雷雲は窮を告げる 6
頭に走る激痛で現実に引き戻される。
思い返す内にまた意識が遠のいていたのか。
裁ち鋏を支えにしてどうにかこうにか立ち上がると、周囲を見渡して改めて状況を整理する。
(お頭様は)
視線を向ければ、二つの巨体の内、一つは宝蔵門の向こうに蹲っている。
もう片方はといえば
「ぐぅえぇへへへへへ、今更こんなんでどうしようってんだぁ?あぁん?!」
「織り」によって施された拘束をいともたやすく振りほどき、目の前で踏みとどまっていてくれた「織り」も含めて糸ごと投げ飛ばしてしまった。
(こ、拘束はっ・・・・)
先ほどの数倍も太くなった妖の足元、見覚えのある着物が血肉に塗れて踏みしめられているのが視界に入り、意識の爆発とともに軋む体を圧して上がる方の腕だけで裁ち鋏を構える。
「貴様ぁああああああ!」
声を出すだけでもそこかしこに疾走する激痛に顔を歪ませていると、ゆっくりと私に視線を向けた妖は黒く濁った瞳を半月に、愉悦たっぷりに歪めてみせた。
悠々とこちらに向き直る妖の表皮は赤黒く変色し、つい先ほどまで拷問に身も心も削られて爪の先ほどの妖力も失っていたはず、見るも無残に痩せ細っていた姿は見る影もない。むしろ、先日立ち合った時の妖では比肩し得ないほど濃密で膨大な妖気を発しながら意気軒昂に振る舞っている。
「先ほどまで、カトンボのよう、だった、貴様が、なぜ、そ、のような・・・・さっきの爆発は、一体、何を、したぁ・・・・!」
激痛に冷や汗を隠せないながら、懸命に背筋を伸ばして毅然と振る舞う。
仮にここで私が倒れたとて、時間を稼げば別動隊が、赤谷が気づいてくれるはず。
そして何よりも、言葉通りの疑問、何故拷問で力を奪ったにも拘らずこの妖は配置した人員を、私は勿論お頭様まで負傷させる程の妖力を維持していたのか。一体どんな手段でそれを隠していたのか。
この謎を放置しておいてはおけない。
「術の走査は行った。貴様の、き、貴様の所有物に妖気を、貯蔵するような呪物も無かった。力も、削いだ。何故、何故こんな」
どれほど力んでも今以上の踏ん張りが利かない。差し向ける切っ先が震えて、脳震盪の余韻のせいか気の練りも不安定。根性だけで威勢を維持しようと試みるも、私を見る妖の目は私が立ち上がったのを確認してからというもの、絶えず嗜虐の色を隠そうとしない。
「ふえへへへへ・・・・てめぇ退治屋の癖に知らねぇのかよ。俺ぁ食った人間をよぉ、腹に貯めといたのよ。俺の腹ン中じゃあ、“魂熟”の術がかかってんだよ」
「?!ば、馬鹿なッ!?」
思った通り、既に勝利を確信している妖はペラペラとからくりを語ってくれはしたものの、その内容の衝撃の強さについ動揺を隠すことができなかった。
魂熟の術。本来は特定の素材を用いた、陶器や真鍮といった気の通りの良い器物の内側に施す術である。術の回路の内側に閉じ込められた魂を、科学的に証明はできていないながら我々退治屋や妖にとってはその存在を確実に認められている生物の意志、その根源たるエネルギーを複写培養する禁術である。
魂は命を終えた肉の帳から解き放たれて自然に散っていくが、それ自体にはまだ一定の自我がある。それらは魂のみが残留したり別の器物に宿った結果、所謂地縛霊や憑霊として普通の人間の目にも触れたりするものなのだが。
その、特に霧散の始まらぬ、云わば鮮度の良い魂を捕えるのがこの術である。加えて、捉えた魂を揺さぶり、複写し、ぶつけ合わせて砕いて混ぜて、より大きく純粋なエネルギーへと変換しながら増殖させ、培養する。極めて非人道的術である。
得られる気の量は確かに極めて効率的だが、この術は退治屋では一級の禁忌として排斥されている。これを用いるような人間や妖は徹底的に糾弾され、現在では使用された事件もほとんど耳にしなくなった術だった。
そんな術を何故一介のチンピラが。それも体内に。
「六匹で十分だったけどなぁ、最後についででもう一匹食えたのが良かったぜ。結構きつかったぜぇ拷問はよぉ。危うくぶっ放すとこだったがなんとかココまで残せたぜ」
その口ぶり、真逆。
「貴様、この沙汰まで織り込み済みか・・・・」
私の問いに、妖の瞳に嗜虐と嘲りの色が濃くなる。
「フフヘヘエエヘヘヘヘヘ!ここいらで気持ち良く暴れんならよぉ、丑鬼と鬼縫が邪魔だってんだよなぁ。人食いだめぇ~とかほざく老いぼれと元気な雑魚共ならよぉ、たらふく喰ってやれば顔真っ赤にして追っかけてくるってなもんよ。罪も重けりゃ頭が動くだろうってのも見事にハマったもんだぜ。グゥフフフッヘヘヘヘヘヘヘヘ」
コイツ、端からお頭様と私を狙ってたのだ。
術の走査は、今後は体内までやろう。
しかし
「その術に、せよ。ハァッ、沙汰の場を利用しようという、策略も。貴様如きの頭では思いつくまい。思いついたとて、肝の方がついていかないでしょう・・・・誰に吹き込まれたッ」
いずれにせよ、内通者はここには現れないだろう、本からコイツ単独で私たちを始末するつもりだったのだ。囮の方も空振りに違いない。
なら、そちらの人員がこちらに向かっているはず。伝令は、行っているのでしょうか。
「・・・・てめぇに話す事なんざもうねぇよ。ま、あそこの老いぼれの始末が終わったら寝物語にでも話したらぁな。ゆっくり、たっぷり聞かせてやらぁ」
最早震えの隠せない私の全身をつま先からねっとりと視線で舐め回した後、踵を返し、足音を響かせながら先ほどから動けないお頭様に向かう。
「ま、待てッ! ッ」
追いかけようとした足が縺れて膝から崩れ落ちる。
着物越しに膝を石畳に擦り付け、新たな激痛が走る。
・・・・せっかく八重が仕立ててくれたのに、ボロボロにしてしまった・・・・
蹲ったまま動けなくなった私に目をくれて、妖が勝ち誇ったように吠えた。
「おれぁゴキブリ好きだぜぇ、死に際にのたうちまわるとこなんか最高だしよぉ、なかなか死にやがらねぇ!てめぇはどうだぁ?!根性みせろや退治屋様よぉおおお!」
そう言い残し、ズシズシお頭様に近づいていく。
駄目。その人を失うのは、まずい。
秀二さん、赤谷、父様、叔母様ッ
「ま」
無様にも他人に祈り始める私の視界が、轟音と共に白く染まる。
腕が上がらず、防ぐ事も儘ならぬ私の眼を耳朶を、閃光と爆音が強烈に叩き、一瞬気が遠くなった。
落下の衝撃に結ばれていた手ぬぐいがはらりと解かれて肩にかかる。
轟音、閃光の名残として紫電を迸らせる金襴の少女がその爆心地に降り立っていた。




