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「父上も強引ですよねえ、いくら姉上をロイクに嫁がせたいからって」
「……仕方ありませんわ。陛下はヨハナ姫をいっとう可愛がっておいでですもの」
ポツリと出た本音に、サージ王子は薄く笑った。この人は時折、酷く寂しそうに笑う。
「そうですね。でもそれは、本当に姉上を愛してるからじゃない-まあそれは俺にしても同じことですが」
「どういうことですの?」
不思議に思って尋ねると、いつもの社交用の笑みではね返された。
「なんでもありませんよ。-さあ着きましたよ」
「えっ、あの……」
着きましたよ、って。ここはわたくしの部屋ではなくて……。
「あら、お兄様。私の約束を守ってくださったのね?」
「破ったらあとが怖いからねえ」
ウフフ、アハハと笑う兄妹はどことなく怖い。
「お兄様にオルテンシア様をお連れするようお願いしたんですのよ。……お話を、したくて」
話。わたくしとヨハナ姫の間の話なんてひとつしかない。
「それじゃあ俺はお邪魔させてもらうよ。ガールズトークにはついていけなさそうだし」
「お気遣い感謝しますわ、お兄様。お兄様の初恋の助力はできなさそうで心苦しくてよ」
「……大丈夫だよ、ヨハナ。おまえが何をしてもしなくても、手が届かない人だっていうことは初めからわかりきってるんだからさ」
サージ王子でも手が届かない人?
この時点で貴族の令嬢は却下ね。だってサージ王子ならどんな方でも選り取りみどりのはずだもの。
「お悔やみ申し上げますわ、お兄様」
「……じゃあガールズトークを楽しんでね? ではまた、オルテンシア様」
サージ王子はヨハナ姫程ではないにしろ容姿はリリアーナ妃譲りだけど、性格だとか雰囲気だとかは陛下譲りだと思う。何を考えているのかわからないところがそっくりだ。
「うふふ、それじゃあ話を始めましょうか。-単刀直入に申し上げますわね。あなた、ロイク様との婚約のことどうするおつもりなの?」
「っ……」
予想はしていた。けれどいざ聞かれると、心が千々に乱れる。
婚約を破棄したくないと、ずっと彼のそばにいたいと思うわたくしがいるのも本当。
婚約を破棄して、彼の出世を後押ししたいと思うわたくしがいるのも本当。
「言い方が悪かったようですわね。-あなた、ロイク様のことをどう思ってらっしゃるの?」
「ロイク、様のことを……」
素敵な殿方だと思っております。嘘じゃない。でもわたくしの気持ちはそれだけでは表せないし、そんな言い逃れでヨハナ姫が許してくれるとも思えない。
「お慕いしていますわ、心から」
ヨハナ姫への、引いては陛下への挑戦と取られても構わない。
わたくしは彼のことが好きだ、どうしようもなく。身を引くのが彼のためだとわかっていても、そう出来ないほどに。
ジュールお兄様がお亡くなりになった時は十三歳だった。
オフィーリア様がお亡くなりになり、マチルド姫が消えた時は十四歳だった。
シャルルお兄様がお亡くなりになった時は十五歳だった。
ユベールお兄様とハロルドお兄様が王都を離れてしまった時は十六歳だった。
皆が離れていくとき、わたくしは何もできなかった。いいえ、しなかった。
ジュールお兄様が反王勢力に担ぎ上げられたのはわたくしの力ではどうしようもないことだったかもしれない。でも、オフィーリア様とシャルル様の死は防げたはず。マチルド姫の失踪も、ユベールお兄様とハロルドお兄様が王都を離れることも。
夫を亡くして悲嘆に暮れるオフィーリア様を、突然に父親を亡くしたマチルド姫をもっと細めに訪ねていたなら。
敬愛する異母兄を亡くして復讐に燃えるシャルルお兄様の興味をもっと別のところに移せていたなら。
ユベールお兄様とハロルドお兄様が王都を去ったあの日、泣くばかりではなくもっと引き止めていたなら。
未来は変わっていたかもしれないのに。
もうこんな後悔はしたくない。
十で父を亡くして、十三から大切な人を失い続けた。
もう誰も、失いたくはない。
-きっと彼も、わたくしから離れていってしまう。
わたくしももう十七。
悲劇のヒロイン気取りはもうやめる。わたくしを無条件で愛し可愛がってくれたお父様はもういない。黙っていてもほしいものが得られる時期はとうの昔に通り過ぎた。
だからほしい人は、心の底から渇望する彼との婚約だけはこの手で守り抜いてみせる。
「うふふ、嬉しくてよオルテンシア様。あなたが意外に気骨がある方で」
「え?」
「ほらあ、『ヨハナ姫の方がロイク様に相応しい』とか言われたらこの扇子でぶっ叩くところでしたわ、オーホッホッホ!」
ヨハナ姫についていけない。……あなた、キャラ変わってません?
ヨハナ姫はわたくしと同い年の十七で、一緒にデビューした社交界では『胡蝶蘭の姫君』としてその清楚さを讃えられていたのに。
社交界の人たちがこのヨハナ姫を見れば、口をあんぐり開けるだろう。
「オルテンシア様には少々刺激が強すぎますよ、姉上」
「どういう意味ですか?」
出ていったはずのサージ王子が入口に凭れて微笑んでいた。吃驚したし突っ込みたかったけれど、明らかな棘を含む笑みに、こちらも棘を返した。ヨハナ姫はますます楽しそうに笑う。
「そのままの意味ですよ。オルテンシア様は伯父様にそれは可愛がられて育ったのでしょう? こういう言葉には耐性がないんじゃないか、と思いまして」
「お父様がわたくしを可愛がってくださっていたのは否定しません。ですが、それはサージ様も同じではないですか」
サージ王子は薄く笑った。
「同じじゃありません、同じじゃないんです。一見すれば、伯父上も父上も同じに見えるでしょう。伯父上はオルテンシアを、父上はヨハナとサージを可愛がっているという点において」
「では、何が違うというのですか」
薄く笑うサージ王子を止めることもせず、ヨハナ姫は楽しそうに笑うだけ。
サージ王子は続ける。本質が全く違うのだと。
「王后の娘だから貴女を可愛がっていたのは本当でしょう。でもそれは、理由の一部に過ぎません。けれど父上は違う。俺たちが母上の子どもだから可愛がっているだけなんです」
「そんな……何を根拠に」
あれ程可愛がられているのに。あれ程慈愛に満ちた目で見つめられているのに。
当のサージ王子は、その愛を信じていない。
「お前たち、そんなことを思っていたのか」
「陛下!?」
驚いて後ろを振り返ると、陛下が入口にいらっしゃった。
その後ろには王后殿下。そして更にその後ろには-
「ロイク様!?」
「あらロイク様、盗み聞きは関心しないわね」
「あなた達の思い込みにオルテンシアを巻き込むのが嫌だったからではなくて?」
冷ややかに答えた王后に、サージ王子が食ってかかった。
「思い込み? 何を根拠にそう仰るんです?」
「わたしが説明してやる義理はありません。陛下」
陛下はサージ王子とヨハナ姫に歩み寄ると-思いっきり抱きしめた。
「なっ、何するんですか父上!」
「余がお前たちを息子娘として可愛がっていると信じてくれるなら放そう」
「どの口でそんなことを仰るんですか! いつも俺たちを通して母上を見ていただけのくせに!」
「……どうしてそんなことを思ったのか聞かせてくれないか。そうでないと、誤解の解きようがない」
困ったように眉を顰めた陛下に、サージ王子はそっぽを向くだけ。
ヨハナ姫はふと陛下の抱擁から逃れると、サージ王子を-
ぶっ倒した。