雷雲は窮を告げる 3
〈ではユきまショ。目を閉じて耳を澄ましてくださいマシ〉
そんな声が耳の裏から骨を伝わるように頭に響く。
驚いて振り返るも誰もいない。
動悸に跳ねる胸を抑えて言われるまま瞼をそっと降ろすと、光一つ無い暗闇に視界が閉ざされてしまう。
ドキドキと自分の鼓動が耳を内側から叩くのを聞いてしばらく、徐々にその音が気にならなくなってきた頃、聞き覚えのある声が微かな音でいくつも耳に入ってくる。
《・・・・・・・・近は綾子さ・・・・夜遅・・・・て大変ねぇ》《そりゃあ当主にな・・・・・・・・ぐだってのにいきな・・・・大事らしいじゃ・・・・の。ま・・・・若いって・・・・・・・・可哀想に》《今夜!ミュ・・・・クス・・・・ジは!コチ・・・・のラインナップ!》《下ごしらえは・・・・たので、他・・・・ありますか?》《あらあ・・・・重さんはもういいで・・・・とはこっちでやりますから、お夕・・・・は綾・・・・が帰ってからに・・・・・・・・》《あ・・・・あぁこりゃだめだ、交・・・・・・・・予備出してく・・・・》
〈・・・・これは・・・・〉
じわじわとザワザワと、耳の中に様々な音に声にと飛び込んできて一瞬混乱して頭を振った。
〈フふ、アタクシ、こういうのが得意ですノ。纏ってる訳じゃないから中途半端でしょうケド、如何カシラ?色々と聞こえてくるでショ?〉
〈・・・・あーなるほど、そういう事ですか〉
ヒヨドリさんはどうやら蔵に居ながら家の中で起こっている事をこうして聞いているらしい。だから他の着物さんたちと同じく百年の間、蔵から出ていないにも関わらず現在の事がある程度分かるということだろう。
ほとんど雑音に近い音に耳を掻きむしられるも、じっと耳を澄ましているとだんだんとそれも落ち着いてきた。
声はほとんど使用人さんのお仕事の声で、様々な生活音も混じって聞こえてくる。さながら壁の極端に薄い共同住宅で、誰も彼もが音に頓着せずに生活しているのを聞いているような感じだ。別にアパートマンションに住んだ事は無いけれど。
さらに耳を澄ますと、徐々に徐々に音が鮮明になっていくのが分かる。
〈今のはテレビかな・・・・音楽番組だ。それに、今のは八重ちゃんかな。あ、台所か、料理してて・・・・今台所を出た?〉
〈あらアラ、やっぱりちゃんと見たことあるからでしょうネ、飲み込みが早いし推理も滑らかでらっしゃるワ。アタクシは音で聴いた事から想像するしかできないものネ〉
ヒヨドリは残念そうに、そして楽しそうに音に対してじっと耳を澄ませる私の姿を眺めているらしい。
いろんな音が同時に耳に飛び込んでくるので最初こそ面食らったが、なるほどこれは面白い。
耳から入る情報だけでもかなりの事が分かる。今、トイレの電気切れてますね。
〈これがアタクシの力の片鱗、纏ってもらえるならもっと精彩にアタクシの艶姿をご覧になれますわヨ〉
「だーからそういうとこがうさんくせぇって言ってんだよ」
すぐ近くでマツワリの声に威嚇するようにシャーッとヒヨドリさんが声を上げるが、その声は先ほどよりも耳の内側というか、頭の骨に伝わるようにして響いてくる。
〈あら、まだ触れている程度ですのに大したものですワ。才能は本物のようでございますのネ〉
肩のあたりに、何か温かいものが纏わりつくような、けして不快ではない感覚に身を任せる。
そうして耳を澄ましている私の耳に、聞き捨てのならない声が飛び込んできたのはそんな折だった。




