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私に纏わる怪異鬼縫  作者: 三人天人
春雷の轟く
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春雷の轟く 2

 赤黒い腕になおどす黒い妖気を纏わせた妖の腕が、再び空を圧して迫る。

 それをまたしても片手で受け止めるべく、紫電迸る右腕を翳す依子。

 衝突する拳と掌、受けた依子の踵がざりりと石畳を僅かに滑り、圧されながらも掌で瞬き弾ける雷電は、妖の腕を焼かずその間でバチバチと炸裂を続ける。

『ほー、妖気の鎧か、思ったより器用じゃねぇの』

「感心してないっでっ!」

 受け止めた拳を押し返しながら一つの口から発せられる一色二種の声。

 三度繰り出される拳はやはり黒い煙を纏い、大上段から巨岩を思わせる圧力を伴って振り下ろされる。まるで目の前一杯に拳が広がるかのような威圧感に竦みながら、内側から湧く怒りと松割の気迫に後押しされて必死で拳を握る。

「『うぅあらああああああああっ!』」

 深く腰を落とした依子が迎え撃つべく繰り出すアッパーカットと妖の拳が衝突し、肉と骨のぶつかりあう、およそ快音とは程遠い鈍い振動が重く両者に伝わる。

 繰り出した拳を跳ねあげられて体制を崩した妖に、追撃せんとする松割、これは反して依子は踵を返して後ろでへたりこむ綾子の背と腰に腕を回して抱きすくめると、二足踏んで妖を迂回し門の傍まで瞬く間に飛び退る。

『はぁ?お前ナニやってんだぁ?!』

「綾子さん怪我してるんだよっ!?後ろにいたままじゃ危ないじゃんか!」

 さっと綾子を降ろして振り向けば、妖も振り返り既にこちらに迫ってきている。

「ま、まって、依子さ・・・・」

 擦れた綾子の声が届いたか届かないかの内にも依子は石畳を蹴り、妖に肉薄するべく紫電を残して駆け出していた。

「ごおおおあああああああああああああ!」

 迎え撃つべく裂帛(れっぱく)の咆哮を上げながら振るわれる丸太のような腕が、依子の右側から横薙ぎに迫りくるのを松割は飛んでかわそうと地を踏みしめるも、

「ひっ」

 その威圧感に怯えた依子の膝から力が抜けて失敗に終わり、

『バッ!があああっ!』

 真横から妖気を纏う腕に振り抜かれて10m近くもの距離を吹き飛ばされて地面にこすり付けられた。

 びよんと体を捻りとバネの力で撥ね上げた松割が地団駄を踏んで激昂する。

『アホかてめぇ!今更なぁにビビってんだこのすっとこどっこい!』

「だ、だってこ、こここここ怖いに決まってんじゃんあんなの!っいっっったぁぁあ!」

 打ち付けられた二の腕と、擦りむいた背と腕から走る激痛に悶える依子に向けて、重機を思わせる圧迫感を伴いながら巨大な妖が駆け出しているのに気付いた松割は、今度こそ石畳を叩いて宙に逃れる。

 先ほどまでいた場所を轟然と妖が打ち抜き、振るった拳で石畳が砕けて爆ぜた。

「ささささっきはよくあれ打ち返したよ私!えらいよ!」

『つべこべ言ってねぇでぶん殴れ!次はねぇぞ!』

 妖の尚上空、宝蔵門の屋根が見下ろせる空中にて四足獣の如き姿勢で地を睨む依子へ、闘志漲る松割の意志が伝わる。

『いいか!ビビったら死ぬ!オレを敗けさせんな!纏異!!』

 怒声と共に依子を叱咤する松割の、その怒気に込められた隠しようの無い昂ぶり、戦いへの高揚が依子の背筋を燃やして走る。

 少し視線を逸らした場所、朱色の門に凭れながら力無くこちらを見上げる綾子の姿が目に入る。

 背筋に、うなじに、今度は依子自身の滾りが疾走する。

 眼下には、炎の如き黒いナニカを見に纏わせて咆哮する妖。

 音がするほど握り込まれた拳が打ち上げ体制に入っている。

 今依子には、その姿が距離感によるものではなく、侮蔑と嫌悪からとても小さく感じる。

(女の子にっ!女の子にあんな酷い怪我をさせたなっ!)

 綾子の姿があまりにも痛々しいからか、妖の所業への怒りが燃え上がったからか。

 依子の心には綾子への不信も、あの時の態度対応への憤りも湧いてこなかった。

「そんな大きな形をしてっ…」

 数舜の間に去来し駆け巡る憤り、そして自分にこう動けと望み、手足を勝手に動かす力のなすがまま、伝わる松割からの意思を全身に強い怒りとともに走らせる。体中の神経に火花が散りながら闘志が駆け巡るイメージが脳裏に浮かぶ。

 先程、結界に飛び込む時の要領は覚えている。

 瞬く雷雲、迸る落雷、あの電光に。

「恥っずかしくないのかぁああああ!」

 宙で身を翻し、紫電を炸裂させながら急転直下に妖へ迫る。

 空を震わせ、大地を聾する落雷と化した依子の拳が妖の肩口にメリメリと音を立てて食い込む。

「おぉぐっふぁ!」

 纏う黒炎に阻まれて電撃は通らない、理解している。

 それでも拳は通った。

 突き入れた拳を押し込むようにして反動つけ妖から離れると、再び地を蹴って妖の胴めがけて抉るように拳を突き出す。

「な、舐めるなっ!」

 よろけた妖も即座に体制を整えると肘でこれを受ける。今度こそ迎撃は成功し、硬い角に右拳をねじ込んでしまった依子は激痛と痺れに僅かに後退る。

 その隙に丸太のような腕を振るわれるのを、依子もまた今度こそ怯まず左の肩と腕で受け止めて大地をしっかと踏みしめた。

 再び握りしめた右の拳がミシリと軋むのを構わず、受け止めた赤黒い腕、その肘の裏側に拳骨を叩き込んで払うと防御の余韻が残る左手を大きく振るって改めてその胴に打ち込んだ。

 紫電纏う拳が弧を描いて妖の脇腹に打ち込まれるも、妖は怯まず拳を繰り出す。

 振るわれる豪腕に一度痛打を浴びた依子の身は、その痛みと衝撃がその都度思い出されて何合交えても一振り一振りで心胆を寒からしめさせ、心に罅を入れそうになる。

(それでも)

「ゴアアアッ!」

 両手を広げて掌で挟み潰そうと振るわれる腕、その内側を掻い潜り胸に拳を捩じ込む。

(それでもっ)

 ゴフッと息を吐き出して悶える妖が真横から巨大な握り拳振るってくる。

(それでもっっ)

 これを受けて、タタラを踏みながら打ち返し、また殴られて、踏みとどまり、打ち返し

(それでもぉっっっ!!)

 全身が打ち据えられて痺れを伴う激痛が走る、殴り続ける拳が痛みに悲鳴をあげる。

 打ち込まれる度に殴打箇所以外の場所にも衝撃が伝播し限界を伝える危険信号が炸裂する。

(そっ、れで、もっ)

 腰が砕けそうになるのをスタンスを広げて無理やり踏ん張って打ち返す。

 身体のそこかしこに疼痛が絶え間無く喧しく反響し続け始めた。

 壁のような妖の身体へ打ち込む拳が、次第に抵抗を感じなくなる。

「それでもおおおおおおお!」

 脳を焼き滾る激情に身を任せ、大地を割らんばかりに踏み込んだ渾身の拳が妖の胸の真ん中を捉えてゴリゴリと嫌な音を立てながら深々とめり込む。

「んっぐぅうっ!」

 妖の身体に纏わりついていた黒炎が吹き消されるように散って飛ぶ。

 それを意に介さないかの如く振るわれた張り手に押し返されて、胸に埋まった拳がずぼりと抜ける。

 踏ん張って拳を握る依子の左目は、既に腫れあがって塞がっているものの、拳を振るうことを一切やめようとせず、妖もまた激痛の走る胸を抑えようともせずに腕を振るう。

 その回転は互いに衰えを見せようとしない。

 どちらかが拳を振り抜く度に血飛沫が舞い、両者の足元に血河を広げていく。

『ぐっはははは!最高だっっ!!さいっこうだぁ!いいぜぇ纏異っ!こんなに楽しめるとは思わなんだ!もっとだ!お前もっ!もっとだぁ!もっと殴らせろぉクソ餓鬼ぃ!!!!!」

 今拳を繰り出しているのは依子か松割か、今殴られているのか殴っているのか、自分自身分からなくなるほどの乱打戦。気の遠くなるような殴打の交換。

 先に根をあげたのは

「ぐっ…くそっ!」

 殴ると見せかけて反対の掌で依子を掴み上げ、締め上げる事で終わらぬ拳の応酬に小休止を挟んできたのは妖の方だった。

「ぜぇっぜぇっぜっはぁはぁっ、はぁっ、はっ、はっ、て、てめぇ…ぐはぁっ、なんなんだ…なんなんだてめぇはぁ!!」

 倍はあるリーチの差を物ともせず、押し返されては懐に、殴り返しても踏みとどまり、後退の意志を微塵も見せずに自分と打ち合う小娘に、心底肝を潰されて忸怩たる感情を露わにする妖が吠える。

「おお、お、俺は七人食った!七人だぞ!大枚叩いて!身体ん中弄らせて!訳のわからねぇ術まで身体に埋め込んで!それなのに!てめぇは!!!」

『…はぁ?七人だぁ?げっへへへ、笑わせんなクソ餓鬼がぁ』

 少女の小さな口、その声色で放たれたとは思えない下品かつ尊大な威圧感の篭る静かな声に妖は遂に竦みあがる。

 今、自分が何を握っているのか、怖気と共に漠然と理解する。

『今時の木っ端妖怪どもはわざわざ食ったモンの数をご丁寧に数えんのが流行りかい?ギシヒヒヒ、可愛いねぇ可愛いねぇ撫でてやりたいよぉ坊主ぅ』

 片目をギシリと顰め、もう片目を大きく見開き、口元を醜悪に歪めながら発せられる言葉。

 声色は少女のまま、ぶつけられる侮りとそれを支える確かな背骨の太さが透けて見え始め、ソレを握りしめる手に力が篭る。

「だ、まれぇ!てめえがなんだろうと!握り潰しちまえば」

『時に小僧。さっきの面白げな妖気の鎧はもうねぇのか?』

 握れば細い少女の身体を手折ろうと、もう片方の腕も加勢させようとしていた妖が自身を省みて顔を蒼く染めた。

 この何者かの放つ雷撃の悉くから身を守るべく纏わせていた妖気が、今は微かに腕にチラつく程にまで散ってしまっている。

『はっ、なんぞ大層なコトやっといて鍋焦がしてんだから世話ねぇや、面白くネェ』

 妖もようやく自らの状況が逼迫していることには気づいた。が、何もかも既に遅い。

「松割…」

 手の中でか細く呟く声にひぃっと怯える妖だが、彼女の纏う紫電は既に腕を犯している。

 掌が、開かない。

「松割、どうすればいい?」

 腫れですっかり塞がった片方の瞼をギシリと見開き、真っ直ぐに睨みつける依子の瞳が蒼く煌めいて、竦みと痺れで動けない妖の瞳を射貫いた。

 ひぃと呻く妖と、音もなく姿もなくニヤリとほくそ笑む松割。

『最初の要領だ。思い切りイキめ、血を滾らせろ、目に見えるもん全部吹き飛ばすつもりで、爆ぜろ』

 全く分からない、と思う間にも体の内側で沸騰する敵意が、あやふやで説明にもならない松割の言葉よりも鮮明にその力の使い方を教示してくる。

 身に纏う紫電がその激しさを増す。

「ま、待てっ!分かった!もう何もしねぇ、見逃してやるっ!だから!」

『何寝ぼけてんだ餓鬼ぃ、最期くれぇ派手に見栄切って散れい』

 舌を出して言う松割、その間にも毛が逆立ち、金の衣が這い弾ける雷を受けてギラギラとその煌めきを増していく。

「ひぃっ!待て待て待て!待ってくれ!俺はまだ!」

 ブスブスと肉を焼く嫌な臭いがし始め、紫電が地を這うほどにその勢力を強めた果て。

「………弾けろ」

 言って、頬を膨らませ、青筋を立てるほどイキむ依子が一瞬蒼く光り輝いた時。

 その場にいた全員の視界が白に染まった。




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