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私に纏わる怪異鬼縫  作者: 三人天人
上京
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絹居さんのお家 1.5 閑話

 お父さんの三年に渡る長期海外赴任が決まり、栄転に際して収入が増えることが決まったのはともかくとして流石に中学生の娘を一人家に残すわけにもいかないという言葉に、会社は一年の猶予をくれたという。

 その間に、お父さんは絶縁したという自分の実家や友人等、思い当たる節は全て当たるも快く引き受けてくれる家は無く、これに関してはもうしょうがないとしか言いようがない。

 私は親戚という親戚に、今日までほとんど会ったことが無かった。父の方の実家とは現在絶縁関係にあるとかで、生まれてこの方祖父母は勿論、おじさんといとこと、同級生がよく口にする親戚の人という人間関係に縁が無く、今回の件に当たっても「合わせる顔がない」と言いつつも相談に赴いて門前払いの憂き目にあってきたとのことだ。

 一度だけ、お母さんの父、つまりおじいちゃんの家に行ったことがあるが、そのおじいちゃんも一昨年病気で亡くなってしまい、的井家と呼べるのはお父さんと私だけになっていた。より厳密に言えば、父はいわゆる婿養子だそうなので、的井の血を継いでいるのは最早私一人ということになるのかもしれない。

 で、そのおじいちゃんの家の遺品整理の際に家系図をもらっていたのを思い出したお父さんがこれを紐解いた結果、なんと的井家が戦前はあの日本一の呉服屋の絹居家と親戚関係にあったことが分かった。らしい。私はそうとしか聞いていない。

 所謂「傍流」とか「分家」というものなんだそうだ。

 ダメ元で、とお父さんがその家系図を持って絹居家を訪ねると、一房さんはこれを快諾したそうな。

 しかしながら、これで全て解決ということにはならなかった。

 絹居家の一番偉い人、一房さんのお父さん、絹居グループ総帥であらせられる絹居道元さんが、この件に対して条件を提示してきました。

 それが、絹居の指定する学校に入学する事、というものでした。

 曰く、「絹居として、曲がりなりにも日本を代表する呉服屋の本家で預かる事になる上、遠縁といえ絹居を頼り、絹居の敷居をくぐる以上一族として迎えねばならない。であれば相応の人物でなければ引受られない」とのことでした。

 正直、あまりにも厳しい条件だった。確かに成績は悪くないけれど、提示された学校は押しも押されぬ長年不動の進学校かつお金持ち高である日苑学院であり、我が愛しき片田舎からは進学者はおろか志望者すらも滅多に出ないような、平均的成績の生徒が進路希望用紙に日苑学園などと書こうものならその場で「真面目に書け」とお叱りを受けるほど雲の上の存在であった。

 もういっそ海外暮らしを覚悟しようと思っていたものの、「せっかくならお前、いい学校出るに越したことはないだろ!」という父の言葉を受けて受験を決意した私はそれをきっかけとしてまた別の覚悟を強いられる事になった。

 もともと近場の進学校を受験するつもりでいたところ、急遽東京の名門校への受験を強いられる羽目になり、お父さんも「これがだめならまぁ、海外赴任は諦めるか」などとぼやきつつ、仕事で忙しいながら全力で受験勉強を支えてくれて、過酷な戦いの末にどうにか滑り込みを果たしまして、無事、合格発表時には半ば放心しながら泣いた。

 そういう経緯がありましたとさ。

 たぶん、去年の九割以上はずっと勉強してた。

 元から勉強は好きな方だったので普段からサボったりしていなかったのが本当に幸いした。

 日々の努力って大事です。


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