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ううん。お父様が私に話さなかったのなら、私が知る必要はないのだわ。この国で私にできることをして行けばいい。まずは妖精と精霊に対して、どのくらいの知識が残っているのか知る必要があるわね。
不機嫌なオーラを放ったまま、ソファに横になっているリクハルド様に意を決して声をかけた。
「あのリクベルト様」
「…………」
「今日は青い月が出ているのですが、何もしないのですか?」
「は?」
あー、うん。これは「なに言ってんだ、コイツ?」って顔だわ。
予想以上に事態は深刻なのかもしれない。
このノースウッド大国は、昔から精霊と妖精が多い土地でもある。だからこそ風変わりな伝承や逸話、お祭りも多い。それは人と精霊と妖精と交渉によって取り決めた古の契約。一つでも欠けると、自然の恩恵が呪いへと変わる。
そのことも忘れてしまった?
あるいは意図的に忘れさせられてしまった?
この国の作物の六割は妖精や精霊との交渉で得ているのに、それがなくなったら──そう頭の中で計算した瞬間、背筋がゾッとした。危機的状況なのに、だれもが妖精や精霊についての存在そのものを忘れてしまっている。
異常事態だわ!
妖精や精霊の仕業?
それとも知恵ある魔物?
どちらにしても私にできることは、妖精と精霊との付き合い方を先人の叡智に沿ってなぞるだけだわ。
一軒家の中を見回ったあとで、ふと窓の外を見ると青い満月が顔を出すのが見えた。この国の月は他国よりもずっと月が美しく、そして青い白く見える。ちょうどいいわ。青い月でしかできないことをしておきましょう。
「あのリクハルド様」
「あ?」
不機嫌この上ないという雰囲気を隠しもせずに答える。お願い事をするのは心苦しいが、今後の食料も自分で用意しておきたい。グッと覚悟を決めて口を開く。
「大きめのタライを三つほど用意して頂きたいのです。あと井戸水はどこにいけば良いですか?」
「なんだ。やっぱり宝石やドレスが────は? タライ?」
「そうです、タライです!」
リクハルド様は怪訝そうな顔をしつつも、タライを三つほど用意してくれた。井戸水は一軒家を出てすぐ傍にあった。もっとも雪が積もっている中を往復しなければならない。それでも親切に教えてくれたリクハルド様にお礼を言って、井戸水を汲むために雪の上をざくざくと歩く。白い吐息が漏れて肺が凍えそうなほどヒンヤリとするけれど、耐えられないほどではない。
幸いなことに手押しポンプが着いていたので、それを押すだけで蛇口から透明な水が出てくる。ちょっと力がいるけれど、思ったより早くバケツに水が溜まりそうだわ。
妖精や精霊は人が掬った井戸水が好きなのよね。人が手を加えた者が彼らにとっては好ましく、人の持つ感情や心の動きが好きなのだ。
タライを青い月の見える大きめな窓の傍に三つ並べて、そこに井戸水を満たしていく。
「ふう、あと七回ぐらい往復したら」
「二回だ。ほら」
「ひゃ!?」
ソファでぐうたら眠っていたリクハルド様がすぐ傍にいて、思わず声を上げてしまった。リクハルド様は両手に持っていたバケツを床に下ろす。
「お前はもう外に出るな」
「え」
「お前、気付いていないかもしれないが指先の感覚なくなっているだろう。暖炉の火をもっと強めろ、食事も持ってくるから家から出るな」
「え、あ、でも」
「いいな」
「はい」
語気を強めて言われてしまい、反論できなかった。リクハルド様は気だるそうな感じは全くなくて、無駄のない動きであっという間にバケツいっぱいに井戸水を運び、再び家を出て言行ってしまった。
急に手伝ったのは、気まぐれかしら?
井戸水でタライを満たすと、ジャガイモ、タマネギ、カブの種をそれぞれのタライに浸す。最後に小ぶりの水晶を入れて終了だ。
「これでよし、明日が楽しみだわ」
「おい」
「ひゃう!?」
「食べられそうな食料を貰ってきたぞ」
大きめな篭に入っていたのは黒いカチコチのパン、水分のすくない硬いチーズの塊、卵、繋がったままのウインナーだった。うん、みごとに野菜がない。
「ありがとうございます。……ちなみにこの国では野菜などは、あまり手に入らないのですか?」
「冬の時期にこの雪だ。収穫できる野菜は少ないからな」
「え。冬森野菜はこの時期が収穫時期だったと思います。えっと、ちょっと待っていてください」
「は?」
荷物の中からシャボン玉液を取りだして、家の外で薄暗い中、ふー、とシャボン玉を作って空に飛ばす。マジックアワーの美しい空に虹色にシャボン玉が映える。
淡く光を放つシャボン玉は美しいわ。
「次から次へと突拍子もない言動を──」
ざざざざっ、とシャボン玉に釣られて頭に角、上半身は貴族服姿、下半身は山羊の足を持つ精霊サテュロスが姿を見せる。まだ十歳ほどで可愛らしい。髪はふわふわで灰色の瞳を見つめる。
「なっ!?」
【合図、来た。取引】
「はい、質の良い紙束です」
【……今の時期、白冬キャベツ、しかない】
「是非それを。この紙束に見合うだけくださいな」
サテュロスは小さく頷くと、紙束を恭しく受け取って匂いを嗅ぐ。目がキラキラして可愛らしいわ。しばらく紙束の匂いを堪能した後、何もないところから五玉ほど瑞々しい白冬キャベツを差し出す。大きくて受け取りきれなくなるところを、リクハルド様が代わりに受け取ってくれた。
【また、たのしみ、している】
「はい。またです」
手を振った途端、サテュロスはパッと姿を消した。白冬キャベツが手に入ったのだから、今日はキャベツスープを作ろう。乾燥冬椎茸、乾燥春パセリ、コンソメ粒もあるし。
うきうきで家の中に戻ると、暖炉の温かさに体が弛緩する。
「それでアレはなんだ? ……魔物ではないな。どうやって交渉成立したんだ? 宝石や金貨と渡したわけじゃないようだが」
リクハルド様は威圧と語彙を強めながら尋問するような口調で、矢継ぎ早に訪ねてきた。その言葉を聞いて疑問が生じる。
「ええっと、質問に質問で返す形になりますが……。どうしてこの国の方々は、妖精や精霊との付き合い方を忘れてしまったのですか?」
「は?」
「法王国セレストは春の女神様の加護というキセキを得ているように、他の国でも神様や精霊、妖精との付き合い方が国によって異なります。ノースウッド大国は大自然豊かですので、冬妖精や精霊が身近にいて共存共栄をしていたと思うのですが……」
「精霊? 妖精だと? あの禍々しいものが?」
「ま、禍々しい? 人の姿に山羊の足や角はその様に見えてしまうのですか?」
「は? 俺には人型の靄のような者が見えただけだぞ」
サテュロスの姿が認識できていない?
これはリクハルド様だけ? それともこの国の人たち全員が同じ状態なのかしら?
少し考え、絶対に面倒なことに巻き込まれそうな予感がヒシヒシと感じた。うん、ここは気付かなかったことにしよう。
とりあえずの方針として、冬の食糧事情的に蓄えないと。冬に向けてやるべきことや、冬食材の収穫方法に絞って報告書をまとめておいて良かったわ。
この世界での逸話や童話は、人外との交渉や頼み事や協力を得るための作法だったりする。例えば『青い満月の夜に、タライの中に種と水晶を浸して眠ると翌朝になれば、種が実になる』とかは種と井戸水、水晶によって浄化された水を好む妖精との物々交換を意味する。『青い雪が降る日、海に金平糖を投げて罠をかけておくと、白銀の魚が大量に手に入る』などは甘い物が好きな精霊との交換条件で、特に星の形を好むとされている。
妖精や精霊との約束ごとを分かり易く書き連ねたのが《冬神の天秤》と呼ばれる書記で、この国の王族や領主なら誰でも持っているはずなのだけど。
うん。そのことを尋ねたら「なんで知っている?」と墓穴を掘るわね。これ以上、面倒事は嫌だもの。料理作ろう。
「何を作る気だ? というか聖女様は料理ができるのか?」
「私はキセキのないポンコツ聖女ですからね。自国でもあまり。いい扱いは受けていないのです」
「……で、何を作る?」
言葉に困ったのか、リクハルド様は再度尋ねた。気を遣わせてしまったのかもしれないわね。
「キャベツのスープと、パンを切り分けてからチーズを載せて焼くわ。ソーセージはフライパンで焼いて、一部をスープに入れるの」
「ではパンは俺がやろう。それとこの白冬キャベツだが……」
「この国の物だから差し出せって言うのでしょう。私たちが食べる分、二つは残して貰えれば国王様に献上してもらって問題ないわ」
「は? お前が対価を払って取引した物を、自分たちの領地だから寄越せ──などと、どこの蛮族だ」
「リクハルド様ってまったくやる気ゼロですけれど、マトモなのですね」
「お前は言葉をオブラートに包む気はないんだな」
「ブルラートの声、出します?」
「いらん」
リクハルド様は口は悪いが、聖女様たちよりも常識があるようだ。手負いの獣のような張り詰めた雰囲気を醸し出しているものの、悪い人──ではなかった。
質素でご馳走とは言い難かったけれど、私にとっては久し振りに心から満足する料理だった。
***
翌日。
私はふかふかのベッドで眠っていると、ノックの音で目が覚めた。「ふぁい」と答えたのだが部屋に入ってくる気配はないので、気のせいかと思って二度寝。まだカーテンの隙間から漏れる光は薄暗かったので、幻聴あるいは妖精のイタズラだと思うことにした。
うん、気のせいだわ──ぐう。
それからいつもと同じ時間帯に目を覚まして顔を洗おうと扉を開けたところで、リクハルド様が目の前に佇んでいた。赤銅色の瞳は鋭く、今にも首を掻き切りそうな勢いに、足が竦んだ。
明らかに怒っている。というか見上げないといけないほど長身だし、筋肉質よね。……殴られたら壁に吹き飛びそう。
「お、おはようございます……」
「おはよう。ノックをしたのだが、気付かなかったか?」
「あ、えっと……気付いたと思いますが……朝早かったので気のせいだと……」
「そうか。……まあ、確かにそうだな」
完全にブチ切れて血管とか浮き出ているけれど、言葉は割とマトモだ。怒鳴り散らすこともない。ふーー、と怒りを静める姿を見ていると、毛を逆立てている猛獣にしか見えません。
「えーえっと……。それで私に何か用があったのですよ?」
「そうだ。お前、キセキを使えないなんて嘘だろう?」
「いや使えませんよ」
思わず即答してしまった。リクハルド様は目元をヒクつかせながらジロリと睨んだ。あ、地雷踏んだ?
「じゃあ、なんでタライからはみ出るほどの野菜が出ているんだ? キセキじゃなきゃ説明できないだろうが」
「あ。それは妖精や精霊と物々交換したのですよ。キセキじゃないです」
「嘘だ──と言いたいが、昨日の白冬キャベツのこともあるとなると、一概にキセキとはいえないか」
「ええ」
「…………」
昨日サテュロスを見ていたのもあり、何か言いたげな顔をしていたが押し黙った。それから野菜のほとんどは、国王様に献上しても問題ないとも伝えて、昨日のうちに作っておいた報告書も持たせた。
これで少しは私の評価が「多少使える奴」になってくれればいいなぁ。と顔を洗って朝食の準備をしながら思っていた。この時は、そんな暢気な事を考えていたのだ。