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私の話2  作者: JKmale
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転校を機に移り行く人生

小学校三年で北海道の小学校に入学した。確か学年が上がるタイミングで引っ越しをしたと思う。北海道は函館市、市の中では海から離れたところで近所の同級生が多く集まっていた。友達の家も近かった気がする。


両親の家選びは慎重で、家のサイズだけでなく立地に関しても考えていた。大雨になっても沈まないように高台のほうに家を選んでいたため、避難所とされる小学校中学校が近かった。もちろん私と弟の通う学校が近いことはとても助かった。


 ここでもサッカーと水泳は続けていた。なかなか問題のあるサッカー部だったらしく僕が移動する前に監督が体罰でいなくなった。コーチ陣と親の間の溝が深くクラブ活動だったこともあり父母会の介入は不可欠だったわけだが、私もよく母親に迷惑をかけていた。下手なサッカーのために何キロも山を越えて遠くのグラウンドにサッカーをしに行きベンチのまま試合が終わることもあった。しかしコーチ陣は親が見に来ているので全く出さないというのは悲しいと思ったのか試合の流れが決まった時に私が出されることが多かった。「(私)のためにがんばれー!しあいだしてやれないぞー!」といった声もあった。今思えばとても残酷だったと思う、、、

 試合がメインで言っているというよりは友達と喋れることが楽しくて行っていた感じがする。サッカークラブの人と話す時間は楽しく、先輩後輩かかわらず仲が良く雰囲気がとてもよかった。個人としては怒られるかもしれないが遊びでサッカーをしている感覚に近く、続けてモチベーションもなくなんとなくやっていた。しかし学年が上がりスタメンに入るということがあった。キーパーをやっていた人が転校をして繰り上がりでキーパーになった。走れず、動けない奴はキーパーしかできないという感じでキーパーになっていた。それでも正キーパーとなったのはとてもうれしかった。キーパーは中の選手とは色の違うユニホームを着ることがルールでオレンジのクッションのついた戦闘服を着せてもらえたことがとてもうれしかった。しかし運動神経が悪く、ボールにおびえていたのでシュートを打てばゴールが入るぐらいのざるキーパーだっだので評判のいい感じではなかった。うまい人はうまい人だけで「トレセン」に参加してうまくなっているようであまり私は興味がなかった。

 父は私のサッカーにとても協力的で朝早く起きて朝練をするのに付き合ってくれた。近くの公園まで行ってシュート練習や走る練習をして何とかうまくなるように手伝ってくれた。あの雰囲気が私は好きだった。朝の涼しさやにおいが今でも思い出せる。


父が浮気をした。



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