85 竜神の怒り
サマル王国軍とカサンドラ共和国軍がにらみ合う戦場では、ダリル神父達による黒い魔法陣が浮かび上がり、その中央から黒い液体が大量に吹き出していた。
サマル王国側の指揮所でその様子を見ていたウィリアムス伯爵は、エドワードと顔を見合わせて驚きの声を上げる。
「エドワード、あれは何だ? ダリル神父達は和平の使者のはずでは…、あのような…、とても和平を呼びかける様子ではない。」
「私も同じ意見です。何かとてつもない悪い事態に突入しているように思います。直ちに兵達に撤退の合図を出しましょう!」
エドワードはウィリアムス伯爵の了解を得て、全軍に拡声器で撤退の連絡を出す。
「総員直ちに撤退の準備に入れ! 準備でき次第速やかに後方へ10キロ下がれ!」
サマル王国側の指揮所やゴーレムの待機場所等で作業をしていた多くの軍人達の動きが慌ただしくなる。
黒い魔法陣から溢れてくる黒い液体は、もうすでに濁流となって、両陣営の最前線に迫ろうとしていた。
黒い液体は地上一メートルの高さの波となって押し寄せており、まるで黒い津波のようである。
「おい、もうそこまで黒い津波が来てるぞ! 早く逃げろ!」
サマル王国側の最前線でゴーレムに搭乗している戦闘員が、様々な部品等を運んでいる地上の作業員に声をかける。
「へっ、あんな黒い水が押し寄せているくらいで高価な部品を置いて逃げられるかって言うんだ。」
作業員は、水に濡れるくらい何ともないと言って、なかなか撤退しそうにない。
そうして、ついに黒い津波の第一波が最前線に到達した。
「おわー! アガ…ボガァ!」
作業員が黒い津波に飲み込まれて、絶叫を上げていく。
ゴーレムの中からその様子を見ていた戦闘員は「だから言ったじゃないか。大丈夫か?」と声をかけるが、作業員はガクガク震えるばかりでなかなか黒い波の中から体を起こそうとしない。
ゴーレムの足下を黒い液体は流れていくが、その水嵩は一メートルの高さに過ぎない事から、別におぼれる程の深さでも無いのに、とゴーレムの中から見ている戦闘員は不思議に思うのだった。
「いったい、どうしちまったんだよ?」
ゴーレムの戦闘員が再び作業員に声をかけると、作業員は全身の震えが収まり黒い津波の水面から上げたその顔は人とは思えないほどみにくく歪んで緑色に変色していた。
「グゲ」
「は? 何だって?」
「グゲゲ、グギャー!」
作業員は突然奇声を上げると、ゴーレムに向かってくる。もはやその姿は人間のそれでは無く、まさにゴブリンが人の服を着ているようだった。
「おい、しっかりしろ! 何なんだ?」
ゴーレムの戦闘員は慌ててゴーレムでゴブリンと化した作業員をつかむが、後ろからオークと化した他の作業員達がゴーレムに襲いかかってくる。
普段ならゴーレムがゴブリンやオークごときに遅れをとる事はないが、先程までの仲間達が魔物と化した事で不意を突かれ、思わずバランスを崩してゴーレムが黒い津波にドウと横倒しになる。
そして、ゴーレムの隙間から黒い液体が侵入していき…、そのままゴーレムは動かなくなった。
………
ダリル神父達が黒い魔法陣を出現する少し前、カサンドラ共和国側の指揮所付近では、撤退の準備が慌ただしく進んでいた。
「急げ! 前線の部隊は急いで後方へ下がれ!」
指揮官達の号令で、ゴーレムや作業員達が急いで必要な荷物をまとめると、戦場に背を向けて退避していく。
その様子を丘の上の指揮所から見ていたパーセル伯爵が満足そうに頷いていると、カイル国境警備隊長が戻ってきた。
「パーセル伯爵、一部の部隊に遅れが出ているようですので、私が直接撤退の指揮をしてきます。」
「そうか。少々の被害はやむを得ないが、被害は少ない方が良いからな。ククク…」
カイル警備隊長は、笑いを堪えるパーセル伯爵に敬礼すると手の空いている指揮官達を引き連れて指揮所を出て行った。
「これでサマル王国の奴らは一網打尽ですな。ダァーッハッハッ! しかし本当に、ここは大丈夫なんでしょうな?」
「心配するな! あの黒い津波は、腰の高さより高くにはならん。この丘の上は安全だ。」
ブルーノ保安官の不安をパーセル伯爵が一蹴する。
「それより始まったぞ!」
パーセル伯爵の指差す戦場の中心では、ダリル神父によって黒い魔法陣が浮かび上がり、魔法陣の中央から黒い液体が噴き出してきた。
「伯爵、あ、あれが黒い津波、竜神の怒りですか…」
「ふっふっふっ、サマル王国の奴らはあれが何かも分かるまい。分かった時には手遅れだがな!」
黒い津波はカサンドラの陣営にも押し寄せてくるが、すでに前線のゴーレムや兵士達は後方に避難した後であり、残されていた天幕等を押し流しながしていく。
そして、パーセル伯爵達は、安全な場所から戦場を見ていたため、その視線はサマル王国側の陣営ばかりに注がれており、その事に気付くのが遅れた。
「伯爵! 黒い津波が丘を登って来てますぞ!」
ブルーノ保安官の声に慌てて足下に目を向けると、確かに黒い津波が丘を登って来ている。
重力を無視して、ただ地面から一メートルの高さを保って丘の上にも黒い津波は広がっていたのだった。
「退避! 退避!」
誰かが避難を叫ぶと、指揮所は大騒ぎとなった。
事前に黒い津波の恐ろしさを知っていた隊員達は我先にと逃げていく。
「コラー! ワシを置いていくなー!」
パーセル伯爵とブルーノ保安官も指揮所を後にして逃げるが、小太りの伯爵は足がもつれて思うように走れない。
「馬、馬を…誰かー!」
パーセル伯爵の必死の叫びに一人の隊員が馬を引いてくるが、黒い津波が迫っているのを見て慌てて逃げていく。
「ええい、ワシを置いて逃げるな! ブルーノ! ワシを馬に…下から押せ!」
ブルーノ保安官は、馬の首根っこにしがみついてアタフタしているパーセル伯爵のお尻を下から持ち上げるが、そこで黒い津波に飲み込まれていった。
「オワー! は、伯爵…」
「ブルーノ! ブルーノ大丈夫か?」
黒い津波に頭から倒れ込んだブルーノ保安官は、しばらくガクガク震えていたが、おもむろに立ち上がると、その顔は醜悪に歪み、身体も一回り大きくなって服がはち切れそうである。
「ブ、ブルーノ…。だ、大丈夫か?」
「グ、グガァー!」
そこには、ブルーノ保安官の服を着たオークが立っていた。
「ヒャ〜! う、馬…、逃げないと…」
パーセル伯爵が馬の背に乗ろうとジタバタしていたところで、それまで前を向いて大人しかった馬がくるりと首をパーセル伯爵の方に巡らした。
「う、馬じゃ無い…。ユ、ユニコーンだ!」
パーセル伯爵がしがみついている馬は、いつの間にか頭にツノの生えたユニコーンに変わっており、パーセル伯爵の腹に喰らい付いてきた。
さらに、ブルーノ保安官の服を着たオークも襲いかかってきて、パーセル伯爵の絶叫とともにその姿は見えなくなった。
………
一方その頃、俺達は、黒い魔法陣の中央から噴き出してきた黒い津波を見て、ディエゴ達が騒ぎ出していた。
「リュウ殿、あれはあの時の黒い津波だ! 皆んなが危ない!」
俺は黒い津波と聞いて、サラから聞いた10年前の出来事を思い出していた。
「まさか、触れるとスケルトンになるとか言うあれか?」
サラ達は、あの黒い津波に飲み込まれてスケルトンの身体になってしまったのだった。
ただ自我を失っていなかったのは、幸いだったのだが。
「それじゃあ、俺達は二手に分かれて行動しよう。ディエゴ達はサマル王国の指揮所に向かって避難を呼びかけてくれ! 残り半数は俺と一緒にダリル神父達を止めるぞ!」
俺の指示に全員が「オウ!」と答えると、俺達は二手に分かれて行動を開始する。
………
俺は黒い津波に足を取られないよう注意しながら、戦場の真ん中で黒い津波を生み出すダリル神父達の下までたどり着いた。
「今すぐに、この馬鹿げた魔法を止めろー!」
「やはり、あなた達がここに来ましたか。いち早くやって来るとは、いったいあなた達は何者ですか?」
ダリル神父は、竜神の槍を地面に突き刺したまま悠然と答える。
「俺達は、サマル王国の保安官の護衛だ。貴様は自分が何をしているのか分かっているのか?」
「ええ、よく分かってますよ。これを止めたいのなら力尽くでくるのですね。」
ダリル神父の白いゴーレムは、ストレージから新たな槍を取り出すと、こちらに構えた。
「確認だが、その地面に刺している槍は『竜神の槍』か?」
「ほう? 竜神の槍を知っているとは、やはりただの冒険者ではありませんね。」
思ったとおり、ダリル神父のゴーレムが持っている槍は、アデルの住んでいたエルフの村から盗み出された竜神の槍で間違い無いようだ。
「皆んなは、他の神父達を倒して槍を抜いてくれ! 俺はダリル神父をやる!」
俺の指示で、五体の真っ黒いゴーレムが五人の神父達の白いゴーレムに向かって行く。
俺はストレージから剣と盾を出すと、黒い津波をかき分けながら、ダリル神父のゴーレムに向かって行った。
『ゴゴン!』
ダリル神父のゴーレムの槍が、俺のゴーレムの盾を突いて大きな音を立てる。
俺のゴーレムは強力な突きに、二、三歩後退してバランスを崩しそうになった。
ダリル神父のゴーレムは、左手で竜神の槍を杖代わりに掴んで、器用に右手の槍でこちらを突いてくる。
「そんな様子では、私に斬りかかる事など出来そうにありませんね。」
ダリル神父がこちらを見下すように言い、腹が立つが、しかしそのとおりだ。
このままでは、何も出来ずにリブラ平原が黒い津波に飲み込まれてしまう。
「だったらこっちも必殺技を出してやるよ。」
俺はそう言うと、ゴーレムの盾をストレージにしまうと、剣を八相の構えから切っ先をダリル神父のゴーレムに向けた。
「ほう? 盾をしまうとは、捨て身の攻撃ですかね? 槍と剣の長さを考えれば無駄だと分かりそうなものですが。」
ダリル神父のゴーレムも、右手に持った槍の穂先をこちらに向けた。
…リュウ! これは一度だけのビックリ技だから、同じ相手には二度は通用せえへん…。
頭の中に日本から来たレツゴの言葉が浮かんでくる。
必ず次の一撃で決める!
『ゴウ!』
風魔法でゴーレムを浮かして、黒い津波の上を滑るように進む。
「串刺しになりなさい!」
「竜神剣 秘太刀!」
『ギャリィーン! ドン! ドン!』
裂帛の気合いで突き出した三段突きは、最初の突きでダリル神父のゴーレムの槍を弾くと、胸と左手に命中した。
白いゴーレムは、竜神の槍を離すと、たたらを踏みながら後退し倒れそうになるが、風魔法で飛び上がると離れた場所に着地する。
確かに三段突きは命中したが、あの海王の皮で覆った装甲をぶち抜くまではいかなかったようだ。
「取ったー!」
俺は、ゴーレムで竜神の槍を掴むと、勢いよく地面から引き抜いた。
周りを見渡すと、他のゴーレムも神父達を退けて槍を抜いている。
これで、黒い魔法陣も消えるはず…。
しかし黒い魔法陣は相変わらずそこにあり、反時計回りに回って黒い液体を吐き出し続けている。
「ハハハハハ! もう槍を抜いても魔法陣は止まらないようですね。一度噴き出した竜神の怒りは止まらない!」
ダリル神父の勝ち誇った声が響き渡る。
「そんな…、竜神の槍を抜けばいいんじゃないのか? どうすれば…どうすればいいんだー!」
そこで俺の意識は遠のいていった。




