悲しさレベルの同調圧力
悲しさを吐露すると、
たかが、これくらいの事で。
と言ってさらに痛めつけるかのようにいう人がいる。
面白そうに、さあ助けてあげるわ!私の出番よ!とはしゃぐ人もいる。
悲しさの程度は、人と比べたりする事で測れるものではない。
こんなとこにまで、同調圧力をかけてこないでほしい。
その人にとっては大した事がなくても
心に負った傷は、その人にとってのものすごく悲劇的な大事の時と同程度かもしれない。
一見、大事に見えなくても、そこに至るまでに言葉では伝えきれない表現しきれないくらいの沢山の経過を経ているかもしれない。
耐えて耐えて、ぽっきり折れてしまったのかもしれない。
そして、そこまで、この人の要求に答えて追加でその事を曝け出す必要はない。
そんな事が分からない人は幸せなのかもしれない。
それか、自分自身、傷つきすぎて、もはや痛みを感じなくなってしまって、その事すら分からなくなっている可哀想な人なのかもしれない。
心に傷を負っている事を自覚している私よりも、この人のほうが助けがいる人なのかもしれない。
だけど、近づくと傷つけてくる。
近づくべき人ではないのは間違いない。
でも、助けがいる人。
この人の何倍も強く賢く狡猾にならないと助けてはあげられない。
腹をくくって付き合う必要がある。
私に近づく人は、皆、私のうしろにいる何かを、隣にいる誰かを目的に近づいてくる。
そして、目的を達成したり達成できなかったりの去り際。
なんて親切なんだろう。
その事を私に伝えて去っていく。
私は、この人にいったい何をしたと言うのだろうか?
とんでもない失礼な事をしたのだろうか?
ああ、見下されていただけか。
もう、話かけてこないでね。という事ね。
と納得をした。
この人は私を何も知らないから。
見た目や雰囲気や発言やその場だけの行動しか知らない。
うわべしか知らないのに知った気になっている。
私は少なくてもこういう事はしない。
それに気がついた私は、また、自分の事が好きになった。
だから、私は、また懲りずに近くに来てくれた人に丸腰で普通を期待をする。
自分を雑に扱う人にしか会ったことがないのに。
いくら、羨ましがられるような物を持っていても、本当に欲しいものがなかったら、いくらあっても意味がない。
持っていないのと同じ事。
私はお互いに大切にできる他人が欲しい。
そもそも、大切にできないから雑に扱われてるのだろうか?




