雷雲は窮を告げる 3.4
沙汰の支度は順調。
別動隊、囮側の準備も問題ないと赤谷から定時連絡があり、こちらも既に仁王門裏、大わらじの見える広場に沙汰の場は設営済み。
本来のここはまだまだ観光客のいる時間。「紡ぎ」に作らせた結界で、人払いと音声の遮断の措置が成されている。この結界は結界の内外、相互に干渉を阻む孤立した空間を作る術。音は勿論の事、振動すらも外に伝わる事の無いように作られた地下まで包み込む真円の結界。出入りには「紡ぎ」の用意した呪物で身を括らなければならず、結界を見る事もできない。騒ぎの拡大を防ぎ、事を隠匿するのは勿論の事、妖をここから逃がさないという点でも協力に働く。
今この場には立会い人として招かれた退治屋「鬼縫」の当主たる絹居綾子と、同じく「紡ぎ」が二人、周辺の哨戒に伏せさせた「織り」六人と現場での随伴が二名。
丑鬼組からも若手集が四名に幹部一名、昨日の昼間に打ち合わせをしたあの歯並びの汚いヤツが来ていて、これから親方もいらしてからコノ、「紡ぎ」に縛られ拷問で憔悴しきった沙汰の張本人に裁きを下す事になる。
「当主、丑鬼組組長が到着します」
定刻まであと二十分、時間に対して厳しい性格である点、いつもながら信頼のおける相手と言える。そもそも、表向きにはゼネコンを営む経営者なのだから、ビジネスマナーとして当然のことなのだろうけれど。
浅草寺本堂の方の結界に一波の揺らぎが生じたかと思うと、20m程離れたところに仰々しい牛車などがいつの間にか現れていた。供回りに数匹の小鬼を伴ったソレは、通常周知されているところの三倍はあろうかという巨体であり、ぎっしろぎっしろとゆっくりと回転する車輪の時点で綾子の丈に比肩する。
牛車、には違いないものの、曳く牛にしてもその図体は一般的な乳牛よりも二回りも三回りも大きく筋肉質で、ぴこりと歩みに合わせて揺れる耳の近くからは湾曲した巨大な角がぐねりと生えている。
その牛車の車輪が一際大きく軋み、牛もまた荒い息と共に停まった。
廻りの小鬼が持っていた踏み台やら伽羅やらをせわしなく準備する中、側面にかかっていた紫檀色の幕が避けられて、その内からのそりと黒々とした巨体が姿を現した。
その昔、京の都に在りて、後に江戸へ逃げ延びて身を立てた妖怪一族。その現在の元締めとしてこの浅草に坐して妖を取り仕切る、関東妖怪の大物中の大物。
妖自助会『丑鬼組』の組長、お頭様の名で畏れられる妖怪、丑鬼である。
四メートルには達しようかという巨魁が狭苦しそうに牛車から顔を出して、従者の用意した踏み台を大きく撓ませて経由し、どっしりと石畳に降り立つ。
鈍重極まりない動きながら、既に何度も顔を合わせたことのあるはずの綾子の背筋に緊張を走らせるだけの威圧感を放つお頭様。ぐじりぐしりと石畳を歩みながら、目の前まで迎えに来ていた綾子に対してその長い髪、いや鬣を手で避けながら会釈をしてくる。
「おお。今宵は。付き合せてすまなんだなぁ鬼縫の」
「お心遣い痛み入ります、お頭様。お頭様こそ、此度は我々の都合に付き合せてしまい恐縮の極みでございます」
深々と最敬礼をしたまま述べる綾子に、顔上げるよう手で促すお頭様。
その動作は重く、緩やかであるが故か、声色の穏やかさ故か、綾子との体格差故か、まるで子供をあやすかのように映る。
「よいよおい、本よりウチの組のモンがやらかしたことじゃ。何から何までやらしてしまってすまないなぁ。身内の不始末故。本来ぃ儂らで始末を着けねば成らんのにのう。食われた人の仔ぉにも。済まぬ事をしてしまったぁ」
「いいえ、お頭様が地域一帯の妖の統制を取られておいでであるおかげで、こうして下手人の捕獲も叶いました。我々の微力のみではもっと被害が広がった事でしょう」
お頭様、という呼び名は単に組織の頭目としての呼び名以上に固有名詞として機能している。
ううむと頭を振る丑鬼に冠された、こめかみから生えてぐるりと螺子を巻きながら天頂に向けて半円を描く太く太く立派な角が重そうに空を混ぜてる。彼の威容を飾る角こそが、古くより続く血脈を現代にまで誇示し続けている、牛鬼組の象徴にして組の誇りそのものである。
その浅草をはじめ、都内の妖に極めて顔の利く組の長が、今回の沙汰の張本人の下へと歩み始めるのに合わせて綾子も倣う。その途中、自分の半分もない痩躯に巨躯を屈ませながら低く低く、綾子にだけ聞かせるための声音で話す。
「で。ネズミは」
「未だ。尋問によってヤツも相当衰弱していますし、救出にしても妖力の回収にしても、実際に訪れたところで実入りはないでしょう。仮に、陽動が内通者を通して伝わっているとしても問題はありません。こちらを襲撃したところで捕えるだけです」
「内通者も。単独ではないじゃろうが。ヤツの衰弱に関して漏れているという事は」
「有り得ません」
お頭様の為に用意された櫓の様な椅子、座ろうとするお頭様の手に細い手を添えて支える。
綾子の細腕でどれだけの補助になるか分からないが、老体かつ年長者への労りは欠かさない。
「事実、尋問の場、そしてわざわざ場所を移した監禁場所にもそれらしい動きが近づくことはありませんでした。情報の隠蔽は完璧です」
探ろうとする動きは確認できましたが、と毅然と言い放つ綾子の目には傲りや祈りのような感情はなく。只事実を述べている、そういうなんの感動も無いものであった。
「とはいえ、そもそも内通者の存在も不確かで、ヤツ自身そういった存在について白状したわけでもありませんし、それに」
「いいぃのじゃ。ううむ。誰でも。自分の腹で臓物を啜る虫が居るなど。思いたくはないというものじゃろう。儂も、お主もな」
そう遮るお頭様の声には悲嘆と諦観がにじむ。
いかに古く、精強な組織を作り上げたとして、その内に沸く邪心の悉くまで感知できるほど人も妖も万能ではない。
日本でも指折りの名頭目ですらそれなのだから仕方ない。そんな無力感が籠もる大きな溜め息が綾子にも一陣の風になって噴きかかる。
「・・・・くへ・・・・へへ・・・・・・・・へへへへ・・・・・・・・」
と、その命最早数刻という臨場に立つ、いや座らされる大男の口から不気味な笑い声が届く。
お頭様から4m程離れた場所に、後ろ手に丸太に括りあげられている衰弱しきった男の、憔悴しながらも、さも可笑しげに忍び笑いを漏らす声に、傍にいる「紡ぎ」はもちろん周囲にいた者たちが注目する。
「何が可笑しい。自分の末路を儚んで気でも触れたというのですか?」
沙汰を言い渡す以外、罪人と語り合うつもりのないお頭様の代わりに綾子が問う。
俯いて目元の見えない妖の口は確かに歪な形でその端を釣り上げていて、徐々に漏れる声は高く、合わせて体を震わせ始める。
「うへっ、うへへへえへへへへっ!お頭ぁ、アンタは立派だよぉ・・・・妖なんてのはよう、みぃぃぃんな人間なんて食いモンとしか見ちゃあいないのによぉっ・・・・アンタに言われちゃあってどいつもこいつも腰が引けちまって、可愛いもんになっちまってんだからよぉ・・・・・・・!」
口の端からよだれを溢しながら叫ぶ妖。自棄になったのか、敬愛していた、はずのお頭様に向けて泡を飛ばしながらまくし立てる。
「うへへっ!でもよぉ!もう無理だぜっ!アンタがどうしようが結局人食いは止まんなかっただろぉ!なぁ!アンタがどれほどのもんでもよぉ!結局アンタよりよえぇ連中ぐれぇしかイイ子にゃしてねぇんだよ!へへっ、これからはよぉ!もっともっと増えるぜぇっ!・・・・ウヘヘヘ・・・・ウヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘ!」
お頭様をねめ上げるように睨みながら吠えたてる妖に、綾子が嫌悪感一杯に応える。
「黙れ、そのために我々がいる。貴様が死んだ後のことなど」
その眼差しの光に
「考える必要も無ければお頭様への侮辱も・・・・」
死に際の狂乱や命を放棄した諦観も無いことに
「貴様っ、何を企んで」
気づいた時には
「丑鬼ぃ!その首取ったぁぁぁぁああああ!」
大きく開いた涎を垂れ流す口からどす黒い妖気が放出されて
妖の周囲毎吹き飛ばす颶風が巻き起こった。




