腹黒王子は罠を張る
ある日の昼下がり――
ここはシエル王国にある貴族学園。
その校庭の一角、緑に囲まれたガゼボでお茶を楽しむ王太子の婚約者で、冷たいと称される美貌の公爵令嬢ガブリエラ・アメシストと友人の女子生徒。
その場に突然、最近何かと話題の美少女シンシア・ジェード伯爵令嬢と二人の男子生徒が現れた。
「ガブリエラ様! お話がございます!」
シンシアからの突然の声に、ガブリエラは少し驚いた。
「ええと…シンシア様…で良かったかしら? 初めまして」
「あっ、初めまして……ってそんな事はいいんです」
「はぁ…」
初めて言葉を交わす筈なのに、少し強めの口調で詰め寄るシンシアにガブリエラは動揺を隠せない。
「エドワード様の事です!」
「……殿下の? 何でしょう?」
しかし、内容が自身の婚約者についてと知ると、ガブリエラは居住まいを正す。
「ガブリエラ様は、エドワード様との婚約を解消すべきです! 無理に婚約を続けるのはおかしいと思います!」
ガブリエラは語られた内容に、一瞬思考が停止する。
「……無理に…と言われましても、わたくしと殿下の婚約は王家と当家で決められたものですし……」
「いまどき、王家といえど家格重視で子供の頃から婚約とかおかしいです! 恋愛結婚だって良いじゃないですか!」
「そう…ですわね。殿下がそう望まれ、陛下が許可を下されるのならば、良いと思います」
「だったら! ガブリエラ様から解消を申し出てくれればいいじゃないですか」
「王家の決定による婚約に、わたくしの方からは何も申し上げられません」
「エドワード様の事を思えば出来る筈です!」
「ええと……それに、殿下の意向も聞いておりませんし」
正論を返している筈なのに、感情的に返される内容にガブリエラは戸惑ってしまう。それに王家批判と取れる内容もいただけない。表情があまり動かないガブリエラにあしらわれていると感じたのか、シンシアは更に声を上げる。
「だってエドワード様は、ガブリエラ様と居ると『辛い』って! 『苦しい』っておっしゃいました! 私には『楽しい』『楽になる』って! それって、私の事が好きって事だと思います!」
「………」
少々思い当たる内容に、ガブリエラは口を噤む。
「エドワード様を癒せないガブリエラ様に、妃は務まらないと思います! 私の方がエドワード様を癒せます!」
「……そう…ですか…」
「ですから! 婚約を…」
「どうするのかな?」
どの様に説明をすべきか…と考えている内に、シンシアの言葉を遮る様に脇から声がかかる。
「殿下?!」
「エドワード様!」
突然の登場に二人の驚く声が重なる。
「ねぇ、シンシア嬢。ガブリエラに何を言っていたの?」
「その…エドワード様との婚約を解消すべきと…」
「何故?」
「エドワード様を癒せない妃など、必要無いではありませんか! 私の方が…」
「癒せるとでも?」
「勿論です!」
エドワードからの矢継ぎ早に繰り出される質問に、シンシアは自信満々に答える。
それに対し堪え切れない様に笑い出すエドワード。
「ふ……はははははっ…凄い自信だね。数回しか話した事無いのに、どうしてそんなに自信が持てるの?」
「え……だって…! 私に『楽しい』『楽になる』って言ってくれたではありませんか!」
「そうだっけ?……『楽しい』『楽になる』か」
「そうです! ガブリエラ様と居ると『辛い』『苦しい』と心中を吐露してくれたではありませんか……!」
シンシアの語った内容に、エドワードは首を傾げながら考える。
「んー……あ、
『君は…………楽しいね』
『君と居ると………楽になる』
『ガブリエラと居ると…………辛い』
『ガブリエラの事………苦しい』
ああ、言ったね」
「でしょう?! それって私の方が好きって事ですよね?」
「あはははっ、勝手に空白埋めないでよ。自分の都合の良い様に妄想し過ぎだよ」
「………え?」
どうにか絞り出した会話内容に対し、我が意を得たりとばかりのシンシアだったが、エドワードの笑いと内容に声を失う。
「正確には、
『君は…あまりにも馬鹿だから…楽しいね』
『君と居ると…何も考えないでいいから…楽になる』
『ガブリエラと居ると…手を出せなくて…辛い』
『ガブリエラの事…思うと胸が…苦しい』
なんだよね。ガブリエラと婚約解消なんて冗談じゃない」
「そ……そんな…」
「婚姻までの日を、指折り数えている位だよ」
「殿下……」
わざと思わせ振りな口調で喋り、誤解を生ませるのに長けているエドワードは、偶にこう言った悪戯を仕掛ける事がある。
ガブリエラはもう慣れているが、勝手に行間を読んで自滅していく人を何人か見てきている。
「だって……学園では全く交流されていないし、周りも政略結婚だから、仲は冷めきっているって……」
周りからの噂を自分の都合の良い部分だけ拾い、組み合わせ、自己完結してしまったのだろう。
「学園では、ね。お互いの交友関係を広げる為に、基本的には別行動を取っているだけ。ほぼ毎日、放課後は王宮に来て妃教育後の、夕食から食後のお茶までゆっくり二人で過ごして、情報交換したりしてるしね」
「……え…」
「あとは、定期的に君みたいなのが湧いて来るから、丁度良いって言うのもあるね」
「私…みたいな…?」
「自分の方が王太子妃に相応しい! って私に近付いてくるのがね」
「…………」
笑顔のエドワードに毒づかれ、シンシアは青い顔のまま口をはくはく動かしている。
「そもそも、どうしてガブリエラを排除出来ると考えられるのか解らないんだよね? 皆どこをどうしたって勝てる訳がないのに……その心意気だけは尊敬に値するよ」
「どこを…どうしたって……」
シンシアにはまるで目を向けず、エドワードはそっとガブリエラの隣に寄り添う様に立ち、肩に手を添える。
「だって、ガブリエラは顔も性格も私の好みそのものなんだよ? それに、家格・品位・容姿・頭脳・マナー…何をとっても、誰も敵わない」
「……笑顔や、愛嬌とか…」
「そんなもの、私以外に見せる必要は無い。公務以外で表に出す必要の無い部分だ」
どうにか言葉を絞り出したシンシアに、キッパリと、真顔で言い切るエドワード。
「……殿下…」
エドワードの話す内容に、どうしていいのかわからず、ガブリエラは声をかける。
「ガブリエラは恥ずかしがり屋だからね。可愛いガブリエラは二人の時だけでいいんだよ」
「殿下!」
「ガブリエラ、私の傍以外で笑ったり、はにかんだりしちゃ駄目だよ?可愛い顔を見るのは私だけでいいんだ。他の男に見せるなんて勿体無い!」
「やめてください…殿下…」
真顔でガブリエラの頬を両手で挟み、エドワードは真剣に懇願する。
その勢いに負けたのか、少し顔を赤くしたガブリエラが抗議の声をあげる。
「じゃあ、隠しちゃおうね」
「……っ」
少し目が潤み、顔を赤くしたガブリエラの顔をエドワードは胸に仕舞う様に抱え込む。
「エドワード様!」
「でさ、私は君に名を許した覚えは無いんだけど、さっきから何なのかな?」
「あ…っ」
ガブリエラに対する声とは全く違う、冷たい顔と抑揚のない声でエドワードはシンシアに顔を向ける。
「まぁ、君の背後関係とかの調査は終わったし……ただの自信過剰の馬鹿だったから、領地に戻って再教育かな」
「…………え…?」
「学園内とは言え、王族に馴れ馴れしく近付いたり、公爵令嬢に突撃する様なのは、警備の面も含めて近くに居て欲しくないんだよね。……学園に居ても改善は見込めないだろうし、領地に戻って厳しい家庭教師にみっちり再教育してもらって?……改善しない限りは王都にも立入禁止だから」
「ひっ…」
胸に抱え込むガブリエラの髪を優しく撫でながら、シンシアに向ける声も内容も……黒い笑顔も。シンシアを怯えさせるのには十分だった。
「それと、そこの……侯爵家の三男と伯爵家の次男だったっけ? 君らも少し再教育受けるように。女の子をチヤホヤするのも良いけど、卒業後の自分達の身の振り方をもう少し真剣に考えた方が良い」
「はい……」
「あと、今日ここでの会話内容は口外しない様に。最重要機密として取り扱ってね」
「……畏まりました」
シンシアの取り巻き二人にも、エドワードは笑顔のまま釘をさす。
辛うじて怯えを表に出さずに男子生徒二人は深く頭を下げた。
「じゃあ、解散」
「失礼いたします」
「ちゃんとその娘も連れてってね」
「はい」
「……シンシア…」
「…そんな…だって……」
「………行きますよ」
ヒラヒラと手を振り、解散を告げるエドワードに男子生徒は従い、目を彷徨わせながらぶつぶつ呟くシンシアを連れてガゼボを離れた。
「……殿下、離して下さいませ」
「えー」
「殿下!」
「仕方ないなぁ…」
シンシア達が去った後、エドワードの胸に抱え込まれたままのガブリエラから小さい抵抗があった。不満の声を上げながらガブリエラを解放したエドワードは、ガブリエラのすぐ脇に腰を下ろす。
「……学園内では……と言うお約束だったのでは…?」
「たまにはいいでしょ? 口止めもしたし、今は二人しか居ないし」
「えっ……お茶の途中でしたのに……」
少し崩れた髪を軽く直しながら、苦情を申し立てるガブリエラだが、続くエドワードの言葉に、友人まで下がってしまった事に気付く。
「指示した訳じゃないけど、気を使って下がってくれたんだね」
「……………」
気の回し方が上手いと上機嫌のエドワードに、ガブリエラは疑惑の目を向ける。
「ここの周りに護衛も配置してるし、人払いしてるから、少し位いいでしょ?」
「はぁ……仕方ありませんね…」
ふぅ、と軽くため息を吐いたガブリエラにエドワードはずいっと顔を寄せる。
「と言うかね、私は少し怒ってるんだよ?」
「………? 何故でしょう…?」
怒られる事があっただろうか? ガブリエラは軽く首を傾げる。
「婚約の解消について、少し考えたでしょう」
「そ……んな事は…」
一瞬どもってしまった。
「……………」
エドワードの目が半眼になる。
「……思っておりませんよ?」
「………ふーん……?」
「……本当です…よ?」
ふーん、が怖い。ガブリエラの声が尻すぼみになる。
「私の思いはまだちゃんと届いて無いのかと、悲しくなったのだけど」
「………」
半眼のまま、エドワードが続ける。
「本当なら学園でも一緒に居たいのを我慢してるんだ。……ガブリエラしか要らないと、そろそろ信用して欲しいな」
「殿下……」
シンシアの事も聞いていたし、エドワードを疑っていた訳ではない。
ただ、ほんの少しだけ。………可愛らしく笑える彼女に思う所はあった。
「アレが言った愛嬌とか気にしてるの? 王妃に、万遍無く振りまく愛嬌なんて必要無い。一般的に言われる “可愛らしさ” なんて何の意味もない。ガブリエラらしさの無い表情なんて、私は要らない」
「……表情が乏しいのは自覚していますが…」
思考が読まれた様な的確なエドワードの発言に、自然とガブリエラの目が泳ぐ。
「いいじゃない。凛とした表情は美しいし、ふとした笑顔は可愛くて堪らない。ガブリエラがむやみやたらに笑顔振りまいたりしたら、私は虫退治に忙しくなるよ」
「そんな事……」
「君は自分の魅力を過小評価し過ぎている。………と言っても、私以外が魅力にやられてしまっては困るから、二人だけの時にしてね」
目が泳ぎついでに顔を背ける形になっていたガブリエラの頬に、エドワードの唇が掠める。
「殿下!」
驚きに頬を押さえ、朱の走った顔でガブリエラは抗議する。
その抗議をも丸め込むように、エドワードはガブリエラを抱きしめる。
「ははっ、頬位いいじゃない。あーもー、早くもっと色んな顔をさせてみたい。何で婚姻まであと1年も待たないと駄目なの? もう一緒に暮らしたいよ」
エドワードは抱きしめたガブリエラの背中をポンポンと叩きながら、髪に頬ずりをする。
「むっ無理を言わないで下さい……わたくしの心臓も持ちません…」
エドワードの胸元にあるガブリエラの手がシャツをキュッと掴み、小声で呟く。
「少しは……ドキドキしてくれてる…?」
「当たり前ですっ…!」
抱きしめた腕を少し緩め、ガブリエラの顔を覗き込む様にエドワードが確認をすると、赤い顔の潤んだ瞳と目が合った。
瞬間、嬉しそうに破顔したエドワードはもう一度ガブリエラを抱きしめる。
「はぁ~可愛い。すぐ持ち帰って私の部屋に閉じ込めておきたいよ」
「だっ駄目です!」
髪に頬ずりやキスを繰り返すエドワードの腕の中、ジタバタとガブリエラは抵抗を繰り返す。
「もう、我儘だなぁ」
「どちらがですか?!」
「ふふっ、そんなに怒らないで、ガブリエラ。今日はもう講義は無いんでしょう?一緒に王宮に行こうか」
「……怒らせてるのは誰ですか……お部屋には参りませんよ」
ようやく腕の中から逃れられたガブリエラは、髪と服を直しながら少しずつ距離を取る。
「仕方ないなぁ…嫌われたく無いしね。とりあえず部屋で二人きりは諦めるよ」
「………」
とりあえず、の言葉にガブリエラは胡乱な目を向ける。
「それに、ちゃんと憶えておいてね?」
「? 何をでしょう?」
少しずつ距離を取っていたガブリエラの手を取り、エドワードは微笑む。
「私がガブリエラと婚約解消する筈が無いって事。……好きだよ、ガブリエラ」
「………わたくしも、です。……エド様」
蕩ける様な微笑みと甘い声で囁かれた愛の言葉に、顔を真っ赤に染めつつ、はにかんだ笑顔でガブリエラは応える。
いつもとは違う愛称呼びと笑顔に一瞬固まったエドワードだったが、すぐに再起動し掴んでいた手を軽く引っ張り、またガブリエラを抱きしめた。
「その顔はズルいよガブリエラ~~~!!」
顔中にキスをしようとするエドワードと、阻止しようとするガブリエラの攻防がどこまで続いたのかは神のみぞ知る。
・エドワードから一言
「学園って、社交界に出る前に、馬鹿をある程度駆除出来て便利だね」