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君に捧げるいつかの鼻歌  作者: 喜屋武朝
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エピローグ 星に願いを

息を切らしながら、公園へと続く石畳の道を、かなは走っていた。

 途中かかとの折れたヒールは、今は左手の指の間に挟んでいる。

 裸足で走る彼女へ注がれるすれ違う人の好奇な眼差しも、彼女には気にしている余裕なんてなかった。

 頬をあたる外の空気はきっと冷たいはずなのに、心臓が、体中が熱いせいでその感覚がわからない。

 それはきっと、お酒のせいだけじゃないはずだ。

つい数分前まで感じていたアルコールによる頭の痛みは、今は全く感じられない。


 ・・・本当に逢えるんだ。


 右手に握られている、『Candy Store』 という店名が印刷された紙袋。

 友人のみづきたちと食事をした帰り、アパートに着いたかなはドアノブにぶら下がったそれを発見した。

 袋の中には、金色のリボンでラッピングされたハートのシールがついた緑の包みと、短い文章に可愛らしい犬の絵が添えられたメモ用紙が入っていた。

綺麗で温かみのあるその筆跡は、紛れもなく彼のものだ。

包みを開いた途端涙がこぼれた。それを拭うこともせずに、かなはアパートの階段を駆け下りた。


『勇気がなくてごめん

あまり時間はないけど、今日のうちに話しておきたいことがあるから

初めて告白した場所で待ってます』


メモ用紙に書かれた言葉は、今でも携帯の中に残っている誰にも見せたことのないあのメールと同じ文面。

一年前の夜に届いたそのメールを、かなはまだ消せずにいた――



 ――一年前の十二月二十六日。

その日、拓実は仕事を片付けるとまっさきに駅へと向かった。

ホームのベンチに座りメールを打ち終えたあと、缶のオレンジジュースを飲みながら電車が来るのを待っていた。

いきなりこんなメールをもらって、彼女はどんな反応をするだろう。

その年の春、彼女と最後の喧嘩をした日、距離をおこう、ともちかけたのは自分の方だ。

彼女を守れるくらい、自分に誇りをもてる男になったらまた迎えに行こう、そう決心してから、もう半年以上が経っている。

その間、一切連絡はとらなかったから、彼女がまだ自分を思ってくれているかはわからないし、他に好きな人ができていたとしても、それを咎める権利なんて自分にはない。

でも、今やっとまともな仕事を見つけて、まだ半人前だけど、前よりも胸をはって生きれるようになったから、もしまだ彼女が待っていてくれてるなら、せめて変わらないこの気持ちだけでも伝えたい。

仕事前に買っておいた花束と、シルバーの指輪が入った箱を眺める。


『人生なにごともドラマチックな方がいいんだ。特に恋愛に関しては』

昔恩師に教えてもらったその言葉。

演出のためにプレゼントを用意したのはいいけど、今の仕事に区切りがついてから、と勝手に決めていたおかげでクリスマスに間に合わなかったこと。

きっと、彼女は責めるだろうな。

ふくれる彼女の顔を想像して、拓実はため息をつきながらも、その頬には自然と笑みが浮かんでいた。

目をとじて、初めてデートに誘った七年前のことを思い返していると、拓実の耳に賑やかな笑い声が聞こえてきた。

視線を向けると兄妹らしき幼い子供たちが、どこかで落ちていたのを拾ったのか、派手な蛍光色のリボンを取り合いながら、母親の近くを駆け回っていた。

拓実は微笑ましいその光景を静かに眺めていた。

すると、突然なにかのはずみでもっていたリボンが線路に落ちた。

泣き出しそうな顔の女の子に、お兄ちゃんは焦った顔で何やら声をかける。

危ないと思ったときには遅く、男の子は周りを見渡すこともせずに線路へと飛び降りた。

自分以外に誰も気付いてない、

それからすぐに電車の到着を告げるアナウンスが聴こえてきたと同時に、拓実は地面を蹴っていた。


一度意識が途切れ、次に気がついたとき、拓実はさっきと同じホームの上にいた。

周囲には、悲鳴と泣き声が至るところで轟いている。

さっきの子は?

気になって辺りを見回す。

すると、階段のそばでうずくまったまま泣きじゃくり、救急隊に手当てをうける男の子の姿があった。

幸い、線路に落ちたときの衝撃で足を痛めた程度で、他に大きな怪我はしていないようだった。

耳に入ってきた話だと、どうやら動けなくなった男の子を自分がホームの下のスペースに突き飛ばしたらしい。

拓実は安堵して、胸を撫で下ろす。

自分がどうなったのか。

それは、すぐに理解することができた。


 ・・・もう、消えちゃうのか。

感覚のない手足を見る。

徐々に色彩を失くし、実体が薄れていく。


あの子が助かって本当によかったし、正直もうちょっと生きてたかったけど。子供を救って犠牲になるなんて、どっかのヒーローみたいなカッコいい最期も、まあ悪くないか。

でも、色々悔いの残る人生だったな。

正ちゃん先生に、ちゃんとお別れ言いたかった。

あのとき約束したような立派な大人にも、まだなれてない。

そういえば、安藤先輩にもちゃんと感謝の言葉言ったことなかったな。

それに・・・


視線を足元に向ける。

そこには踏みつけられた花束と、蓋が開いてむき出しになった指輪が無造作に転がっていた。


『夢でもいいから、もし逢えたら、』

次第に意識が遠ざかっていく。


『伝えたいこと、いっぱいある』

その思考を最後に、拓実の意識は完全に途絶えた――



 ――公園の敷地内に到着した頃には、ベンチの脇に立てられた丸時計の針はすでに十一時をまわっていた。

かなは、芝生を横切り公園の奥へと走った。

草の茂った通り道を抜けると、少し開けた場所にでる。

『月見岩』という大きな一枚岩があるだけのその空間は、地元の人間にとってはちょっとした展望台のような場所になっていて、かなの視界には、さまざまな色の輝きを放つ夜の街並みが広がっていた。

 あのときと、同じだ。

呼吸をするように、そっと足を踏み出したかなの視線の先。

その場所に、拓実は初めてデートしたあの日と同じように、月見岩の上に腰掛けて、広がるその景色を眺めていた。

七年前、あのクリスマスの夜にアルバイト中のCDショップで誘われた遊園地。その帰り道に、二人で眺めた月見岩からの夜景。

気配に気付き、拓実はゆっくりとこちらに振り返る。

一度柔らかく笑ったあと、照れくさそうに右手をあげた。

 「登れる?濡れてて、ちょっと滑るから気をつけて」

差し伸べられた手を素直に掴み、かなは高さ三メートルほどのその岩をよじ登った。

バランスを崩して転びそうになるのを拓実に支えられながら、どうにか窪みの少ない平らな部分の上に立ち上がる。

ちょうど二人が腰掛けられるほどの広さだ。

腰をおろそうとしたところで、拓実は巻いていたマフラーを外して、かなが座ろうとした岩の上に敷いた。

「ありがとう。でも、これ、やっぱり勝手に私の部屋入ったでしょ?」

「ごめん。もう自分のアパート戻っても、部屋ないと思ったから。でも、このマフラーはもともと俺のだったんだからいいでしょ?

そうだ、あと合鍵の隠し場所は変えなよ。植木鉢の下じゃベタだし、防犯上よくない」

本当に心配してくれてること。真剣な口調から、それが充分に伝わってくる。


「目が覚めたら、あのときと同じ格好で駅のホームにいたんだ。どうしたらいいかわかんなくて、ふらふら駅前を歩いてたら、ばったり安藤先輩に逢っちゃってさ。

第一声なんだと思う?『よう、おかえり。とりあえず飲み行くか』だって。今まで色んな人に会ったけど、やっぱりあの人が一番変わってる。

それからは、ほんと夢みたいな一日だった。

きっと不幸な死に方した俺に、同情したんだろね。

天使かサンタさんかわからないけど、生き返らせてくれたうえにもう一つ、絶対叶うはずない願いまで叶えてくれた。先生に、もう一回あえるなんて。おかげでちゃんとお別れ言えた。たまには命もかけてみるもんだ。・・・お腹空いてる?」

脇に置いてあったビニール袋から、「クリスマスケーキ」とはにかみながら、白い紙の包みを取り出した。

中身が何なのか、かなにはすぐに予測できた。

表情を変えずに、わざと無愛想に首をふる。

「いらない。今日、それもう食べたから」

「あら、もしかしたらと思ったけど、やっぱりか。ほんと昔から好きだよな」

拓実は優しく笑みを浮かべると、包みからだしたあんまんを頬張った。

小さく、あつい、と独り言を呟き息を吹きかけるその姿を見ているうちに、かなは溜め込んでいた思いをぶつけようと身構えていた自分が、急に馬鹿らしく思えてきた。

『なんで、もっと早く逢いに来なかったの?』

『逢えなかったらどうするつもりだったの?』

そんな文句をすべてぶつけるつもりだったのに、、

いざ彼を目の前にしたら、逢えたことへの喜び以外、何も感じられない。

拓実の前に、手を差し出す。

我慢するなよ、と笑ったあと、半分にちぎったあんまんをかなの手にのせた。

ありがと、とかなはようやく笑顔を見せる。


「昨年のこと、ちょっとした話題になったんだよ。小さな記事だったけど、週刊誌にもとりあげられたし」

「そうみたいだね、『会社帰りのサンタクロース、命の贈り物』でしょ?安藤先輩が笑ってた。どうりで夏樹さんまで俺のこと知ってたわけだ。

あっ、あとかなの憧れのラジオDJにもなってきた」

そう言って、拓実は朝からの出来事を途中何度も思い出し笑いを浮かべながら、愉しそうに語りだした。

その横顔を、かなは優しい気持ちに満たされていくのを感じながら見つめていた。

子供みたいな無邪気な笑顔は、あの頃と変わってないな、


「あのさ」

話を終えたあと、一瞬間をおいてから、拓実はぽつりと口を開いた。

冷たいはずの風が、頬にあたる。

どちらからとなく握り締めていた手の温もりが、その感覚を薄れさせてくれる。

「俺のことは、気にしないでいいから、新しい恋もしなよ。

完全に忘れられたらちょっと悲しいけど、どっか頭の片隅にでもおいといて、時折どうしようもなく寂しくなったら、都合のいいようにひっぱりだしてくれればいいから。

かながいつかこっちの世界来て、もしまだ俺のこと覚えてくれてたら、

そのときはもう一回こうやって隣に座って、天国の夜景でも眺めよう」

すぐには何も言えなかったけれど、拓実の眼差しに促されるように、ゆっくりと頷いた。

「そのうちね、結構私もてるんだから。合コンの誘いも多いし。こないだだって、、」

言い終わる寸前で、ずっと堪えていた糸が千切れる。

瞳をとじて涙を押し流すと止まらなくなって、その背中を拓実が優しくさすった。

「涙がとまる魔法の唄」そう言って嬉しそうにかなの持ってきた紙袋からリボンを外すと、中からオルゴールをとりだしてネジを回した。

二人の膝の上に置かれた、その小さなオルゴールからは、二人の大好きな音色が耳に優しく馴染んでくる。

「あんまり泣いてばっかりいたら、今度夢に化けてでるよ」

ゆっくりと、同じテンポで流れるその曲が、二人の間で繰り返し響きわたる。

「約束だよ」

かなは首を傾け、拓実の肩に頭をのせた。


土手沿いの川に映る光の轍

街全体が作る優しい色合いのイルミネーション


ふと何かを思い出したのか、そういえば、とかなが涙を拭いながら口を開く。

「さっきアンディーからきたメール。たくみに伝えといて、って」

このメールを見た彼がどんな反応をするのか、笑いを堪えながら、かなは画面を開いたまま携帯を差し出した。


『60年後ぐらいにまたセッションしようぜ じゃ、おやすみ

from  安藤 和人』


昔から変わらない、絵文字も何も使われてない素っ気ないメールの文面を、拓実は半ば呆れた表情で眺める。

「天国でまで、あの人に会いたくないな」

笑みをこぼしながら呟いて、拓実は夜に浮かぶ街並みに視線を戻した。

十二時になったら、観覧車の灯りは消えてしまう。

そして、きっと自分自身の体も

でも、まあいいか。幸せだったから


かなはちらりと拓実の横顔を覗き見る。

空を見上げて静かに鼻歌を口ずさむ姿は、まるで夜空の線譜に引かれた星を音符に見立ててなぞっているかのように、かなの目に映る。

意識を澄ませば、両の耳にそっと流れてくる鐘に似た音色と、拓実の鼓動と小さなハミング。

子守唄のような優しいその響きを聴きながら、かなは泣き顔を茶化されないようにそっと瞳をとじた。

~fin ~


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