかなり驚いた顔をして思わずゆきを突き飛ばした、空の喧嘩相手が笑いながらゆきに近づいて来る
「何だ、何だこの女、お前の女か?」とゆきを蹴ろうとした、その瞬間、空はゆきの腕を取って一緒に走ってその場から逃げた、もう走れないと思うほど走って陰に隠れた
ゆき「なに、やってるの?」
空「何なんだよ、お前こそ何してんだよ、」
ゆき「大丈夫?怪我とかしてない?」
空「何だか知らないし、何言ってかわかんねぇし、誰かと勘違いしてんだよ、行けよ」
その時さっきの喧嘩相手が追ってきた、空は何度もゆきに
「早く行け」
と言うが、ゆきはその場から頑なに動かない、そして空はまたゆきの手を取り少し走るとゆきに向かって手話をした
空「ゆき、もう俺はゆきの知ってる空じゃない、いいから早く逃げろ、早く」
空は真剣だった、ゆきは後ろ髪ひかれる思いでその場から思いっきり走った、ただただ走りながら手話をした空に
〝あぁ、やっぱり空だ…空だったよ、空じゃん〟
と本当はずっとずっと会いたかったんだ、会いたかったよ。と胸が張り裂ける音がした。
その日ゆきは、なかなか寝付く事ができなっかた。
〝ここ何処だろう…足がビリビリする…揺れてる、地震?じ、地面が割れちゃう、た、助けて!〟
そこで、〝はっ〟ゆきはと目を覚ました
〝何だ夢か〟とパジャマのポケットの中のアラームのバイブがずっと鳴っていた、時間を見ると5時15分、…
…〝あっ、あぁぁ、今日からパン屋でアルバイトだった〟
初日から遅刻だっ、ゆきはすっ飛んでプラチナパンに向かい全力で走って15分で着いた
店のドアを開けるとゆきは頭を深く下げて謝った、顔を上げると膨太が目の前に立っていた
「初日から遅刻とはいい度胸だ!」
ゆきの事を上から下まで見て膨太は大笑いをした、ゆきはパジャマのままだったのだ 「まぁ、帽子かぶってエプロンしたらパジャマだってわからないだろう」
膨太は仕事の手順を書いた紙をゆきに渡し、ゆきは小麦粉まみれになりながら初めてパン作りを手伝って焼いた、いい香りがたちまち広がり膨太は焼きたてのパンをゆきに渡した、ゆきは〝パクッ〟と一口食べ〝美味しい、ほっぺがおちそうと〟とジェスチャーをした
膨太は嬉しそうな顔をして
「だろ?今日はありがとうな、明日は来れる?」
ゆきは首を横に振った
「明後日は?」ゆきはうなずいてぽろぽろと涙が出てきた
急に泣き出したゆきに膨太は驚いて
「な、な、何だ?泣くほど美味いか?仕事分かりずらかったか?朝キツかったか?」
膨太の優しい言葉と優しいパンの味にゆきは心が温かくなった
「ありがとう、大丈夫」と口を動かしながら手話をした、膨太は少し困惑した顔で
「なら良かったぁ、そういやお前パジャマだったな」と優しい顔で
「今日は〝ありがとう〟」とさっきゆきがした手話を真似て笑う膨太に何だか優しい気持ちになれた
「これ着て帰れよ」
膨太はパーカーを貸してくれた、ゆきは〝ありがとう〟とブカブカのパーカーを着てテクテク歩く帰り道、〝眠い…〟そんなゆきの姿を遠くから空がたまたま見かけていた
〝何で膨太の家からゆきが…〟と空は不思議に感じた。
ゆきは寮に帰り、しばらくしてベッドに倒れ込んだ、気がつくと時計は午前4時30分
〝今日だったらプラチナに遅刻しなかったのにな〟と思いつつホームの仕事は8時からだ、このまま起きて仕事に行くことにした
寝る前に洗濯して乾燥機に入れたままのパーカーは少し縮んだように見えた、ゆきはホームの仕事前に早起きした散歩がてら、プラチナパンのドアノブにパーカーと手紙を入れた袋を下げて、職場へ向う足取りは重かった
膨太は店のドアノブにかけてある袋に気付き中の手紙を見た
〝昨日はありがとう、とても楽しかったです、お借りしたパーカーを乾燥機にかけたら少し縮んでしまいました、ごめんなさい。縮む太郎になっちゃった。明日は遅刻しません、今日も一日美味しいパンを作ってね。 塚本ゆき〟
膨太は一人微笑みながらパーカーを広げると二周りは小さくなっていた、思わず大笑いした。
ゆきはホームの前に着くと深呼吸して
〝皆にどう思われようがかまわない!メソメソしないで頑張るぞ〟
気合いを入れてから、やすらぎに出勤した
いつもと変わらないゆきの様子にスタッフ達はゆきに接しずらそうにしていたが中田さんだけはゆきに優しく接してくれて励みになった
一日を終えてスタッフの皆が着替えやら帰る準備をしていた、ゆきは鍵をかけたはずの自分のロッカーの鍵が開いている事に気付いた
〝鍵かけ忘れたかな〟
ロッカーを開けた瞬間、沢山の荷物が落ちてきた
〝何これ…〟
スタッフの皆も〝物音に〟時が止まった
するとスタッフの一人が
「あれ?これ、これもみんな利用者さんが失くした物じゃない!」
同時にスタッフみんなの視線は冷たく怒り混じりにゆきに向けられた
中田さんは
「何かの間違いよ、誰かがわざと塚本さんのロッカーに入れたかもしれないじゃない」
とかばってはくれたが、その日のうちにゆきは谷村施設長に呼ばれ、
ゆきは「私じゃありません」と必死で伝えようとする
その姿を見ながら谷村施設長は、ゆきをなだめながら
「分かっている、落ち着いて聞いて欲しいんだが…君のロッカーに利用者さんの私物を入れてる人を見たと言うスタッフがいてね…」
ゆきは唇を噛み締めながら
「誰なんですか?誰なんですか?」と手話をして訴えるが谷村施設長は困った表情でゆきを落ち着かせようとした、ゆきは紙に〝誰なんですか?〟と書いた
谷村施設長は深くため息をついて
「中田さんが君のロッカーに…」
ゆきは力が抜けたようにその場で立ち尽くし谷村施設長が何を言ってるのか一瞬理解できなっかた…
「明日、中田さん本人に話を聞いてみるから、塚本さん、次は明後日が仕事だからその時にまた、ここへ着てくれるかね?」
ゆきは呆然としながら、谷村施設長に頭を下げ、〝何で…中田さんが?〟と理解出来ないまま、ゆきの胸のモヤモヤは大きくなって帰り道をとぼとぼ歩いていると気が付けばプラチナパンの前にいた
店の札をクローズにしようとしてる膨太はゆきに気付き
「どうした?」
と話をかけるが、ゆきはボーとしながら
「パンまだあるかな?」
と手話をするが膨太には何を言ってるか分からず
「うん?何かあったか?」と聞くがゆきはクローズになったのにも関わらず店の中に入り、売れ残ったパンを取って少し不機嫌そうに膨太にお金を渡して帰ろうとした
そんなゆきに膨太は
「待てよ」と呼び止めるがゆきは振り向かず行ってしまう
「あっ、聞こえないのか…」と帰ろうとするゆきの腕をつかんだ膨太、その手を振り払うゆきの手を膨太はつかんで店の中へ連れて行った、何故か不機嫌そうなゆきの顔を優しく両手で上げ膨太は
「ここで食べて行きな?」言うと、ゆきは〝ぽつん〟とうなずいて厨房の椅子にちょこんと座った
パンを〝パクっ〟と食べてまた、ぽろぽろ泣き出した
ひたすらモグモグと泣きながらパンを食べるゆきの姿を見て膨太はゆきの涙をひと雫指に取り、涙を食べた
「しょっぱいな、そんなに泣くほど美味いか?」
ゆきは涙で滲んで膨太の唇がよく読めなかった、モグモグ、ただモグモグとゆきはパンを食べながら何だか心のモヤモヤ雲に雨が降って、雨の音が聞こえた気がした、膨太はそんなゆきの頭を〝ぽん〟と1回なでて落ち着くまでただ傍にいた
しばらくして、ゆきは涙をふいて「ありがとう」と一礼した
膨太はポケットから小銭を出してパンの代金をゆきに返した
「えっ?」と泣きはらした顔で驚くゆきに
「明日も待ってるから、パートさんからパン代はもらわないよ、食べてくれてありがとう」〝ありがとう〟と二人同時に手話をしたそして笑った。
「笑った方が可愛いじゃん、しゃねなぁ送ってくよ」
膨太はゆきを元気付ける為グリコ遊びをしながら、ゆきの社員寮までゆきを送った、寮の前に着くとゆきは「ここ」と指をさして「ありがとう」と帰ろうとした時、膨太は思い出したかのようにポケットから雪の結晶のキーホルダーを出した
「これ、ビラ配りしてた日、落としたみたいだから追いかけたんだけど途中で見失って、お前のだろ?」
ゆきは〝そうだったんだ…〟と膨太からキーホルダーを受け取った
「あのさ俺、もっとちゃんとお前と話したい、手話覚えるよ、そんでいつか笑ってパンを食べさせる」
膨太はゆきの小指と自分の小指を合わせて
「約束な、指きった、じゃぁ」と帰って行った
〝あの時落としたんだ〟ゆきは膨太の後ろ姿とキーホルダーを見つめて、声をださずに
「ありがとう!」と叫んだ、聞こえるはずもないが偶然か膨太は振り向かずに手を振ってくれた、ゆきは膨太の姿が見えなくなるまで手を振った。
膨太はそのまま本屋へ行き手話の本を買ってプラチナへ帰った。
翌朝、午前5時ゆきは寝坊しないでプラチナに着いた、「おはよう」と膨太は手話をした
ゆきは「もう覚えたの?」
と手話をしたが膨太は難しい顔をして何度も「おはよう」と「ありがとう」と手話をした、
どうやらこの二つの手話は覚えたらしい。
そんな膨太が可愛らしく思えてゆきは思わず笑うと
「間違ってたか?」と膨太は首をかしげた
ゆきは「おはよう、ありがとう」と膨太に手話をし仕事手順の紙を見ながら働く
プラチナでのパートの時間はゆきにとって心地よい時間に感じた、閉店後二人は2時間ほど手話を交えながらたわいもない会話をした後ゆきは店を出た
〝あっ〟目の前には空が立っていた、空はその場をすぐに立ち去ろうとした、ゆきは空の腕をつかんだ
ゆき「待って!空が空じゃなくなった空だとしても、空に変わりはないでしょう?」
空「俺のせいで、この間怖い思いさせたから気になって、この辺歩いてたら…たまたま ゆきがいたからさ…」空はゆきのカバンに着いてるキーホルダーを見た
空「それ…」
ゆき「覚えてる?可愛いから大切に持ってるんだ、最近落としちゃってここの パン屋さんが拾ってくれたの」 空は大きなため息をついた
空「家まで送るよ」と自然に二人は歩いた
ゆき「私ね、3ヶ月前に東京へ来たの、老人ホームで働いててね、半年だけ産休スタッフの代わりに来てるの」
空「3ヶ月したら北海道に帰るの?」
ゆき「うん、老人ホーム以外の仕事もしてみたくて、あのプラチナパンでパート してるの」
空「そっか…ゆきは俺を怒ってないの?」
ゆき「どうして?」
空「…約束守れなかったから…」
ゆき「空を見上げるたび、私は空を思い出した、空と過ごした時間があの一番星なら、いつでも輝いて見せてくれる、怒る事も悲しい事もないよ」
空「…ゆき…あの…」と空の携帯が鳴り空はそのまま電話にでようか携帯をみていた
ゆき「ありがとう、私ここまでで大丈夫だよ」〝じゃあ〟と手を振って名残惜しそうなゆきの顔を見て空は声にだして
空「もう一度、あの頃に戻れるなら、どんなに幸せだろうって思うよ…ありがとな」二人は一瞬見つめ合って〝じゃあ〟と手を振って分かれた、〝空は空のままだよ〟とゆきは何となくまた空に会える気がして眠りについた。
翌朝ゆきは谷村施設長の所へ行った、少し緊張しながらドアをノックし中に入ると谷村施設長はいつもと変わらぬ様子で
「おはよう、昨日中田さんに話を聞いてみたんだが人違いだと言ってる、何がどうなってるか分からないが、あと3ヶ月もないが働けるかね?」
ゆきは「大丈夫です」とうなずき〝中田さんなわけないよね…でも一体誰が…何の為に私のロッカーに…〟
やすらぎに行くと皆、何やら慌ただしく張り紙みたいなを取っている、張り紙には〝塚本ゆきはチンピラと付き合う危ない女〟と空といる所の写真付きの紙がホームに貼り巡らされていた
〝どうして…昨日いた所が…〟ゆきに注がれる視線は冷たいものだった、立ち止まるゆきの姿を見て陰で笑う中田さんがいたのだった。
その日のうちにゆきは谷村施設長に呼ばれ谷村施設長は貼り紙を見ながら
「君が誰と付き合おうがいいんだが、こういう人…こういうチンピラみたいな人と関わるから、嫌がらせをされてしまうのではないかね?」
ゆきは貼り紙を指差し
「空は…この人悪い人じゃありません」と必死で伝えるが谷村施設長は
「君がそういうなら関係ないのかもしれない、だけど周りの人の目はそうは見ないだろう、世間とはそういうモノなんだよ」
ゆきは何も言えなかった、しばらく沈黙が続き谷村施設長はある提案をした
「どうだろう、君がここで働くのも実質2ヶ月と半分もない、君の為にも北海道へ帰ったらどうだろう」
ゆきは谷村施設長の言葉に驚いた
〝このまま辞めたら私がまるで利用者さんの大切な物を盗んだ事を認める事になる〟
「そんなの嫌です」ゆきは首を横に振った
「だからと言ってこのままここで働くのは辛くないかね」
ゆきは首を横に振り続けた、谷村施設長はため息をついて
「分かった…ならあと少し大丈夫かね?」
ゆきはうなずき「大丈夫です」とやすらぎに戻ると、スタッフ皆はゆきの事を見ようともしなっかた、すると中田さんがゆきに駆け寄り「気にしないで頑張ろう」と励ましてくれた。それからは利用者さんの私物が無くなる事はなくなったが1ヶ月半が過ぎてもスタッフのゆきへの冷たさは変わらなかった。
一方プラチナでの仕事は順調で膨太も手話が上手になっていた
空とはあの日送ってもらってから会う事もなく東京での暮らしもあと少しになっていた。
2ヶ月くらい前からプラチナでは毎日メロンパンを一つ買いに来る一人の少年がいた、その子も耳が不自由な子で補聴器を付けていた、少年は手話が出来るゆきと話すのを楽しみに来ていた
少年「ねえ、ゆきお姉さんは本当にあと少しでいなくなちゃうの?」
ゆき「寂しいけどそうなの、でもここのパン屋さんのおじさんも手話が出来るのよ」
膨太「おじさんじゃなくてお兄さんだ」
楽しく会話をしていた次の日、少年は母親と一緒にプラチナへやって来た、店に入るなり少年の母親は
「すいません、いつもパンを頂いてしまって、料金を払いに来ました」と。
膨太は「お金ならちゃんといつもメロンパン二百円払ってくれてましたよ」
と言うと少年の母親は驚いて息子に手話で話かけた
「お小遣いをあげてないのにどうしてパンを買えたの?」
すると少年は泣き出した
「僕には秘密のお友達がいるんだ…その友達は手話もできて、毎日二百円くれるんだ」「えっ?」
母親と膨太とゆきは驚いた、少年は涙をふくと素直に話し出した
「ある日、学校の帰りに僕の補聴器をクラスの子達にバカにされて、いじめられてる所を助けてくれたお兄さんがいて、それから僕と秘密の友達になったんだ、キャッチボールを一緒にしてくれり相談にものってくれて優しいお兄さんなんだ」
母親は困った顔をして膨太とゆきに
「カバンの中から沢山のプラチナパンの袋が出てきて、てっきり残ったパンを頂いてるのかと…」
膨太は少年に「その、お兄さんは歳はいくつくらいなんだ?」
と聞くと少年は膨太を指差して「おじさんくらい」と
「俺くらい?」
膨太は想像より歳が上で驚く、母親も驚きながら
「でもその秘密のお友達はどうして二百円を渡してパンを買いに行かせるの?」
少年はなかなか理由を言おうとしない、少年は大人達の困っている顔を見て
「理由は分からないけど、ある日キャッチボールをしてたら、お兄さんからお使いを頼まれて、プラチナってパン屋さんにも手話が出来る人がいるから様子を見て来て欲しいって言われたんだ、でもこの事は二人の秘密だって…」
ゆきは少年の秘密のお友達が空じゃないかと思い少年に訪ねた
「ねぇ、そのお兄さんとは毎日どこで会ってるの?」
少年は目の前の公園を指差し
「あの公園の裏の木の下で会ってるよ、いつもこのくらいの時間に」
ゆきは優しく少年を見て
「教えてくれてありがとう、今日はその秘密のお友達に、お姉さんが会いに行ってちゃんと元気だよって伝えて来てもいいかな?」
少年は困った顔で「でも、お姉さんには会いたくても会っちゃいけないってお兄さん言ってたよ」
ゆきは微笑みながら
「大丈夫よ、そのお兄さん凄く照れ屋さんなの。だから、行ってもいい?」
少年は納得したように「分かった」と。
ゆきは少年の母親に
「秘密のお友達は自分の知人で、その人も少年の頃に補聴器をつけていて、お子さんが、たぶん自分の小さい時と重なって見えたんだと思います、心配かけてすいませんでした」と謝ると、ゆきは店を出て公園へ向かった。
公園裏の木の下には空が立っていた〝やっぱり…〟ゆきは後ろからそっと空の肩を叩いた、振り向いた空は驚いた顔をして「よっ」といって帰ろうとした
ゆき「何で自分でパンを買いに来なかったの?」
空「あいつ…あの子にも俺以外の話相手いる事教えたくてさ」
ゆき「だったら一緒に買いに来たら良かったんじゃない?」
空「こんな見た目の奴が一緒に歩いてたら変だろ?」
ゆきは空の如何にもチンピラ風な格好を見て「そっか」と笑った。
ゆき「私は元気で大丈夫だよ、だからもう自分で様子見に来てね」
空「そっか、元気ならいいんだ、そしたら、帰るわ」
空は足早に公園を出ると一人の女性が空を見て笑いながら駆け寄り空の腕に抱きつき帰って行った、その姿を見てゆきは何だか胸がズキズキした音が聞こえた。
〝そうだよね…彼女くらい…いるよね〟分かっているけど目の前で見ると傷ついた自分にまだ空が心のどこかで好きなんだと気付き、ゆきは切なく泣いた、店に戻ると少年と母親は帰っていた。
膨太「またそんな顔して、秘密の友達にでもフラれたか?泣き虫さんだな」
ゆき「私ね、どうして帰って来なかったのとか、ずっとずっと聞きたかったのに…でも6年ぶりに会ったら一番聞きたいこ事聞けなくて、理由を聞いたら本当にさよならするみたいで……」
膨太「何があったのかは分からないけど、ゆきはまだ秘密の友達が好きなんだな」とゆきの頭を〝ポンポン〟とした
膨太「俺にも昔、補聴器を付けてた友達がいてさ 親友だった、急に転校してったきり連絡もないし会ってないけどな」
ゆきは昔、空が言ってた親友の名前も膨太だった事を思い出した
ゆき「…膨太…天然パーマ」
膨太「な、なんだ?天パがどうかしたか?」
ゆき「補聴器をつけてた親友って 風波空?」
膨太「何で知ってるんだ?……あっ、お前の好きな人って空なのか?」
膨太とゆきは〝きょとん〟とびっくり顔で見つめ合った
膨太「あいつさ、空の親父さんが亡くなって、お爺さんのいる北海道へ行ったきり連絡が取れなくなってさ」
〝そうだったんだ〟〝そうだったんだ〟と二人は不思議な空気に包まれた
膨太「でもさ、何であいつ直接パンを買いに来ないんだ?」
ゆき「…分からないけど色々複雑なのかな?」と会話の途中で店のドアのベルが鳴った
膨太「お客さんだ、俺行くから厨房の片付け頼むな」
膨太が店番をしていると客は何やら携帯電話で話しながらパンを選んでいた
「あと1ヶ月でやっといなくなる、本当イラつくんだよね、耳が聞こえないってだけでチヤホヤされて、介護なめんなよって感じ、嫌がらせしても帰らねぇの、早く北海道帰れよ、アハハハハ」と笑っていた。
ゆきは膨太に「洗剤切れたよ」と伝えに店へ行くと
「あれ?中田さん?」
ゆきがここで働いているとは思ってなかった様子で少し慌てて電話を切った、全ての会話を聞いていた膨太は暗い表情で
「悪いんだけど、もう今日は終わりだから帰ってくんないかな?」
中田さんは慌ててプラチナを後にした
ゆき「今のお客さんね、一緒の職場の人なんだ、いい人なんだよ、今日はもう終わりなの?」
膨太「…今日はもうやめたっ」
ゆき「でも、まだ時間が…」
膨太「まぁ、な…んだ」と膨太はその場でふらつき〝バタンっ〟と急に倒れてしまった
突然の出来事にゆきは膨太の体を揺すって頬を叩くと凄い熱が、ゆきは慌てて店を出て外にいた人を店の中まで引っ張って救急車を呼んでもらった、病院までゆきも一緒に付いて行った。
待合室で、しばらく待っていると看護婦がゆきの所へきて〝もう大丈夫ですよ、疲労と風邪です〟とメモを渡してくれた。
ゆきは安心した表情で「ありがとうございます」と頭を下げた。
「点滴が終われば、すぐに帰れますが、家族やどなたかが2、3日看病して無理をしないよう様子を見るようにしてあげて下さい」とメモを渡されゆきは、うなずいた
すると膨太が歩いて「わりぃ、わりぃ」と笑いながらやってきた
ゆき「大丈夫?家族に連絡した方がいいんじゃない?」
膨太「余裕、余裕、大丈夫だって」
ゆき「看護婦さんが2、3日看病する人が必要だって」
膨太「じゃぁさ、お前が看病してくれよ、2、3日。俺におかゆ、ふぅふぅして食べさせて、おでこのタオル取り替えてくれ」
ゆき「でも、一応ご両親にも連絡しないと…」
膨太「たかが風邪で親を呼ぶ歳でもないし、お前がいい」
ゆき「うん…わかった」
二人はタクシーでプラチナに帰った、ゆきはまだ熱でふらふらした膨太の手を取り二階へ上がると居間にある遺影に目にとまった
膨太「あれが父ちゃん、母ちゃん、ただいまぁ。男の一人暮らしにしては綺麗な部屋だろ、俺の部屋はもっと綺麗だぞ」と部屋を開けると
ゆき「本当に綺麗ね」
膨太の部屋はなかなかの散らかりようだった、膨太をベッドに寝かせてゆきは膨太に謝った
ゆき「ご両親亡くなってたんだね、なのにさっき病院で連絡したら?なんて言ってごめんね」
膨太「何でお前が謝るんだ」と少し笑った
膨太「2ヶ月もパートに来てて、俺の事なんも話してなかったな…うぅ…」と膨太は眠ってしまった。
ゆきは膨太の部屋のゴミを捨てたり少し整理していると机の上に〝すぐに出来る手話〟と書かれた本とdvdを見つけた、本は何回も読んだ事が分かるくらいに、くたびれていた。〝…膨太…〟おでこのタオルを替えてゆきもベッドの横で眠ってしまった
気がつくと朝の9時?!〝うっかり寝ちゃった、えぇっとホームの仕事は休みで、あっ、膨太の看病してたんだった…あれ膨太がいない!〟
するとパンのいい香りがしてきた、下へ行くと膨太はパンを焼いていた
ゆき「何してるの?寝てないとダメじゃない」と膨太のおでこを触った
ゆき「まだ、熱があるじゃない」
膨太「焼いたから店番一人でも大丈夫か?」
ゆき「大丈夫だから早く2階で休んで?」
膨太「わりぃな、あとさ、お前大きな口開けてへそ出して寝てたぞ」とゆきをからかった
ゆき「もう、早く2階に行って!」と恥ずかしさ混じりに怒った。
パンはいつも通りに全て欠ける事なく全て焼かれていた、〝凄い…これを一人で…〟ゆきは膨太は一見軽そうで元気いっぱいな自由人だと思っていたが、机にあった本や熱があってもパンを焼く姿に、凄く真面目で努力な人だと思ったと同時に膨太を知りたいと思った。
閉店時間になり、ゆきは店掃除を済ませ2階へ上がり、おかゆを作ってからそっと膨太の様子を見に行こうとした時、床にあった段ボールにぶつかった。
〝痛い〟と段ボールから出た物を元に戻そうとした時、何枚も膨太と同じ女の人と写ってる写真だった〝綺麗な人…彼女かな?〟そっと元に戻した。
部屋を開けると膨太はまだ眠ってる様子だった、おでこのタオルを替えて膨太の首を触った〝熱も下がってる、良かった〟と帰ろうとした時、〝パッ〟と膨太は目を開けて
「あーん」と大きな口を開けた、びっくりするゆき
膨太「あーん、あーん、おかゆふぅふぅ、あーん」
ゆきはうなずき、さっき作ったおかゆを持ってきて、「ふぅ、ふぅ」と小さなスプーンに優しく息を吹きかけるゆきの姿を見て膨太は少しドキドキしていた
ゆき「あーん」
膨太「…美味しいです」と何故か敬語になっていた、膨太はおかゆをペロっと食べて二人は笑った。
ゆきはホームの仕事が憂鬱になっていた
〝私何の為に東京へきたのかな…〟
自分が今まで如何に恵まれた環境で働いていたかを思い知らされたと同時にやすらぎでの出来事はいい経験になったと割り切るようにしていた、やりがいもなく只こなすだけの仕事には、ならないようにと利用者のお年寄り達には精一杯の笑顔で接するように心がけた、ホームの仕事が終わり寮へ帰ろうとした時、中田さんと膨太が何やら話している様子だった、膨太はゆきに気付いて大きく手を振った
膨太「おぉーい、迎えにきたぞぉ」
中田さんは何故かバツが悪そうに去っていった
ゆき「買い出しでもあるの?」
膨太「看病してくれたお礼に飯おごらせて?」
ゆき「中田さんと何話してたの?」
膨太「いつもゆきがお世話になってます、オススメのパンは食パンですってな」
膨太はゆきの手を引き、しばらく歩いてくと少し古いビルの前に着いた
膨太「ここさ、空とよく来たんだ、中に美味い飯屋があるんだ、オシャレな所じゃなくてごめんな」
ゆき「うん うん、そんな事ないよ 楽しみ」
膨太「予約できない店だから席空いてるか聞いて来るから待っててな」
膨太は階段を上がって行った。
膨太を待つゆきの目の前のエレベーターが、開いた
〝あっ…〟エレベーターの中には空がいた…
空はゆきを避けるようにすぐにエレベーターのドアを閉めようとした、ゆきはとっさにエレベーターに乗り込んだ。その時、エレベーター内は暗くなり火災報知器が鳴り突然エレベーターは地下へと下がった、思わずしゃがみ込む二人
空「大丈夫か?」
ゆき「…どうしたのかな?」
空「火事みたいだ、エレベーターはイカレちまったらしいな」
ゆき「えっ?開かないの?」
空「すぐに誰かくるだろう、1階から地下で良かったな…携帯は電波なし」
すると〝今のは誤報です〟とアナウンスが流れた
空「誤報だってさ」
二人はしばらく無言のまま5分…15分…30分とエレベーターが動くのを待った
空「膨太と来たの?」
ゆき「うん…」
空「美味い飯屋があるんだ」
ゆきは、女性が空に抱きつく光景を思い出していた
ゆき「空は…彼女と来たの?」
空「彼女?…いるって言ったっけ?」
ゆき「この間…公園で空に抱きついてた…」
空「…あぁ、あれは星、弟の嫁さんだよ、俺の義理の妹だな」
ゆきはそうだったんだと安心する自分がいた
空「膨太いい奴だろ」
ゆき「うん、すごく」
空「付き合ってるんだろ?」
ゆき「そういうのじゃないよ」
空「そっか…」
40分経ってもドアは開かず、ゆきは凍えていた
ゆき「寒いね、空、大丈夫?」
空「あぁ?暑いだろ」
50分…
ゆき「大丈夫?」とゆきは小さく震えていた
空「これ、着ろよ」と上着を差し出した
ゆき「大丈夫だよ、空が寒くなっちゃうから着てて?」空は自分の上着をゆきに被せた
ゆき「ありがとう、空は大丈夫?」
空「大丈夫、大丈夫って何回も聞くなよ、ゆきの方が大丈夫じゃないだろ、そうやって俺なんかに優しくしなくていいから」
ゆき「…優しくしなくていい人なんているの?」
ゆきは頭がくらくらして視界がぼやけてきてその場に倒れてしまった
空は包むように、ゆきを抱きしめた
空「くっそ、早く開けよ」
閉じ込められてから一時間後やっと扉が開くと、エレベーターに乗る、ゆきらしき人を見た人がいて膨太はずっと心配そうにエレベーターの前で待っていた、ゆきは空にすっぽり包まれて抱かれていた、膨太と空は顔を見合わせた
空「よう」
膨太「おう、久しぶりだな」
空「ゆきの事頼むわ、すぐに病院に連れっててやれ」と膨太にゆきを渡した
膨太「凄い熱だ、空、お前…」
空は足早にその場を去って行った、膨太はゆきを抱きかかえたまま病院へ、ゆきが目を覚ますと病院のベッドの上で点滴を打っていた
膨太「大丈夫か?」
ゆき「うん、空は?」
膨太「あいつなら、エレベーターが開いてすぐに何処かへ行ったよ」
ゆきは寂しそうにうなずいた
膨太「点滴が終わったら、うちに帰ろうな?今度は2、3日俺がおかゆ、ふぅふってしてやるな」
ゆき「でもホームの仕事が…」
膨太「お年寄りに風邪を移したらマズいだろ?俺から電話しておくから安心しろ」
ゆき「ありがとう、膨太ごめんね、せっかくご飯誘ってくれたのに」
膨太「次があるさ、俺の風邪移しちまったな、ごめんな」
ゆきの点滴が終わると膨太はゆきをおぶって家まで歩いた、途中何度も膨太の首にゆきの涙が流れていた。
次の日、目が覚めるとパンの焼けるいい香りがしていた、ゆきは体温計で熱を計った〝38度か…もう少し眠ろう〟としばらく眠り、次に目を覚ますと焦げ臭い香りがしてきた
膨太「おう、起きたか?おかゆ焦がしちまった、パンは作れるのに、おかゆは失敗だな、パンもってくるな?何か食べたいものあるか?買ってくるぞ?」
ゆき「その、おかゆが食べたい」
膨太「これ?体に悪いぞ、何か黒いし…」
ゆき「そのおかゆしか食べたくない、あーん」とおおきな口を開けた
膨太「しゃあないなぁ」
膨太は少し照れながら、ふぅふぅとゆきの口におかゆを運んだ
ゆき「美味しい…美味しい…」とぽろぽろ泣き出した、膨太は一口おかゆを食べた
膨太「泣くほど不味いな」
ゆき「うんうん、凄く美味しくて…」
ゆきの涙の数だけゆきは空を想っているんだと膨太は思った。
数日してホームの仕事も残り一回になっていた、そしてプラチナを辞める日も後少しになっていた。
ホームに行くと今までよそよそしい態度をとっていたスタッフ達がゆきに謝ってきた。
利用者さんの私物を捕ってゆきのロッカーに隠したのも空との貼紙を貼ったのも中田さんだったのだ、北海道から突然自分と同じ歳くらいのゆきが来てスタッフからも利用者さんからも可愛がられた事への嫉妬だったのだ
ゆきはやすらぎスタッフと谷村施設長に深く頭をさげ
「ありがとうございました、お世話になりました」と手話で挨拶し、やすらぎを後にした。
ゆきは寮の荷物をまとめてプラチナへ向かった。北海道に帰るまでを一日プラチナに泊まらせてもらう事にした
ゆきは荷物を片手にプラチナパンのドアを開けるのも今日が最後なんだと寂しく思った
膨太「おかえり、最後のホームの仕事はどうだった?」
ゆき「うん、何かずっとモヤモヤしてた事があったけどスッキリ…したかな」
膨太「このまま、うちに住んじゃえよ」
ゆき「北海道へ帰ったらすぐに仕事があるから」
膨太「そうだったな」
膨太はいつもより元気がない感じだった。
東京最後の夜、ゆきは膨太に手料理を作った
ゆき「3ヶ月お世話になりました」
膨太「おう、こちらこそ。頂きます」
膨太はご飯を口いっぱいにかき込んで泣き出した
ゆき「嫌いな物あった?」
膨太「美味い、全部美味い! 俺な、お袋が死んでからこうゆう飯食べてなかったから、嬉しくて」
ゆき「いっぱい、食べて?」
翌朝、最後のパン作りを終えて、北海道へ帰る時間になった。
ゆき「じゃぁ、行くね」
膨太「おう、またいつでも雇ってやるからな」
膨太はゆきの顔を見ようともしない
ゆき「膨太、ありがとうね、いつでも北海道に遊びに来てね」
膨太は静かにうなずいた。
ゆきは膨太とプラチナパンに深く頭を下げて店を後にした。
膨太は、パンを見つめながら、ゆきとの出会いを思い返していた。
壁にかけられた古い時計を見た膨太は気がつくと走り出していた。
次回 北海道へ