暗雲払いて 3
傍で聞き覚えのある、細く長い溜め息が聞こえてきた。
先ほどから周囲が騒がしいとは思っていたけれど、今はもう一秒でも早く気を失いたい気持ちだったのでその全てを無視していた。
だけど、その弱弱しく抜けていくような吐息の音は別だ。
意識を落とそうにもアチコチ痛くて勝手に覚醒する意識に見切りをつけて、どうにか動く場所、首だけ回して見やれば、ボロボロの形をした綾子さんが、片腕を抑えながら所在無さげに立ち尽くしていた。
「あ・・・・綾子さん・・・・・・・・良かったぁ、怪我は大丈夫ですかぁ・・・・?」
首を無理にひねってるので、擦れたりひっくりかえったりで変な声になってしまった。
とても人と話す態度ではないけれど、身動きとれないし右目は開かないし、身なりがボロボロなのについては綾子さんもいい勝負なので気にするのはやめ。
「・・・・私は・・・・はい、あなたよりは慣れていますし・・・・。それに、ある程度は自分で持ち直せますから。さ、先ほどは、頭を打った影響であのような無様を・・・・」
こちらを見ずにそう言う綾子さんの顔は如何にもバツが悪そうで、酷くカッコ悪いところを見せたと思っているのかもしれない。綾子さんが普段どんな事しているかは知らないけれど、先ほどに比べれば多少足元が頼りなげな事を除けば背筋もしゃんとしているし、一刻を争う容体ではないと分かりほっと胸を撫で下ろした。撫で下ろす為の腕は依然上がらないのだけれど。
安心したら軋む胸の奥からふつふつ笑いが込み上げてきて、先ほどまでの殺意の応酬を思い起こして、今更のように湧き上がってきた恐怖も混ざり合ってしまい、困った顔をしている綾子さんにふっふっへへへっへへ気味の悪い声で笑ってしまった。
それが何か勘に触ったのか、急に私を見下ろすと駄々をこねる子供のように握りしめた拳を振って突然怒り始めた。
「何を言っているんですか!私はどうせ何もできずに腕を折って脳震盪起こして無様に横たわっていただけでしたよ!素人が懸命に闘っているのをぼんやり見ていましたとも!こんな屈辱ありますか!?だいたっっい、いっ・・・・・・・・たぁ・・・・」
「な、なに興奮してるんですか・・・・やっぱり腕折れてるんじゃないですか、早く病院」
「お気遣いは結構ですっ!あっ、あなたこそっ!一体どういうことなのですか!?そのっ!それ!その!それは鬼着ではありませんか?!今しがたの戦いといい、一体全体どういう経緯でこんなことに!?そんな、そんなボロボロになって・・・・」
無様というならそれは私の方だろうに。
昨日一昨日では聞いた事も無い高い声でまくし立てた後でフーフーと息荒く肩を上下させる綾子さん。それでも、いい年してお寺のど真ん中で大の字に寝転がる私を見て冷静になったのか、心配してくれているのか、急にしゅんとする。
「・・・・事情は、はい、後で聞きます。それより言うべき事がありますよね・・・・私」
ぽつぽつ、私に聞こえるかどうかの小さな声でつぶやく綾子さんがよたよたと私の脇まで歩いてきて、ゆっくりと、折れた腕を庇いながら、そっと腰を下ろす。
「・・・・お着物汚れちゃいますよ?」
「構いません、いまさら。人がせっかく真面目な事を云おうとしているのだから茶々を入れないでっ」
綾子さんの指先がピンと私の鼻っぱしを撥ねる。
たったどれだけでも十分なダメージを受けて悶える私の肩に、綾子さんの腕がそっと触れる。
「依子さん、前後の事情はともかくとして、私とお頭様を守っていただき、本当にありがとうございます・・・・おかげでこうして、無事、生きています」
「・・・・・・・・・・・・」
そう声も静かに告げる綾子さんの目は、途方も無く哀しげで、今にも泣きだしそうで。
けれど、口元だけは微かに微笑んでいた。
「私のせいで、私のせいでこんなことに、なって・・・・私のせいで」
「気にしないでくださいよ。なんか、出来ちゃったし、痛いし、怖かったけど・・・・綾子さんがそう言うなら全部オッケーですよ」
そう言ってニカリと笑うと、一瞬だけ本当に泣き出しそうに顔をくしゃりと顰めると、ぱっと触れていた手を離してそっぽを向いてしまった。
「いや本当に、気にしないでください?八重ちゃんからもよろしく言われてますしね」
「・・・・・・・・ズッ、や、やっぱり八重も一枚噛んでるのね?」
「はは、まぁその辺はおいおい・・・・」
「帰ったら追求します。おいおいね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・綾子さん」
「はい」
「帰ったらまた・・・・もっとゆっくり、二人で話しませんか?」
「それは・・・・・・・・えぇ、非公式として・・・・いえ、八重も連れてお願いします」
「えーなんでですぅ?二人っきりじゃ照れちゃいます?」
「ばっ、かを言わないで!鬼縫と纏異の職務に関する会談だとしたら一応公式に記録を残さないと上が煩いというだけの話で!」
「またまたぁ、さっきから思ってますけど、余裕ない綾子さんってちょっとかわいいですよね」
「ばっっっかにしてぇ!帰ったら覚えてなさいよ!?」
「それ、に。別に只のおしゃべり、って、ことでいいんじゃないですか?」
「であれば今はその減らず口を閉じていただけませ」
『だああぁぁあ!なぁに乳繰り合ってんだガキどもが!はっしかいわこんボケェ!』
突然体が独りでに勢いをつけてガバァと起き上がる。
松割が勝手に動かしているのだろう。完膚無し、全身殴打の体が強引な運用を受けて反対の悲鳴を上げるのに合わせて、私も激痛に仰け反りながら絶叫する。気づけば、首の後ろ側あたりに名状しがたいむず痒さが広がっていて、どうにも松割が居心地の悪さが限界を迎えたようだった。
「ママ、マ、ママママツワリィ・・・・イキナリウゴカサナイデヨォ・・・・」
『うるっせぇ!せっかく大暴れして気持ちよく伸びてたってのになぁにこっ恥ずかしい事やってんだオレのいねぇところでやれダボがぁ!』
「あ、あなた、まさかソレが?!」
独り言で口論する私を怪訝な顔で見ていた綾子さんがくわっと目を見開いて驚きの声を上げる。
聞く限りでは綾子さんも、鬼着の妖怪さんが話しているのを聞くのは初めてという事になる。
『けっ、鬼縫も腑抜けたもんだぜ、あの程度の小僧に後れを取るたぁな。あぁ、百年で随分とまぁしょぼくれたもんだぜ』
「なっ、なにをっ!妖風情が偉そうな口をっ!」
「松割!あんまりシツレイナコトイウトォォ・・・・・・・・」
だめだ、痛すぎてもう悲鳴も出ない。
『たーくこの程度でへばりやがって、まずはあれだ、コンポンテキに鍛え直しだこりゃ』
「ど、どーでもいいからもう休ませて」
「ちょっ、イタタ・・・・あ、あぁなたっ!鬼縫を軽んじるような事を言っておいて無視するんじゃあありません!大体その鬼縫に封じられている分際で!」
『あーあー寄ってたかってひぃこら言いながら袋叩きにしといて結局手に負えねぇってこんなナリにするしかなかった連中がナツカシイもんだぜぇあーあーあん時よりよえぇってんだからあんな木端妖怪がのさばんだよタァコ』
「こ・れ・以・上!我が家を侮辱、っすると許しませんよ!」
赤い結界の外側から人がたくさん出入りしているのが見える。
松割が一向に煽るのを止めない上に打てば響いて綾子さんが投げ返す為、満身創痍の私を使った口論は忍者さん達に引き離されるまで続いた。




