雷雲は窮を告げる 4
バンッと蔵の戸を乱暴に開け放つと私は、さっき八重ちゃんの声がした部屋へと駆け出した。
後ろからヒヨドリさんの声がするけど構ってられないごめん。
それより、当主負傷って!当主って!
「綾子さんっ・・・!?」
昏く長い廊下を延々ぐるりと走る途中、微かに開いた戸板の隙間から橙い明かりの零れる部屋を見つけて力任せに開け放つ。その部屋の壁際に八重ちゃんが崩れ落ちるように座り込んでいて、目の前には何か、学校の放送室にあるような難しそうな機械が置いてあり、今しがた聞いたばかりの声が繰り返されている。八重ちゃんは突然の大きな音と私の登場に驚いたのか、ビクリと大きく体を震わせてこちらを見たが、その目の焦点は明らかに定まっていない。
「八重ちゃん!綾子さんは!?」
「?!なんで・・・・」
「聞いてたから!でっ?!綾子さんは!?一体何があったの!?」
ばたばたと部屋に踏み込んで八重ちゃんの前に跪くと、カタカタと震える細い肩をガッシと掴んで揺さぶる。次第に震え揺れる目に光が灯って、ついに私と合った。
「依子さん!姉さんが!!!」
「八重ちゃん待って!ケガしたってことだよね!どういう事!?」
「姉さんは・・・!御勤めで!でもおかしいんです!姉さんは只の見届け人で!装備もあくまで念のためで!でもちゃんとやったんです!姉さんに限って!そんな・・・・そんなのおかしいです!」
「八重ちゃん!!!!」
あまりにもヒステリックで悲壮な声を張り上げる八重ちゃん。
動揺のあまり言葉のまとまらない様子で、ほとんど恐慌状態に陥っている姿に圧倒されそうになるのを圧して、思わず力いっぱい抱きしめる。
落ち着いて、と繰り返しながら背中を叩きつつ大きく深呼吸をする。
しばらく震えて肩で息をしていた八重ちゃんの呼吸をまず落ち着ける。そうしないとちゃんと話を聞けそうもない。
その間も機械からは男の人の声が流れていて、相変わらず慌ただしく状況を報告している。
八重ちゃんを撫でながら耳を傾けると、宝蔵門、罪人、当主負傷、奇襲、数1、対応、オリ六名、もたないといった言葉が何度も繰り返されているが、事態はかなり切迫しているらしいのが声に込めれていて、その鬼気迫る声色と声の後ろから時折聞こえる轟音が、素人の私にもそれがいかに深刻な状況なのかを分からせるに足る迫力を持って脳を揺さぶってくる。
やがて八重ちゃんの震えが治まったのが分かって放してあげると、逆に八重ちゃんが私の肩を掴んで揺さぶってくる。
「依子さん!どうしよう!姉さんがけがを!」
「うん、私も聞いたよ、どうしたらいい?」
「もう連絡が全鬼縫に渡っています、だけど現場はかなり逼迫してて、混乱してて、裁きを受けるはずの罪人が姉さんを襲って、それがすさまじい力だと、考えられないことのはずなのにっ・・・・そそそそれで、現場の「織り」がなんとか拘束したそうですが、それが精一杯で」
「頼める人いないの!?」
「実は、この事態を想定して別の場所で沙汰をすると嘘の情報を流して、内通者が来るとしたらそっちだからと主な戦力をそちらに割いていて、でもそちらも何かの妨害で動けないらしくて、もうどうしたらいいか、今からじゃ他の「裁ち」を手配するのにも時間が・・・・あぁもうどうしたら、姉さんがいないと私じゃ何も、姉さん!姉さんあぁもうどうしたら」
「八重ちゃん落ち着いて、分かった、全然何が起こってるか分かんないけど、やるべきことは分かった!」
私は八重ちゃんの頭をワシリと一撫でするとバッと立ち上がって部屋を出る。
時は一刻を争う。
つんのめりながら廊下に飛び出して目指すはあの蔵。減速するのも煩わしくて、角という角で柱に手を突き壁にぶつかり指をかけて無理やり曲がる。
先ほど駆け抜けた廊下を戻り、蔵の扉を力任せに開いて中に飛び込むと、変わらず暗い室内に埃がぶわぁと巻き上がり廊下から入る光の中でせわしなく翻った。
「アラ?戻って来なすっタ」
「ねぇヒヨドリさん!どうしたらいい!聞いてたでしょ!」
行李に飛びついて蓋を外す。
「いや聞いてましたけどネ、まぁアタクシらにはどうしようもないというカ」
出てきた着物からはなんとも間の抜けた応えが返ってきて、その呑気さに思わず頭に血が上る。
「何言ってるんですか!綾子さんが!綾子さんが怪我したって言うんですよ!それもなんだか一刻を争うとかで、どうしたらいいですか!私は何かできますよね!」
この着物たちの力を借りれば、それはつまり綾子さんの言うことを受け入れる事になってしまうかもしれないし、何よりやっぱり怖い、処分がどうなるのかも全くわからない。この着物たちのことにしたって、その力の一端を体験したとはいえ本当に信用していいものとは限らない。
でも!
「私があなた達を着れば!あなた達は力を貸してくれるんだよね!?」
「ハハ、やっと乗り気になってきたかよ」
私の問いにいち早く応えたのはマツワリだった。
やはりという気持ちはあるが、一番信用ならない相手の気がするため、できれば協力は別の人に頼みたいが。
「ばぁか、てめぇ「あんたには頼みたくねぇ」みてぇな顔してっけどこんなかじゃオレが、いや、オレしかおめぇの願いにゃ適わんぜ」
「?どういうこと?」
嫌な事を言うマツワリに訝しむ私に、ギギとガエンさんが口を開いた。
「そうじゃな、急を要する、事を急くというのであればマツワリが適任であろう」
「なんでです!ぶっちゃけ私このヒト嫌いです!」
だってすぐつっかかってくるし口悪いし。
「なんだ、間抜けな「裁ち」当主は庭で転がってんのか?それとも三軒となりか?オレは良く知らんがよぉ、走って行って間に合うんかぁ?だいたいどこで何してんだぁ?」
「そ、それは・・・・」
そういえば、綾子さんが今どこにいるかって
「そうだ!宝蔵門!浅草寺の宝蔵門だよ!」
先ほどの通信!そうだ、たしかに宝蔵門と言っていた!
と、いうことは・・・・
「ハッーーハハハハハハ!そうかそうか!じゃあ他の連中じゃあノロマすぎて夜が明けちまうなァそりゃいい、それでいいなら他のに頼みなぁ」
悔しいけど、鬼着さんの力は知らないけど、今からじゃ自転車、いや、電車を使っても十五分はかかる。現場がどうなっているか分からないけど、きっとそれまで何も起きないなんて事は無い。本当もう、分からないからこそ焦る。
「オレならだ、オレならここから浅草寺?ハッ!行って来いの間に湯も沸かねぇ。どうだ?オレを纏うなら付き合ってやってもいいぞ?」
ぐぬぬ・・・・。
昼間の綾子さんじゃないけど、どうしてこう他に選択肢があるようで無い要求をされてばかりなんだ。
極めて業腹ながら、これはもうしょうがないのか。
「うーーーーーー分かった!手を貸してマツワリ!」
「あぁん?!聞こえネェよなぁオイ」
「あんた今オレならできるって!」
「アンタだぁ?ハッそれがモノを頼む態度かねぇったく、これだから田舎のガキは」
おのれこの腐れ着物め・・・・ツ、急いでるって言ってるのに。
「お、おおおお願いします!力を貸してください!」
「まぁだ聞き取れねぇなぁ」
「このっ・・・・」
「マツワリ様、まさか・・・・」
「っせぇ邪魔すんな。あんだよ用がねぇならとっとと他当たれ」
もうこの際諦めようっ、とりあえずなんでもいいから協力を取り付ける他ない。
一際大きく息を吸い込んで行李をグワシと引っ掴んでおでこを擦りつけながら思いっきり叫びつける。
「マツワリさぁん!お願いしますから力をお貸しください!お願いしまぁぁああああす!」
全霊を込めて叩きつけるように叫びあげる。
行李の中からクククと満足そうな忍び笑いが額に染み入ってきてなんとも腹立たしく、うなじの辺りから脳天に血が上っていくのが分かる。
「よぉしそこまで言うならいいぜ、蓋を取れよ、中のオレを引っ張り出せ」
言われてすぐ乱暴に蓋を取り除くと、和紙を無理やり引っぺがす。
現れたのは金色の生地に黒い夜空を思わせる黒が半分、太い木と砂浜のような絵が、どうやって描かれたのか分からない緻密な日本画現れた。日本が特有の雲模様が黒い生地の上に金色に刻まれて豪奢を極めた厚手の着物がそこにある。
「おら!早くしろよ急いでんだろ?!」
「わ、わかったけど、本当に協力してくれる?」
「するっつってんだろが、あぁなんか気が乗らなくなってきたわぁ」
「分かった!分かりましたから!」
慌てて金色の着物を掴みとり引き出す。
「待ってたぜこの時をよぉ」




