3-2
法王国にとって聖女という肩書きは、最上級で私自身を守る盾になるけれど、同時に都合の良い駒として扱われることが多い。時に私は他の聖女のようなキセキはないから、尻拭いを押し付けられる。
聖女を辞退する方法もあるにはあるが昨今は深刻な聖女不足のため、キセキを持たなくても女神様に選ばれただけで担がれてしまう。領地に戻って平穏な生活をしたいけれど、意味もなく辞めれば両親や自領の人たちに迷惑がかかるわ。
「八方ふさがりなのよね」
「なにがだ?」
「ひゃう」
考え事をしていてリクハルド様の気配に全く気付かなかった。魔物討伐から早一ヵ月。大所帯だった騎士たちの傷も癒えたことで、元の宿舎に戻っていった──というか、リクハルド様が追い出していた。正直、鬼だと思った。でも騎士たちは何故か生暖かい視線をもらったのよね。
今は以前のように二人で暮らしている。
ただ以前よりも、ぐっと距離が縮んだせいか密着ぐあいが半端ない。図書館で借りた本をソファで読んでいたら、リクハルド様は私を後から抱きしめる形で座り直させる。
抱き枕のような扱いにドキドキして、本の内容とか全く入ってこないのだ。それにキスも増えたわ。
「キャロライン」
「あ、えっと……」
甘い声で名前を呼ぶことも増えた。肩に顔を埋めるのも。
「何が八方ふさがりなんだ?」
「(これは……答えないとずっと聞いてくるパターン)……この先のこと。春が来たら私は本国に戻るけれど、きっと戻っても他の聖女たちの面倒が待っているのかな、って思ったら、ちょっと……いやかなりブルーになったの」
「ならずっとこの国にいれば良いだろう」
「でも……」
それは叶わない。私は結局のところ、余所者で、お荷物だから。
「お前はこの国が嫌いか?」
「…………それは」
「まあ、最初は酷い扱いをしていたから当然か」
「ううん。どの国だってよそ者を歓迎しない人はいるわ。それに他の聖女たちが窃盗をしたのに、私に屋根や壁、暖炉もあって食事も準備してくれるなんて、この国の人たちは良い人だと思う」
「……お前、やっぱりこの国に残れ。俺がなんとかしてやる」
顔が見えないけれど、その声はどこまでも優しくてその言葉に甘えて──信じてしまいそうになる。
「それ、本気?」
「本気じゃなかったら言うかよ」
「本当に?」
「馬鹿、泣くぐらいならもっと俺に寄りかかれ。お前一人ぐらい、寄りかかられても問題ない」
「私が余所者でも?」
「関係ない。お前はお前だし、もうお前はこの国に必要な、この国の人間だ。誰にも文句を言わせない。……だから、俺の傍にいろ」
傍に居ろ。ねえ、リクハルド様、意味深な言葉だけじゃ判断が難しいわ。「それって求婚?」なんて聞けたらいいのに。
でも今の関係が居心地が良くて、私は口をつぐんだ。
いつだって素敵な夢は終わるときが来る。だからその時が来るまで、幸福な夢に溺れていたい。
***
聖女を辞める方法は、他国の王侯貴族と結婚する。不慮の事故による行方不明を装って国外に逃げる。そしてもう一つ、この世の最果て『最後の楽園』と呼ばれる領域に入ること。その場所に辿り着いた者は、それまでの辛い記憶が消えるという神々の用意した特別な場所でもある。
この国の王城地下から行けるって、古い文献にもあった。
リクハルド様はどうにかすると言ってくれたけれど、自分でもいざという時の逃げ場を用意しておく。信じていないわけではないけれど、私は臆病だから、保険を掛けてしまう。
春の訪れまであと二ヵ月。リクハルド様と一緒に暮らす時間も後わずか。二ヵ月後の私は何をしているのかしら?
庭の様子を見つつ、ルンルン気分で図書館に向かう。二週間前から図書館の利用を許可されたのだ。二週間前、初めて図書館に入ったところ不思議なことに、この国にある伝承や民話が普通にあったのだ。ただ本棚にあったそのコーナーだけは埃塗れで、掃除などの手入れがなっていなかった。司書の人にそれとなく話を聞いてみたら「はあ?」とやる気の無い声で返事をする程度で、なにもしてくれなかった。
そのことをリクハルド様に愚痴ったら翌日は司書が入れ替わっていて、戸棚にも気付いてくれる人たちだったし、私に挨拶するぐらいまでになった。騎士団長様はすごいのね。
リクハルド様って、一体何者なのかしら?
国王様直々に指名した護衛役だから、元々は護衛騎士とか? 騎士団長らしいけれど、その割には私とずっと一緒にいるし……。
国王様に進言できるのだから貴族の出身あるいは、叩き上げの武人?
黒い艶のある髪は大型の獣のようにフワフワで、ミントのような清涼感ある匂いもするし、体格にも恵まれていて、でも私に触れる時は優しい。小言もあるけれど、心配しているのが伝わってきて……気付くとリクハルド様の事ばかり考えている!
普段から薄着だから、抱きつくと肌との密着する面積が多いのも意識させられる原因だわ。あんな薄着なのに、いつも温かいし……。抱き上げるとそれがよく分かるわ。
もしかしたら太陽の加護持ちなのかも?
うーん、ますますリクハルド様が分からない。でも聞いたら全力でウザ絡みしてくるか、小馬鹿にするか、適当に答えて話を切り開けるかの予感しかしない。リクハルド様って自分のことになると、途端に口が重くなるのよね。
踏み込まれたくないって思われているのかも。そうよね、ちょっと仲良くなって警戒を解いて貰えただけでも上々なのだから、それ以上を望むほうが烏滸がましいわ。
揺れている。
この先のことを考えると期待半分、不安と焦り半分。
やっぱり好きだって言わなくて良かったかも。一緒に居たいけれど、リクハルド様が私以外の誰かと結婚する姿は見たくない。リクハルド様の中で、私は恋愛対象というよりも保護なはず。だって、私に「好きだ」とか「愛している」なんて言われたことないもの。
家族になりたいとは言われたけれど、口約束だけだと不安にもなる。そう不安になるのだ。あの人は分かっているのだろうか。
「キャロライン嬢」
「……! あらティアルさん」
ミルクティー色の艶やかな髪の青年と鉢会う。彼は臨時の司書官らしく冬の時期だけ、この国で本の斡旋をしている商人だとか。王城の書庫の蔵書を何冊か渡す代わりに、食料を調達もしているらしい。
背丈は私と同じくらいで、髪は肩ほどあり一つか三つ編みでまとめている。話を聞いたら歳も近い。私より一つ下だとか。若いのに商人で独り立ちしているとか凄すぎる。司書服姿は似合っているし、私の指摘した本棚も認識できている人だ。
「ティアルさんは本の整理ですか? それとも珍しい本の読書?」
「両方かな。この国には古い文献や本がたくさんあるのだけれど、言語が複雑で読める人も年々減っているらしいので翻訳の仕事が山のように入って嬉しい悲鳴だよ。……それにこの国の特産物や新規事業の立ち上げに対して、国王様から相談された以上、良いアイディアがないか調べたくてね」
「そうなのね。私も何かお手伝いできればいいのだけれど……」
リクハルド様に報告書を渡したけれど、そのことで国王様から呼び出されもしなかったし、対処している感じはない。リクハルド様に何度か尋ねてはみたけれど、反応も芳しくなかったのよね。
「またまた。キャロライン嬢がこの城に来てから、妖精や精霊との結びつきも少しずつ回復しているので充分だと思いますよ」
「……え」
「あれ? 聞いていません? 十年前、現国王の弟である第二王子が一代前の聖女に惚れ込んで妻に迎えようとしたけれど、その聖女が冬の妖精や精霊に嫌がらせをしたため第二王子は呪われて、この国は妖精や精霊に関しての知識や存在を忘れてしまう。《妖精の目隠し》と《万華鏡の忘却》に掛かったままなんだよ」
は・つ・み・み!?
そんな重大な話は聞いていません。
え、なに。そんなとんでもない状況だったの!?
だから幼馴染はこの国を離れた!? ……いや、だったらもっと詳細を教えておいて欲しかったわ。何が『頼む』よ! 丸投げじゃない。だから誰も妖精や精霊、儀式や習慣がすっぽり抜けて食糧不足なるわけだわ。
……もしかしてそれをこの国の人たちは『呪い』だと解釈して、春の女神の聖女の協力を求めたことで状況が更に悪化とした? あり得るわ。だって妖精や精霊とのことを忘れているのだもの。
「ええっと、でもよく《妖精の目隠し》と《万華鏡の忘却》だって気付きましたね」
「そうそこ。自国民では気付かない、外の人間でなければならなかった。キャロライン嬢が実際に妖精や精霊との交渉を行っている姿を見て、知って、少しずつ思い出したそうです。なんといっても、この手の魔法は掛ける側は大変ですが、解くのは簡単。妖精や精霊からすれば、ちょっとした意趣返しに近いのですから」
あっけらかんというティアルさんに、ピンときた。もしかしたらこの人は私の一族と同じく《冬森の賢者》の知り合いなのかも。少なくとも私よりも事情に詳しいし、最初に会った時から本棚や妖精、精霊について詳しかったわ。
「もしかしてティアルさんは──」
彼の人差し指が唇に触れた。むむっ、いつの間にか距離が近い。思わず身を引こうとしたが真後ろが本棚で逃げ場はなかった。
ぐっと体を近づけて、耳元で囁く。
「駄目だよ、キャリー。言葉は言霊って昔教えただろう?」
「──っ!?」
そう私に教えてくれたのは、幼馴染だけだ。でも姿形はまったくの別人。
「《姿惑いの薬》を飲んでいるからだよ。それも昔教えただろう?」
「じゃ、じゃあ……本当にエルノ……なの?」
そう私が告げた瞬間、彼の姿が薄らいだ。気付いたことで魔法効果が弱まったのかもしれない。
「そうだよ、キャリー。僕のプロポーズを断った酷い幼馴染のキャリー」
「え、プロポーズ?」
「うん。『一緒に行こう』って誘っただろう?」
あっけらかんと言い放つエルノに、私は溜息が漏れた。
「遊びに誘うような感じで言われたから、両親の許可がなかったから行けないって意味で断ったのだけど。だいたい告白って好きとか、愛しているとか何も言わなかったじゃない」
なぜ私がエルノを振った悪女にされているのか解せない。そもそも好きだってはっきり言われていないのに、どう気づけと!?
リクハルド様もだけれど、ハッキリ言ってくれないと分からないことだってあるのよ! ジッとエルノを睨んだら、「あ」と声をあげた。
「そっか、髪に触れて抱きしめて自分の匂いを定着させることが求愛なのだけれど、キャリーは他国の人間だから知らなかったか」
「なにその独特の習慣」
「しかも今は僕じゃない別の雄の匂いに包まれているし」
「え」
「なんだ、気付いてなかったんだね。それならまだ僕にも挽回できるかな?」