8 回復魔法
俺は、ルース牧師から受け取ったベルトを右手に巻き、熊型の獣人の患部にその手を添えた。
「えーと、光の精霊の加護が得られますように、だったっけかな?」と言うと、ニキは「アチャー」と目を手で塞いで天井を仰ぎ、ルース牧師は「何でもいいよ」という感じでうんうんうなずいている。
周りの獣人達の冷めた眼が痛い。
「ヒール!」
一瞬、薄暗い小屋が明るくなるくらい光ったかと思うと、熊型の獣人の傷の全体が淡い光りに包まれ、染みるように消えていった。
「おおう。き、傷が全部消えている! すごい…。」
熊型の獣人の傷は、すべて綺麗に無くなっていた。
周りの獣人達から歓声が上がり、さっきまでの雰囲気が一変した。
「思ったとおり、すごい力だね。」とルース牧師、「何だよ、心配したけどスゲェじゃねぇか。」とニキから声をかけられた。
ニキはホッとしたのは分かったから、背中をバンバン叩くんじゃありません。
それからは、片っ端から回復魔法をかけていった。「光精霊の…ヒール!」、「こっちもヒール!」と回復魔法の大盤振舞いだ。
村長のウルも驚き顔で「こいつはどうなってるんだ? 魔石は大丈夫なのか?」
「ああ、まだ使えそうだ。こりゃ、いい魔石だな。」といい加減な返事で答えて、ウルの質問をうやむやにする。
そうこうしているうちに、怪我人や病人はいなくなった。
自分のとこまでは回復魔法が回ってこないと思っていた老人や女性、子供の獣人達は、最初は諦めの表情だったのが、次第に自分達まで回ってくるのではとの期待の表情に変わり、いよいよ自分達が回復魔法で癒されると泣いて喜んでいた。
「リュウお疲れ様でした。体に異常はありませんか?」とルース牧師から気遣いの言葉が。
「少し疲れました。何となく、頭がボーッとして、すごく眠たいですね。」
立ちくらみのような症状でぼーっとしていたら、村長のウルが強烈なハグをしてきた。
「リュウ、本当に感謝する。さあ、昼もだいぶ過ぎたが、昼食を用意するので食べてくれ。」
獣人達からささやかなもてなしを受けながら、俺は睡魔と戦っていた。
ここで寝ちまったら、あっちの世界に行っちまう。何とかベッドに横になるまで頑張るんだ俺。
ニキは食事をしながら、ウルに話しかけている。
「1週間後に、魔素石の切出しに魔境に行きてぇんだが、ポーターに誰か3人程お願いできねぇか?」
「それなら、こちらで腕利きの奴を用意する。」
「助かる。決まったら、冒険者ギルドに名前を書いたメモを渡してくれ。」
二人の会話を聞きながら食事をしていると、周りの喧騒が子守唄のように心地良く、違う世界に旅立つのであった。
………
俺は、ニューヨークのアパートにある自分の部屋のベッドで目覚めた。ついさっきまで、獣人の村で昼食をご馳走になってたはずなのに。
「やっちまった。昼食を食べながら寝るとは、まるで小さな子供じゃないか。」と一人嘆くが、今さらどうしようもない。
そう言えば今日は非番なので、ニキから馬に乗れた方が良いとのアドバイスを思い出し、こちらの世界で乗馬の練習をしてみる気になってきた。
おそらく次に目が覚めた時、ニキから「メシを食いながら寝るとは、とんだお子様だな!」とか何とかイジられるだろうから、少しはカッコいいところを見せねば。
また、ついでに、先日の事件で友達になったこちらの世界のニキにも会いに行ってみよう。
とりあえず手早く朝食を済ませ、ピックアップトラックに乗り込んだ。
こちらのニキの父親は、ニューヨークで小さな自動車修理工事を営んでおり、以前、ピックアップトラックを修理してもらった時以来の知り合いだ。
修理工場に訪れたリュウを見たニキの父親は、リュウの元に駆け寄ってきて、強烈なハグをしてきた。
「リュウ! ニキが本当に世話になった。お前は俺達の命の恩人だ!」
「いやいや、命の恩人は大袈裟だろう?」
「何を言ってるんだ。ニキが死んだら、俺もカミさんもこのまま生きちゃいられない。もちろん、ニキをこんな目にあわせた奴らもぶち殺してから死ぬがな。」
「物騒な事にならずに良かったよ。ところで、被害者達からは、何か言ってきてないか?」
「それが不思議と何も言ってきてないんだ。てっきり、傷を負わせた慰謝料とか何とか言って訴訟を起こされると思ったんだけどな。」
「そうか、ならよかった。向こうにもいじめたという負い目があったんだろう。」
しかし、実際には、リュウが先日の事件の直後、事実確認のため、被害者達の家を回った際には、被害者の親達は「腕利きの弁護士を雇って、高額の慰謝料をふんだくってやる!」と息巻いていたが、リュウがこっそり被害者である娘達の傷を跡形もなく癒したため、訴えを起こす事が出来なくなったのだった。
「リュウちょっと待ってろ。ニキ! リュウが来てるぞ!」とニキの父親が修理工場に併設している自宅に向かって叫んだところ、ニキがあわてて飛び出して来た。
「リュウ! この間はありがとう! 全部あなたのおかげよ。」
その後、ニキの自宅に招かれ、お茶をご馳走になった。
「じゃあ、そろそろ行くかな。」
「昼飯も食っていけよ。」
「いや、ちょっと行くとこがあるんだ。」
「どこに行くの?」
「どうしても馬に乗れるようになりたくて、乗馬クラブで練習したくてね。」
「なにそれ、面白そう! 私も行きたい。」とニキは上目遣いで迫ってくる。
「オーケー。乗馬仲間が増えてうれしいよ。」
ニキの父親はすまなそうにしていたが、ニキの嬉しそうな顔を見ると止められるはずもなく、リュウにお願いするのだった。
………
俺とニキは、ニューヨーク郊外の乗馬クラブに到着し、早速、乗馬の基本について説明を受けることになった。
「私が教官のボルダーだ、よろしく。私は以前、海兵隊の教官をやっていたから、言葉遣いが少し変かも知れんが、気にしないでくれ。」
向こうの世界で、冒険者ギルドにいたようなゴツいおっさんの教官だった。
「まず馬に乗りたかったら、馬語を理解しなくちゃならん。馬語を理解せず馬に乗る資格はないからだ。」
もう、のっけからよく分からん説明を始めたぞ。
「おい、そこのお前! 名前は?」
「リュウです。」
「リュウ。そこにいる馬は、何を言っている?」
とボルダー教官は、柵の中でおとなしくこちらを伺っている馬を指差した。
「えーと、特に何もしゃべってないようですが?」
「バカモーン! 馬は、お前に話しかけてるぞ。馬はヒヒーンと声を出して話しかけるより、ボディランゲージで話しかける方が圧倒的に多いんだ。」
「ええっ、いきなり? そもそもそんな説明受けてないし。」
「馬の耳に注目しろ! 後ろに寝かしているのは、『何だお前! それ以上近づくなよ!』と言っているんだ。あの動きも見ろ。」
馬はこちらに向かって、くるりとお尻を向けた。
「お尻を向けるのは、相手を威嚇して、いつでも蹴れる態勢を取る動きだ。ああなったら、うかつに近づいたらダメだ。」
「リュウ。ずいぶん馬に嫌われたね。」とニキが嬉しそうにこっちを見てる。
「最初の出会いは最悪な方が、後々二人の関係は盛り上がるって聞いたことあるぜ。」と強がるリュウだった。
その後は、なぜか馬語の特訓で、その日は終わってしまった。