6章 めぐり逢えたら(2)
【永山 拓実】
久しぶりに入った園内の風景はところどころ様変わりしていて、きょろきょろと周りを見渡しているうちに、いつの間にか学生時代にもどったような気分になっていた。
さすがに俺と先生みたいな組み合わせの二人組は見当たらなくて、『なんか完全に浮いてるよね』なんて話しながら乗り物に並ぶ列の横を通り過ぎた。
「昔はこんなに繁盛してなかったのにな」
「俺も驚いた。こんなこと言っちゃ悪いけど、正直観覧車ぐらいしか記憶にないもん」
一通り園内を歩いたあと、湖を見渡せる小さな橋のような場所で足をとめた。
欄干に手をおき、先生はぽつぽつとボートが浮かぶ湖上を眺めている。
俺も先生の真似をして、隣に並び欄干に両手をおいた。
ボートには青や緑の電飾がついていて、水面をゆったりと進む姿は幻想的に映る。
大人になってから、こうやって先生と一日を過ごすこと。きっと、あの頃の自分が知ったら驚くだろうな。
しかも、クリスマスに買い物と遊園地なんてまるで恋人同士みたいだし、朝の奇妙な出会いからの一日を振り返ってみると、その不思議さについ苦笑が洩れる。
「今日一日、本当にありがとう。こんな綺麗な景色、本当は彼女と見たかっただろう」
「これはこれで一生のネタになったからいいよ。死んだはずのおじさん先生とクリスマス過ごしたなんて。友達に話したら、きっと笑う」
ちらりと腕時計を見る。
時計の針はちょうど八時を過ぎたところだった。
先生と一緒にいられるのも、もうあと少し。
静かに前を見るその横顔はずっと穏やかなままで、その表情からは、先生が今何を考えているのかは読み取れなかった。
かける言葉も見つからず、俺も視線を前に戻した。
ふと、視界の隅に並んで歩く二つの人影が見えた。
湖の手前、こちらから十メートルほど離れた歩道を左からゆっくりと歩いてくる。
多分高校生ぐらいだろう、まだどこかぎこちなさの感じられる二人を見ていると、こちらまでほのぼのとした気持ちになってくる。
そうしていつの間にか、そんな二人に出会ったばかりの自分と彼女を重ねていた。
初めて二人でここに来たのは、七年前か。
俺が急に押し寄せてきた感傷に浸っていた時、あれっ?と隣から小さな驚きにも似た声が聞こえてきた。
目を細め、ただ黙って、前を歩く二人を凝視している。
「どうかしたの?」
俺の問いかけにも応えず、しばらくの間一度もまばたきさえもせず見つめ続けていた。
そして、ちょうど外灯の灯りが男の子の顔を照らした瞬間、ようやく先生は全身の緊張をほどいて優しく呼吸をするように言葉を発した。
「あれ、圭介だよ」
張りつめていた顔中の筋肉、それが一気に緩み、いっぱいにしわを寄せて微笑む。
そんな先生とは対称的に、俺は突然の再会が信じられず、『ほんとに?』と間抜けな声をあげて、通り過ぎる二人を目で追いかけていた。
「ああ、見間違うわけない。背も伸びてたし顔つきも大人びてたけど、そうか、元気に育ってくれて、本当によかった」
優しく見守るような視線からは、再会の興奮を抑えている様子は感じられなかった。
それよりも、ただ純粋に包み込むような暖かさだけが伝わってくる。
「不思議だな、もっと、ぼろぼろ泣くもんだと思ってたけど」
そう言いながらも先生の目はすでに真っ赤で、今にも泣き出してしまいそうだったけれど、そこは指摘しないでおこう。
「ほんとに、今日は奇跡ばっかりだね」
歩いていく二人の先には広場があって、そこに着くと圭介くんは低い階段になった場所に腰をおろした。
見ると、周りには同世代くらいの子達が何人かいて、きっと圭介くんの友達だろう。
知っている顔を見つけたのか、『あそこで動き回ってるのはけんじだ』と先生は楽しそうに笑った。
『会いにいかなくていいの?』
先生の方を向いて、そう問いかけるつもりだった。
でも、先生の目を見たら、俺は何も言えなかった。
優しく微笑んでいるその目に光る涙。
それはきっと、喜びを表しているだけじゃない。
きっと先生は、
そんな根拠のない考えを見透かすかのように、少しの間をおいて、先生は囁くように口を開いた。
「生き返らせてもらっておいて、こんなこと言う資格はないけれど、でも、やっぱり辛いな」
先生の言いたいこと。
それはきっと、昼に公園で、夏樹さんが先生に別れを告げた時の気持ちと同じものだろう。
今日一日だけ生き返ったということ、それは同時に、もう一度別れを経験することを意味している。
さっき、圭介くんに話しかけられなかった理由。
すぐにでも、先生の家に向かわなかった理由。
逢って話してしまえば、より長い時間を一緒に過ごしてしまえば、それだけ別れは辛くなる。それは、生きている人間にとっても同じことだ。
もう一度、別れの辛さを味わわせてしまうこと。
静かに広場の方向を見つめたままの先生に、俺は何て声をかけたらいいのかわからなかった。
「ちょっとトイレ行ってくる、ジュースかなんか飲む?」
沈黙をうめるためにそう尋ねる俺に、『ありがとう。大丈夫だよ』と先生は手を小さく左右に振った。
すぐ戻るから、と告げてその場を後にする。
橋の途中で一度振り返った時も、先生はまだ圭介くんの方を見つめていた。
俺に、できることは何だろう?
紙コップ片手に、歩きながら考える。
先生が死んだ時、棺の前に立っても、俺はなぜだか泣けなかった。
まだ、何も恩返しできてない。
感じたのは、そんな深い後悔の気持ちだけ。
もしも夢が叶ったら、その時改めて先生に会いにいこう。
叶うかどうかもわからないのに、そう勝手に心に決めて、中学を卒業してから一度も先生には会わなかった。
先生の葬儀のあと家に帰って、押入れから、卒業式に二人で撮った写真を見つけた時、自然に涙が零れてきた。
話したいこと、いっぱいあったのに。
初めて親友と呼べる仲間に出会えたこと。
本当に愛する人と同じ時間を過ごせたこと。
『おれ、自分のことが好きじゃないんだ』
いつだかそう零した俺に、先生がかけてくれた言葉はずっと忘れられなかった。
自分を、少し認めてあげれたこと。
変わるきっかけをくれたのは、すべて先生だった。
『拓実は、なんか雰囲気が息子に似てるんだ。だから、拓実も、私のことは父親だと思ってくれていい。少し頼りないけど、もし悩みがあったら抱え込まずに、何でも話して欲しい』
俺が両親がいないことを気にかけてくれただけの、優しさだったのかもしれない。
けれど、不思議と先生の言葉からは、同情や憐れみ、という印象は全くうけなかった。
食事に連れて行ってくれたり、お薦めの映画のビデオをダビングしてくれたり、さすがに申し訳なくて断ったけど、一度先生のうちの夕飯に招待してくれたこともある。
俺がよく笑うようになったのは、先生のおかげだ。
いつの間にかジュースを飲み干してしまっていて、トイレの前にごみ箱を見つけ、そこまで歩いた。
そのとき、視界の端、ベンチに一人で座る人物に気づいて思わず足をとめた。
ほんとに、何なんだ今日は。
零れた苦笑をとめられずに、ベンチに近づく。
「一人でクリスマスに遊園地なんて、相変わらずロックですね。安藤先輩」
ギターケースを背負った、どこか哀愁ただよう背中に話かける。
缶ビール片手に振り向いた、黒ぶち眼鏡の安藤先輩は、俺の顔を認識してこちらと同じ顔で笑った。
「お前に言われたくないわ」
「バンドのやつが二日酔いとかで練習急遽中止になってよ。暇だから、きちゃったんだよ。
こういう場所でカップル見てるとフラストレーション溜まるだろ。そういう気持ちが、熱い音楽を生み出すわけだ」
聞いてもいないのに、先輩はビールを飲みながら語り始めた。
その言葉には、言い訳や負け惜しみ感は一切感じらず、むしろ誇らしさをも漂わせている。そんな先輩に、もはや敬意すら感じてしまう。
「本物のアーティストは違いますね」
「お前もやっとわかってきたじゃねえか」
先輩は、嬉しさを隠さずに頬をあげた。
「で、お前は何してんの?かなと仲直りしたの?」
さて、どこまで話そうか。と迷いながらも、俺はしばらく考えてからすべてを話すことにした。
朝から起きた出来事のすべて。
普通の相手なら話す気にはなれないことだけど、俺はわかっていた。
先輩なら、こんな突飛な話でも、間違いなく信じてくれる。
案の定、すべてを話したあとの先輩のリアクションは見事に予想通りのものだった。
「なるほど、クリスマスに死んだはずの恩師が蘇ったわけかロックだな」
もはや、ロックという言葉に意味なんかないのかもしれない。俺は思わず手渡されて、口に含んだビールを吹き出しそうになった。
「で、お前はその先生に何をしてやりたいんだ?恩返ししたいんだろ」
俺にできること。
先輩に言われて改めて考えた。けれど、考えるほど何も浮かんでこない。
頬杖をついた俺の耳に、どこからか音楽が流れこんでくる。
見上げると、近くに園内放送を伝えるためのスピーカーが設置されているのに気がついた。
近くのアトラクションのそばにも何箇所か同じように置かれていて、喧騒に静かに寄り添う程度の音量で、クリスマスらしさを演出するBGMが聴こえてくる。
先輩の方を見る。背中に担いだギターケースが目にとまる。
自分にできることか。
ふと浮かんだ考えに、首を振り苦笑した。
ほんと変なこと思いつくな、俺は。
思いつきを話そうと先輩に声をかけようとしたときだった。
ずっと記憶にかかっていたもやが、突然晴れたのは。
視界に入った先輩の手元には、この西の宮遊園地の無料入場券が握られていた。
「これ?前話したろ。毎年新聞屋の兄ちゃんがくれんだよ」
馴染みのある雪だるまと観覧車のデザインは、七年前からほとんど変わっていない。 そして、なぜだかそれを見た途端、忘れていたあの日の記憶がすべてはっきりと蘇った。 どうして忘れていたんだろう、こんな大切なこと。
やっぱり先生は、嘘をついていた。
「何、にやにやしてんだよ」
さっき浮かんだアイデアと、記憶を繋ぎ合せる。
果たしてうまくいくだろうか。
「先輩、今日の朝した約束覚えてます?」
俺の思いつきを説明すると、先輩は深刻な顔で考え込んだ。
そしてしばらくしたあとで、力強く親指をつきたてた。
「そういうの、嫌いじゃない」
なぜだか差し伸べられた手を渋々握り返していると、ふと近くのトイレの入り口から見覚えのある顔がでてきた。
あの子は、たしか、
「あの、」
反射的にその人物を呼び止めた。
眉をひそめ、戸惑いを浮かべこちらを伺う。
首からデジタルカメラをぶら下げた、茶色い髪の男の子。
やっぱり、さっき圭介くんのそばにいた男の子だ。
先生はたしか、けんじ、と呼んでいた。
「何ですか?」
どう説明したらいいだろう、
頭の中で考えを組み立てながら、精一杯怪しまれないように注意しながら話しかけた。
「圭介くんの友達だよね?ちょっと、時間いいかな?」