3章 小さな恋のメロディ
【浅野 圭介】
店内のBGMからは、今若者の間で人気のアーティストの新曲が流れてきた。
レジに立つ僕から見える位置で、店長が品出ししながらそれを鼻歌でなぞっている。
頭には僕と同じくサンタ帽がのっかっている。その姿が、白髪の生えたいつも優しい雰囲気の店長に似合っていて、見ているだけで心が和んでしまう。
受験に専念するため、休みをもらっていたコンビニのアルバイト。
人手不足を理由に久しぶりにシフトに入った店内は、昼のピークを過ぎた今では立ち読みのお客さんが一人居るだけになっていた。
今日がクリスマスということで、店の外では先輩が昼前からケーキの売り込みをしている。
きっと、夜になったらケーキを買うお客さんで忙しくなるんだろう。そんなことを考えながら、僕はこっそり携帯の画面を確認した。
それはバイトが始まる前にきた、クラスメイトの誠からのメールだ。
『お疲れ様。
今日の『にしみや』、けんちゃんに誘われて自分と佐江さんも行くことになったからよろしくね』
おそらく暇つぶしの相手を欲する健二から無理矢理誘われたのだろうけれど、友達想いの誠のことだから、きっと嫌な顔一つせず了承したはずだ。ましてや彼女である佐江も連れてきてくれるのだから、我々としてもクリスマスの遊園地に男同士で浮く心配もない。
しかし厄介なことに、佐江は健二と同じく僕とは小学校からの腐れ縁になる。男勝りな性格の彼女は健二と一緒によく僕をからかってきたものだ。そしてもう一つ厄介なことに、彼女は僕の片思いの相手、山本さんの親友でもある。
僕は画面をスクロールし、改めてため息をついた。
『追伸 山本さんも来れるそうです。
適当な格好でこない方がいいよ笑』
おそらく誠以外の二人は、彼女が来ることを内緒にしておいて、その場で慌てる僕の反応を面白がりたかったんだろう。
笑いを必死に堪える二人のしたり顔を想像すると、少し腹が立った。
「本当に来るんだ」
メールの文面に書かれた彼女の名前を見て、僕は一つ深呼吸をした。
僕が彼女に恋をしたのは中学二年のときだった。
隣のクラスに転校してきた彼女を、健二に連れられ興味本位で覗きに行って、ものの見事に一目惚れをした。
愛想のある自然な顔立ちに惹かれたのは事実だけど、そのときは、転校生という響きと、新しい環境に慣れず緊張しきった様子の彼女を見て、守ってあげたいという妙な男心が芽生えただけかもしれない。
でも共通の友達ができてから、彼女を知るうちに益々心惹かれていって、それから今までずっと、僕は彼女のことが好きだった。
実に、五年間の片思い。
健二には、『いつ最終回見れんだよ、このドラマは?』と散々からかわれてきて、僕はその度に答えを濁してきた。
高校の合格決まったら、だとか、卒業式までには、だとか。
本当はそんな勇気なかったくせに。
勇気もなければ、成功する自信もなくて、仮にもし上手くいったとしても、僕なんかじゃ彼女を幸せにはできない。
そんないくつもの言い訳を塗り重ねて、僕はいつからか彼女のことを諦めることができた。 心じゃなく、頭の中だけで。
中学三年で初めてクラスが一緒になって、そしてあの夏の日、本気で彼女のことを好きになって。僕はいつか口先だけじゃなく、本当に彼女に思いを伝えてみよう、と考えるようになった。
僕と彼女には好きな音楽という共通の話題があった。
その年のクリスマス。
系列のCDショップで対象のCDを購入すると、千枚に一枚の割合で年末に行われるフェスの参加券が封入されているという、一日限りのキャンペーンが行われていた。
もし参加券があたったら彼女を誘おう、そう健二と二人で勝手に盛り上がっていた。
結局あの日、チケットは外れてしまったけれど、その夜に呼び出した公園で、二人きりで他愛もない話をすることはできた。
それだけで心が一気に軽くなったのを覚えている。
もう一度携帯の画面を開く。つい三十分前、今度は健二から送られてきたメール。
『まことがばらしたらしいね。ドッキリしようと思ったのに』
そんな一文の後には、『好きなら好きと伝えよう』という趣旨の流行歌の歌詞が、一曲丸々書き写されていた。
勉強しろよ、受験生。
ため息混じりに文面を眺めながら、改めて考える。
例えば、文化祭の打ち上げで気がついたら彼女と同じテーブルにいたこと。
例えば、中学の卒業旅行で彼女と同じグループで横浜の中華街をまわったこと。
影ながら見守ってくれてるだけじゃなく、ときにはさりげなく(たまに少し強引に)アシストもしてくれる。
僕の周りにはいつも、応援し、支えてくれる友達がいた。
背中を押されてばかりなのに、一歩を踏み出すことに億劫になっていた。
そんな自分が、僕はずっと嫌いだった。
返信のボタンを押し空白の画面をしばらく見つめながら、深く息を吸い込む。
きっと健二がうるさいだろうな、
これから書こうとするメールの文面に、自分で思わず苦笑する。
気持ちが変わらないうちに、素早く文章を入力して、送信ボタンを押した。
「ちょっと、聞いてる?」
いきなり大きな声が聞こえてきて、驚いた拍子に携帯を地面に落としてしまった。
「すいません!」
頭を下げたまま急いでポケットにしまっていると、目の前から、ははっ、と短い、聞き覚えのある笑い声が聴こえてきた。
顔を上げるとそこには懐かしい顔があって、安心と嬉しさでほっと胸を撫で下ろす。
「なんだ、かなさんか。驚かさないでくださいよ」
「ごめんね、つい。でもそんなびっくりされるとやりがいあるなー。ただ、いくら暇だからってバイト中のメールは駄目でしょ?」
情けない所を見られてしまい、恥ずかしさで頭を掻きながらもう一度謝罪する。
「確認だけするつもりだったんですけど、ほんとにすいません」
「ここの店長、昔から優しいからみんな気ぬいちゃうんだよね。そだなー、じゃあできたてのあんまん四つでクレームはいれないであげよう」
「四つ、ですか?」
大好物ですから、と満面の笑みのかなさんに、僕は苦笑しながら頷いた。
僕がここでアルバイトを始めたのは、高校に入学して最初の夏休み。自宅もこの近くというかなさんは、そのずっと前からのこの店の常連さんだったらしい。
「髪黒くしたんですね」
およそ半年ぶりに会ったかなさんを見て、随分感じが変わったな、という印象をうけた。
もともと僕より七つ年上ということは知っていたけれど、なんというか前よりも大人っぽくなったような気がする。特に、出会ったばかりの頃に比べると。
初めて会ったときのかなさんの印象は、正直少し怖かった。
もっともそれは、緩くパーマがかった明るい髪と耳元のピアス。そういった外見だけのもので、すぐに優しくて気さくなお姉さんだと知った。
いつも笑顔のかなさんを見ているとこっちまで元気をもらえる気がして、わずかな時間だけど、僕はかなさんと話す時間が好きだった。
「職場は今、南町の方なんでしたっけ?」
紙の袋を広げて、そこに一つずつあんまんを詰めながら尋ねた。
「そう。おかげさまで、この年でようやく就職できました。たまに仕事帰りにここよるんだよ。でも、事務仕事はしんどいね。パソコンは今のうち勉強しといた方がいいよ」
袋一つに全部入れちゃって、と嬉しそうに言うかなさん。
こんな小さい体のどこに入るんだろう、と改めて感心してしまう。
「前の職場には顔出したりします?」
そう言って、僕は入り口から正面に見えるCDショップに顔を向けた。
かなさんはほぼ毎週バイトが終わる度に、そこからこっちのコンビニまで夕飯を買いにやってきていた。
「うん、この前挨拶がてら久々に行ったんだけど、ちょっとしか経ってないのに結構人変わっちゃっててびっくりした。時が経つのって怖いね。今、おばさんみたいなこと言ってんな、って思ったでしょ?」
「そんなこと思ってないですよ。それに、かなさんまだ全然若々しいじゃないですか」
「若々しいって。でもお世辞上手くなったじゃない。しょうがない、今の優しさに免じておごりの話は無しにしてあげよう。もう社会人なんで、自分で払います」
僕としては、本心で言ったつもりだったのだけれど。
せっかくなのでその言葉に甘えることにして、僕は、助かります、ともう一度頭をさげた。
「そういえばアンディーから聞いたけど、、今日このあとデートなんだって?」
帰り際、入り口に向かう足を止めて、かなさんは思い出したように尋ねてきた。
突然の質問に僕は思わず口ごもってしまった。
なんで先輩がそれを知ってるんだろう?
店の外、通り沿いに立つ先輩を見る。
安っぽさ漂うトナカイの着ぐるみを着た、通称アンディーこと安藤先輩は、昨年と同じ様に、道行く人にケーキの売込みをしていた。
ちなみにアンディーというあだ名は洋楽かぶれの先輩本人がそう呼んでくれ、とリクエストしたもの。『おれ、外人に生まれたかったんだよ』が口癖の先輩を本名で呼んでいいのは、先輩が認めた数少ない相手だけ。とめんどくさいルールがあるおかげで、うちの従業員はみんな結構気を遣っている。
「もしかして図星?なんかあいつが、圭介君の様子がいつもと違うからデートじゃないか?って勘ぐってたからさ」
「鋭いですね」
もう結構長い付き合いになるけど、先輩の意外な洞察力の鋭さに、僕は初めて驚かされた。
今まで、お客さんの誰それには彼氏ができたとか、駅前のケーキ屋の子は今フリーだとか、そういう読みは一度もあたったためしがないのに。
僕は、諦めて本当のことを話すことにした。
「たしかにこのあと予定はありますけど、でも、彼女とデートってわけじゃないんです」
「まだ狙ってる段階の子と遊ぶのも一応デートだよ?」
「なんでわかるんですか?」
「まあ、一応女性だからね。
それに圭介くん、わかりやすいもん」
昔から散々周りに言われ続けてきたこととはいえ、ここまではっきり言われると、なんだか情けなくなってくる。
「でも、片思いなんて青春真っ只中じゃない、羨ましい。私も高校生の頃思い出すわ」
いいなー、としきりにこぼした後で、こちらに親指を突きたてながら、かなさんはこう言い残して店をあとにした。
「大好きな人と過ごせば、なんてことない日でも大好きな一日に変わるからね。
いい恋して、『大好き』に飾られた素敵な毎日が送れるよう、おばさんも影ながら祈ってます。頑張りなよ」
そのまっすぐな言葉が素直に嬉しくて、僕は心の底からありがとうございます、とお礼を言った。
それから、かなさんは外でなにやらアンディー先輩と談笑をして、明るい表情のまま駅の方へと歩いていった。
多分、先輩のふてくされた表情を見るに、着ぐるみ姿をからかっていたんだろう。
以前からなんだかんだで仲のいい二人のやりとりを想像して、僕もつい顔が綻んだ。
「駄目だ、今年は。全然売れないぞ。つぶれるな、この店」
休憩の時間になって事務所で軽い食事をとっていると、今日の仕事を終えたアンディー先輩が縁起でもないことを口走りながら戻ってきた。
今日の外の気温は、朝からずっと低いままだった。
とはいえ、着ぐるみ姿で動きまわる先輩には関係ないのか、しきりに、暑い暑い、と繰り返している。
「お疲れ様です。よかったら、飲みます?」
どうぞ、とまだ蓋を開けていないペットボトルのコーラを手渡した。
トナカイの被り物を取り外しながら、先輩はさんきゅ、とそれを一息に飲み干した。
昨日も夜十二時まで働いていたはずで、ここのところほぼ毎日シフトに入っているらしいから、その表情にはさすがに疲れの色が滲んでいる。
大きくあくびをする先輩を見るに、きっと昨日もバイトが終わってから飲み歩いていたんじゃないか、と僕は心配になってしまう。
「帰ったらゆっくり休んでくださいよ」
もういい年なんですから、そう付け加えようかとも思ったけれど、本気で殴られたら嫌なのでやめておいた。
「気ぃつかってくれてんの?つってもこのあとスタジオ練習だから寝れないんだけどな。まあその分、明日三十時間ぐらい寝だめしてやるから心配すんな」
わははっ、と豪快な声をあげてアンディー先輩は笑う。
僕と十以上も歳の離れた先輩は、時折こういう子供じみたことを口にする。
お酒が入ると面倒くさいという部分を除けば、義理堅く根は優しい先輩だから、従業員の間でもお客さんからもなんだかんだで人気がある。
「スタジオ練習ですか?バンドやめたって聞きましたけど」
つい最近耳にした後輩からの情報では、先輩は来年から知り合いの会社で働くことになったということだった。
それでバンドも解散したと聞いたから、てっきりもう音楽はやめたのかと思っていた。
「あぁ、といってもサポートとして参加するだけだし、それにみんな趣味でやるだけだけど。まあおれは九十になっても音楽はやめねえよ。ジミヘンも真っ青の『歯抜けギター』っての見せてやるから、お前もそれ見るためだけに長生きしろ」
どこまで本気なのか分からないけど、その言葉を聞けて、僕は内心ほっとした。
今まで先輩のライブを見に行ったことはないけれど、先輩がどれだけ音楽を愛しているかというのは充分に知っている。
それほど詳しくない僕に、洋楽のよさをあつく、無邪気に語ってくれる先輩の表情が、僕は一番好きだった。
「さっき、かなさん来ましたね。話しました?」
「おれの腹見て、トナカイにしては運動不足なんじゃないの?って。その腹ならやっぱりサンタのが似合うだとか、騒がしい女だよ」
しかめっ面でお腹をさする先輩に、白いひげをつけた姿を想像してみる。
その格好は確かに似合いすぎていて、僕は思わず吹き出しそうになるのをなんとか堪えた。
「あいつから聞いたぜ。夜でかけんだって?大事な人と」
なぜだかこういう話をするときの先輩は、きまって嬉しそうな顔をする。
別に内緒にすることでもないから、僕はこのあとの予定を話した。
「いいなー、楽しそうで。おれもこっそり行って、さりげなく混ざってていい?」
「ほんと勘弁してください」
「冗談だよ、冗談」
休憩もそろそろ終わりの時間になって、僕はふと気になっていたことを思い出して先輩に尋ねてみた。
「そういえば、かなさんの彼氏さんって、昔ここで働いてたんですよね?」
いつだったか、一度だけ店長がかなさんの彼について話してくれたことがあった。
その恋のキューピットの役割をしたのが、アンディー先輩だとも聞かされたのだけれど、正直そこの部分は信じていない。
私服に着替え終わった先輩は、黒縁眼鏡をはずし、額に冷えたアイスをのせてくつろいでいた。
「ああ、前にな。
今日は寒いから家にひきこもるっつってたけど、どうしてんだか。
優柔不断でどうしようもないやつだけど、音楽の趣味は合う」
何かを思い出したようにうっすらと顔に笑みを浮かべながら、先輩はその彼について話してくれた。
「あいつら二人とも、繊細なうえに頑固で意地っ張りなとこもあるから。今日だってクリスマスだってのにまだくだらないことで喧嘩してるし。周りは世話焼くよ」
「繊細ですか」
今まであまり深く踏み込んだ話をしたことはないとはいえ、いつもポジティブなかなさんからは、あまり想像できない言葉だった。
「喧嘩って、大丈夫なんですかね?」
「さあ。まあ別れたら、おれとしてはそっちのが面白いからいいよ」
そう言って先輩は笑いながらアイスを頬張っていた。
僕は、人の揉め事で笑うなんて不謹慎だ、と口にはせずに心の中で突っ込みをいれた。
「じゃあな。もし上手いこといったらメールしろよ。お祝いに俺のトナカイ姿の写メ送ってやる」
結局、最後まで上機嫌のまま、先輩は店をでていった。
壁にかかった丸時計を見る。
待ち合わせの時間まで、もう四時間をきっていた。
上手くいくといいけど、
大きく息を吐き出して、もう一度制服に着替えた。
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