暗雲払いて 1
天を仰ぎ、しばらくの間身動きが取れなかった。
足はもう限界、腕もぶらんとしたままほとんど上がらないし、何より体中どこを探しても痛くない場所が一つもない。
多分座ったら二度と立てないだろうと確信するほど消耗しているし、かといって歩き出す気力も無いし、そもそも手足の感覚にしたって、痛み以外はもうとにかく薄い。まるで肌の表面に薄い膜が張ったような、そう、あれだ、マラソンとかで終盤にスパートかけようとしても全く足の動きが変わってくれない時の感覚に似ている。
平たく言って、とても、とても疲れた…
煩い程の心臓の鼓動と呼吸音がほんの少しマシになった頃、改めて目の前にある真っ黒に炭化した物体とソレが放つ異臭に顔を顰める。ビキビキと悲鳴を上げる腕を懸命に上げて鼻をつまむも、つまんだ鼻先に激痛が走って思わず仰け反った。
〈よぉおお〜纏異ぃいいいい〉
激痛に狼狽する私にねっとりと松割が声をかけてくる。
「何、私もう限界・・・・っていうか生きてるの?私・・・・」
〈ったりめぇだろ。それにしてもオメェ、大したもんだぜ。案外要領良い、才能アリだ。おまけにごりんごりんに真正面から怒突き合って逃げなかったじゃねぇか。小娘と見て舐めてたわ、恐れ入ったぜ纏異よぉ〉
どうも今の戦いがいたく気に入ったらしい松割の声は、疑う余地も無く上機嫌でらっしゃる。口を開けば悪態ばかりついていたはずのあの松割褒め言葉まで投げかけてくる始末だ。
とうの私にはそれに応える余力は無いし、そもそもこんなのは望んじゃいない。こんなに痛くて恐くて痛くて恐くて疲れる方法しかなかったのか。
〈あぁ、言いてえ事は分かる、だが多分これが最適解だ〉
「何を根拠に」
〈あの黒い妖気だよ〉
松割に言われて目の前の異臭の原因を見る。
炸裂した雷に両の腕は砕けてあたりに散っている。跪き、天を仰ぎ見るような姿勢の妖の体は随分としぼんでいて、私の視界にも煙を上げる口と空洞となった眼窩が見える。
〈こいつが纏ってた妖気の鎧な、あれが邪魔で雷が通って無かったみてぇだからよぉ。ま、どんなカラクリか知らんが木っ端妖怪程度が抱えられる妖気なんてたかが知れてっからな、殴ってりゃあそのうち消えるとは思ってたが〉
怒りに任せて無我夢中で暴れたのが功を奏した、ということらしい。
痛みと疲労でぼんやりした頭のままなんとなく松割の話を聞いていたのだが、はじめは何となく眺めていた妖の口の中が、まだ薄赤い肉を残しているのに気づいてひえっと後退った。もちろん、まともに動けない足がそんな反射行動についていけるはずもありませんもので。
「ひ、ひゃ、うっ、ううっあああ!」
思い切り尻餅をついてそのまま大の字に倒れ込んでしまった。
もう動きたくなーい。
〈あんだぁそのザマは、しっかりしろや。ま、初陣としちゃまぁまぁ、小娘としちゃあ上等も上等だわなぁ!いや、いやぁなかなか楽しめたぜオイ!〉
松割は先ほどまでの激闘の興奮も冷めやらないという調子で喜色を隠そうとしない。
もう何も言いたくない私は、目を閉じてそれきり黙り込んだ。




