7章 ハッピー・クリスマス
【浅野 圭介】
佐江に呼び出された場所、そこは初めに乗ったコーヒーカップのそばだった。
閉園時間が近づき、人影の減った園内を歩いているうちに、指定された場所にたどり着く。
幼児向けの、小さな飛行機をかたどったアトラクションの前。
二人掛けのベンチの上には、山本さんが一人で腰掛けていた。
にぎやかにはしゃぐ子供を見つめて、目を細めている。
やっぱり、こういうことか。
佐江のしたり顔が頭に浮かび、思わずため息がこぼれる。
協力してもらうのは本当にありがたいけど、ここまであからさまだとな、
ベンチのすぐ脇には高さ三メートルほどの飾り付けされたツリーが置かれ、その正面左手、見上げる位置に大きな観覧車が色鮮やかな光を放っている。
段々と早くなる鼓動を紛らわせようと、周りの景色に視線を巡らせたけれど、うまくいかない。
一度は決心したはずなのに、臆病の虫が顔をだす。
考える前に動かないと。今行動しないと、きっと一生変われない。
でも、どうやって切り出そう?
うまく言葉にできるだろうか?
ごちゃごちゃと巡る気持ちの整理がつかないうちに、僕の足はベンチのすぐそばにまで近づいていた。
気がついて僕の方に顔をむけた彼女に、精一杯の笑顔をつくり、声をかける。
彼女は一瞬、あれっ?と戸惑いの混じった表情をしながらも、小さく手をあげて応えてくれた。
「圭介くん、一人?他のみんなと一緒じゃないんだ?」
「えっ、うん、多分まだ広場の近くにいるんじゃないかな」
「そうなんだ。佐江に、みんなで写真とるから呼んでくるって言われたんだけど、」
こういう嘘を、よく思いつくもんだ。
「ああっ、なんかまこがまだ体調もどらないみたいでさ。先行ってて、って言われたんだ。きっと、すぐ来るよ」
話の辻褄を合わせるために、僕も嘘をつく。
心配そうな顔に、もう少しましな嘘をつくんだった、と小さな罪悪感を覚えた。
彼女に促されて、僕も隣に腰をおろした。
すぐ隣にある、小さな彼女の顔。
僕は直視できず、ただ自分の足元だけを見ていた。
待ち合わせのときにも、つい何分か前に一緒に湖の周りを歩いたときにも、自然に笑えて話せたのに。今は緊張で張りつめた気持ちに隠されて、喋る言葉がほとんど見つからない。
そんな気持ちが向こうにも伝わったのか、それともこれから僕が告げようとしている話の内容を察したのか、彼女の表情もどこか堅く、ぎこちなく感じた。
彼女も、一生懸命沈黙を埋める話題を探しているみたいだったけれど、どちらも何も言葉が見つからないまま、時間だけが過ぎていく。
これ以上彼女に気を遣わせないよう、僕はまだ頭の中で言葉を組み立て終わらないうちに、意を決して、口を開いた。
「山本さん、あのっ」
距離感を無視した大きな声に、彼女はびくりと肩を震わせこちらを見た。
『自分の気持ちを、どんな形でもいいから伝えようと思う』
バイト中に、健二に送ったメールの内容。
今日ここに向かうバスの中でも、何度も心の中でその気持ちを繰り返してきた。
それなのに。
近くで彼女の顔を見た途端、恐れていたもう一つの自分が突然顔をだす。
『自分のことも好きになれないのに、他の誰かを好きになる資格なんてあるの?』
今日一日、ずっと無視してきたはずのネガティブな自分。
重要な行動を起こそうとするときに限って邪魔をする。
言葉につまった僕の顔を、山本さんが見つめていた。
その表情を見ながら、もう一度、誠や健二のかけてくれた言葉を思い出す。
自分の弱さに言い訳するのは、もうやめにしよう。
気持ちを奮い立たせて、もう一度口を開こうとしたとき、突然園内にあるスピーカーから、賑やかなラジオのジングルのようなBGMが聴こえてきた。
「なんだろう?これ」
二人とも、不思議に思ってその音に耳を傾ける。
「園内にご来場の皆様、こんばんわ。えーっと、今年のクリスマスから始まった企画なんですけど、当、西の宮遊園地では事前にお客さまから唄のリクエストを募りまして、その、、曲を演奏してお届けしよう、と。まあ簡単に言うと、ラジオ番組みたいなものです」
ゆっくりとしたテンポで話す、若い男の人の声。
ラジオのDJにしては声が小さかったり、言葉に詰まったりで、とてもぎこちない喋り方に、僕と山本さんは顔を見合わせて笑った。
でも、なぜだろう?
聞いていると、不思議と胸の奥が暖かくなってきて、同時に懐かしさに似た感覚に包まれる。
この声、どこかで聞いたことがあっただろうか。
「今日は時間の都合上、一つのリクエストしか流せないんですが、そこはご了承下さい。では、えー、早速、頂いた葉書を読み上げたいと思います。これは、二十五歳の男性から。少し長くなりますが、BGMの代わりに、楽な気持ちで耳を傾けてください――」
思い出そうとしても結局思い出せなくて、きっと気のせいだろう、ともう一度スピーカーの声に意識をむけた。
「――これは、中学生のとき僕のクラスをうけもった、大好きな担任の先生の話です。
その人は父親ほど歳の離れた人なのに、何でも悩みを話せる親友のように接することができる、今考えると、本当に不思議な先生でした。
ある日、僕は先生に『ギターを教えてくれないか?』と相談されました。
何でも若い頃、少しギターをかじっていたらしいのですが、今ではすっかり忘れてしまった、だから教わりたいということでした。
僕もほとんど腕に自信はないと前置きしながらも、最終的にその話を引き受けました。
それから週に一、二回、僕と先生は放課後の空き教室を使って、二人でギターを弾きました。
いざ弾いてみると、二人とも同じような腕前で、教えるというよりも二人で一緒に練習した、という表現の方が合ってるかもしれません。
それからの数ヶ月間は、今思い出してみても最高に楽しい時間でした。
二人きりの教室には、次第に他のクラスメイトたちも興味半分で見学にやってきました。
人見知りで、友達も少なかった僕は、最初のうちは彼らとうまく話をすることができませんでした。
けれど、同じ放課後の時間を共有していくうちに徐々に打ち解けていき、彼らとはいつしか本当の親友と呼べるまでの関係になっていきました。
その場所で、僕たちは色々な話をしました。
将来の話。友達の話。恋の話。
色々な言葉をかけてもらったけれど、忘れられない言葉が二つあります。
『おれ、自分のことが好きじゃないんだ』と、いつか教室で話したことがありました。
そのとき何に悩んでいたのかも、どんな経緯でその言葉を言ったのかも覚えていません。
きっと後ろ向きな自分の性格に嫌気がさしていて、
捉えようのない不安が日常の中で、澱のように溜まっていて、
ふとした瞬間につい零れてしまったんだと思います。
先生はギターを弾いていた手をとめ、僕の顔に視線を傾けました。
それは、普段と温度の変わらない、温かくて優しい眼差しでした。
『どんなに嫌いでも、それが自分を作ってくれた景色だから、目をつむっちゃ駄目だよ。
まず嫌いなところを好きになって、それで時々そんな自分と喧嘩して。
そうすれば、気負わなくてもいつかは受け入れられるし、変えていけるから。
だから、今はいっぱい悩んでいい』
着心地の悪い衣服を脱ぎ捨てたように、その瞬間に気持ちがすっと軽くなりました。
今でも、自分に迷ったとき、僕はその言葉を記憶から引っ張り出しています。
そして、もう一つの言葉は僕が先生に恋の相談をしたときにかけてもらった言葉です。
当時、塾で出会った女の子に一目惚れした僕は、彼女に告白しようか迷っていることを先生に相談しました。
すると先生は、奇跡を起こす簡単な方法があるんだ、と前置きしたうえでこう言いました。
『「奇跡」っていう字には、『足』と『口』が入ってるんだよ。
つまり、大切なのは一歩足を踏み出して、勇気を振り絞って口を開くこと。
もし万が一うまくいかなくたって、自分を変えようとしたその跡は、ずっと光り輝いて残り続ける。それだけで充分な奇跡なんだ。
なんか、今珍しく教師っぽいこと言ったね』
微笑み混じりにくれたその言葉のおかげで、少し時間は経ったけど、僕はその子に想いを伝えることができました。
先生がくれたたくさんの言葉は、どれだけ時が経っても、僕にとっての大切な宝物です。
そんな先生と過ごした最後の放課後、僕たちは二人だけでセッションをしました。
せっかくだからオリジナルを。という先生の無茶な作曲依頼に答え、一ヶ月かけて生まれて初めて自分で曲を作りました。曲はクリスマスが近かったので、クリスマスソングです。
唄うのは先生で、僕は恥ずかしさというより、熱唱する先生を見ているのが楽しくて、途中小さくコーラスをいれながら、ギターの伴奏に徹していました。
そのときの歌声は、記念にカセットに録音して、二人だけの秘密と約束をして大切に引き出しにしまってあります。
―卒業してから十年近く経って、今先生が何をしてるのかはわかりません。
でも、三年前に一度だけ、先生の話をききました。
その年のクリスマスの夜。
当時、僕の彼女が働いていたCDショップに、ケーキの箱をもった細身の、背の高い男性がやってきたそうです。
店に入ってきたその男性は、しばらくそわそわと店内を見回したあと、人目がなくなったのを確認してから、CDを五枚も持ってレジへとやってきました。
見ると、それらはどれも同じアーティストの、同じCDだったそうです。
不思議に思った彼女に、照れ笑いを浮かべながら、男性は言いました。
『息子がファンなんです。それと、今買うともしかしたらライブのチケットが当たるかもしれない、と、実は昨日の夜、息子が友達と電話で話しているのが聞こえてしまって。
もし当たったら好きな子と一緒に行きたい、って言ってたんです。
それで、万が一当たったら喜んでもらえるかな、と思いまして。最近父親らしいことをしてないから、ちょっとでも笑顔を見せてもらえたら、嬉しいんですけどね』
その笑顔を見ていたら、私まで協力したくなってきた、と彼女は楽しそうに話していました。
確かにその日発売したそのCDには、千枚に一つという確率ではあったけれど、年末に行われるプレミアムライブのチケットが入っている、というキャンペーンをやっていました。
彼女と男性はその場で買ったばかりのCDの封を開け、一緒に中身を確認しました。
けれど、結局チケットは当たりませんでした。
残念がる彼女に、その人は何度もありがとう、と頭をさげて、手伝ってくれた御礼に、とそのCDを一枚プレゼントしてくれたそうです。
『そのCDを全部息子さんに渡すのは、流石に照れくさかったんじゃないかな』
そう彼女は、愉しそうに推測していました。
店をでる男性に、「これから家族とお食事ですか?」と尋ねた彼女に、男性は、「その前に寄り道していきます」と最後にいいました。
大好きな思い出の場所があるんです、と。
『そこから見る星空が、息子との大切な思い出なんです。
だから、あの子の恋が叶うように、こんな日だから、願い事でもしてきます―』
家に帰ってきた彼女からその話を詳しくきいて、僕は、きっとその人は先生だ、と確信しました。
何年経っても、あの優しい性格が変わってないことを知れて、本当に嬉しかったです。
もし、また逢えることがあれば、僕の人生を素晴らしいものに変えてくれた先生に、心の底からありがとう、と言いたいです。
今日リクエストした曲は、そんな先生との大切な思い出の曲です。
もしかしたら、先生がどこかで聞いてくれていることを願っています。
それでは、聞いてください――」
湿った鼻の野良犬レノン
サンタのおじさんに拾われて
トナカイたちとそりの遊び
それ見て微笑むサンタのおじさん
赤鼻つけた野良犬レノン
聖夜のヒーローにあこがれて
トナカイたちとそりの練習
優しくうなずくサンタのおじさん
そして今年のクリスマスは2人最初のお仕事
道に迷っても 汗流して どうにかひと仕事
方向音痴のトナカイレノン
子供たちのために毎朝ジョギング
サンタのおじさんも一緒になって
そのあとみんなで地図の勉強
白髪の生えたトナカイレノン
昔のようには走れなくても
聖夜の仕事が大好きだから
今年も2人で大忙し
だけど20年後のクリスマスで2人最後のお仕事
時間通り プレゼント届け 迷わずひと仕事
ところが「もう一軒」とサンタのおじさん
不思議に首かしげ走るレノン
着いた浜辺に珊瑚の星
空には輝くピンクのオーロラ
迷ったおかげで出会えた景色
20年分の恩返し
トナカイたちが奏でるオーケストラ
素敵な星空のプレゼント
「今までほんとうにありがとう」
二人で眺めるメリークリスマス
――耳になじんだそのメロディーが体中に染み渡っていく。
透明な空間にゆったりと漂うようなアコースティックギターの音色。
それに、上手いとは言えないけれど、芯の通った味のある歌声が重なる。
いつの間にか目尻から零れていた涙を拭うこともせず、園内に響き渡る、きっと僕しか知らないその音楽に耳を傾けていた。
さっきの話、きっと父さんのことだ。
『ここが、この街で一番高い場所だから
父さんも小さいときから、家族に内緒で、よく一人星を見に来てた』
あの夏キャッチボールをしたときにした、星を見ようという約束。
その日の夜に連れて行ってもらった、あの団地の屋上。
『遠くに見える観覧車がいつも行く西の宮遊園地で、手前のあそこが月見山公園』
暗くて、角度的にも見えなかったけど、父さんは見下ろした空間を指でなぞって、この辺に月見岩があるかな、と教えてくれた。
『じゃあさ。もし、僕があそこの月見岩で好きな人に告白するときがあったら。父さんこの屋上から応援してて』
ほとんど冗談のつもりで、まだ幼い僕は笑いながらそう言った。
父さんも同じように、穏やかに笑って、僕の頭に手をあてた。
『わかった。ここからは多分圭介の姿は見えないけど、星が近いから。願いをかければ、きっと叶うだろうね。圭介の背中越しに、上手くいくように祈ってるよ』
父さんは、きっと自殺なんかしていない。
子供のときに交わしたそんな小さな約束を、父さんはずっと覚えてくれていた。
あの団地に行った理由。それは死ぬためじゃなく、僕との約束を果たすためだった。
三年前からずっと、僕は父さんに嫌われたのかもしれない、と心の隅で思っていた。
でも、やっぱりそんなのはただの僕の思い過ごしだった。
病気で苦しんでいるときでも、どんなときでも、僕のことを考えてくれていた。
悩んでいる父さんに手を差し伸べられなかったこと、その罪と後悔が完全に消えたわけじゃない。
でも、今はただその事実がたまらなく嬉しくて、僕はあの日以来初めて救われた気がした。
ほんとはわかってた。あの人は、何があっても自分の子供のことを、嫌いになるような人じゃないって。忘れて、何も言わずに見捨てるような人じゃないって。
今まで僕は、誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。
俯く僕の左手に、小さな暖かい手がのっかった。
顔を上げると、山本さんが僕の方を優しく見つめていた。
彼女が今のスピーカーから流れた話から、何を感じたのかはわからないけど、赤く潤んだ瞳をむけて、そっと微笑みかけてくれた。
小さく深呼吸をして、息を整える。
大丈夫、きっと。
さっきの言葉を思い出すと、まるで魔法にかけられたかのように、緊張はほどけてなくなっていた。
「ずっと伝えたかったことがあります」
微笑みを返して、言葉を繋ぐ。
今の気持ちに委ねて、伝えたい想いをすべて、彼女に伝えた。




