双子座
石が奥深くに沈み、取れなくなってしまう前にあるべき場所に戻したい。
また泥から作った歪な物を、石を拾いながら乾かしていると、気がつくと有名な人に奪われてしまっていた。
どこで作ったと声高に言っている。
それでいいのかもしれない。
慣れている。
その歪な物を組み合わせたら、
わたしの力では、取りにいけない
沼の深い深いところにまで沈みこんでいってしまった沢山の石が引き上げられるかもしれないのだ。
この有名な人が広く歪な物を流布したことで、どこかの沼で石を拾うための歪ではない立派な道具に作りあげてくれるのかもしれない。
有名な人の話は多くの場合、受け入れられる。
自分が認めた人の話というのは聞き入れやすいものだ。
それでいい。
真意さえ伝われば自分の中で何かが成し遂げられる。
でも、私はふと思った。
真意。
拾い上げた石を全部ちゃんとあるべき場所に戻してくれるのだろうか?
また、別の沼に落ちてしまったり、お城に集めるだけ集めて数えるだけ眺めるだけのものにされてしまうのではないか?
本当の使い方ではない酒や女を搾取する道具になってしまうのではないか?
人を引っ叩く道具になってしまうのではないか?
沼にくる聡明な弟子に学者は繰り返し言ったそうだ。
沼の石拾いは、いつか凄い事をする。
あの子とは仲良くしておいたほうがいい。
あの子はいつか大物になる。
素直な弟子は気付いていただろうか?
2通りに受けとる事ができる言葉だという事に。
まず誰からも評価される偉人になるという事を意味してはいない。
凄い事とは良くも悪くも取れ、一抹の不安や恐さすら感じる。
仲良くしておくとは何か私の意に沿わないと私が何か危害を加えるようなニュアンスにもとれるし、
側にいたら良い事があるかのようにもとれる。
大物とは、スケールが大きい人や、ある種の集合体で力や能力や権力をもつ重要人物。決して良性の偉人だけを表した言葉ではない。
赤い霧をまた深く吸い込んだ
母は、私に生きづらさと戦いながら、
正しいことを貫く事を身をもって教えてくれた。
時代に乗っているようで乗っていない、
私も母も双子座だったのかもしれない。
限界だったのだろう。
母は、行き場のないものを赤い霧に乗せていた。
いつしか、その赤い霧は私の体を蝕んでいった。
母は深い愛を持って私の体を心配した。
赤い霧はもはや母の一部になってしまっていて赤い霧が私の体を蝕み続けている事に気がつかない。
それでいい。
紅い霧が私を大きく育てたから。
紅い霧がなかったら私は大きくは、なれないまま枯れていただろう。
これは蝕んでいるのではなく、ただ、枯れていく途中なのかもしれない。
私や母は、本当に双子座なのだろうか?
紅い霧をふーっと少しだけ吐いた。
少し目減りしてしまった。
今、私の心の中にある、はっきりとしているもの。
一部は持っていけるのかもしれないけれど全部は持っていけない。
ちょっと知っている程度の想像では私と同じものはつくれないだろう。
それだけは確か。
誰も知らない。
私もまだ全てを知らない。
私だけのおぼろげな追憶と経験と未来。
私は自分のやり方考えでやっていく。
誰かの手足にはならない。
傾倒もしない。
これまでみたいに、
時々見知らぬ人に手をかりて一人でやっていく。
ただ遊べ帰らぬ道は誰も同じ
柳は紅、花は緑
あれは、こういう者へのエール
少し動きだした。