雷雲は窮を告げる 2
八重ちゃんの心配する気持ちはわかる。結局その妖だのお化けだのの事は、今まで直に接した事と聞いた事でしかまだ分かっていないのだ。少なくとも、蔵の鬼着?や昨夜の大男のように流暢に会話が通じて意思疎通できるようなのには初めて遭ったし、何をしてくるかなんてわかったものではない。
それでも、もし全市さんが言っていたように、あの着物を着て何かするというなら、本人?達から直接どんなものなのか聞く必要がある。それも綾子さんと話すときの材料にしたい。
足早に渡り廊下に至った私は勢いもそのままに蔵の扉をバカンと開け放つ。
「お邪魔しまぁぁぁあす!」
「うるせぇ!!急にデカイ声出すな」
開けるなり浴びせかけられる怒鳴り声に怯まず蔵に入り込み、そっと戸を閉める。
相変わらず、蔵の中心には七つの行李が置かれていて、その一つがガタガタと揺れている事から今声を上げたマツワリの行李がそれだと分かった。
なるべく埃を巻き上げないようにそっと歩み寄って行李たちの傍に腰を下ろす。
ふわりと埃が舞って、暗い蔵の中に差し込む僅かな光の筋を中空に刻んで消えていく。
「うむ・・・・して、如何にしたか纏異よ」
奥の行李からギギギと、木の軋む音と共にしわがれたガエンさんの声が上がる。
マツワリはさっき叫んだきり黙っているので、落ち着いて話ができそうで大変よろしい。
「色々聞きました、纏異ってなんなのかとか、鬼縫の事も」
「うむ、左様か」
首肯するようにギシギシと軋むような唸り声を乗せてガエンさんが応えてくれる。
それを聞いてか、マツワリとはまた違う行李ががったがったと揺れながら嬉しそうな声を上げ始めた。
「ほんなごとな!こらうれしか!んならおまやー、纏異んなるいうんかよなぁ?かー!こら嬉しか、ワシイワイメデタでもやっちゃるか?嘩嘩嘩嘩!」
「本当ですカ、これは嬉しいことダ、ということはマトイ様、纏異をされる決心がついたということで間違いありませんカ?これは嬉しい、私、祝い目出度という民謡があるので歌ってもいいですカ?って言っちゃりますネェ」
タケマルさんの言葉はあまりの訛りと早口にまったく何を言っているか分からなかったが、ヒヨドリさんが間髪入れずにカン高い声が翻訳してくれた。
「って、そもそも早とちりでありまショ、纏異様はまだなァんも言っとりませんジャありませんカ」
「ハハハ、ありがとうヒヨドリさん」
今はまず話を聞かせてほしい。
纏異ってものがなんなのか、実際に、直に体験しているのがこの着物さん達なんだ。
「あのですね、その纏異っていうのについてもっと詳しく聞きたいんです。こう、具体的にどんな事するのかとか、どんな事があって、あとそう!鬼縫さんとはどんな感じだったとか!」
「その様子じゃあ昨日よか前向きって事か?そりゃいい、いくらでも話してやるぜ」
行李を揺らしながらいち早く応じたのはマツワリだった。
どうもこのチンピラめいた態度に真面目に接しないといけないのは釈然としないものだけれど、別に教えてくれるなら誰でも構わない。
「そもそもなんでけど、纏異って何する人なのか、もう一回詳しく聞いていいですか?」
「あぁん?昨日も話しただろうが、まぁいいけどよクソ。簡単だよ、オレ達を着ればいい、そんだけだ」
そんだけって。
と伏し目がちに見つめるのが分かったのか、ギシシシとガエンさんが割り込んできた。
「詳しくと纏異は言うておるだろ、ざっくばらにしても程が有ろう」
これに対してマツワリは舌打ち一つで引き下がる。ヒヨドリさんに対するソレに比べると随分としおらしい態度だが、この着物達の間でも力関係というか、上下関係みたいなのがあるのだろうか。
「よいかな纏異の。儂ら鬼着については話した通り、人界で暴れ、仇を成して討たれた妖を糸にし布にし、うぬら人の形に繕われたモノ。纏異は、儂らを纏い、儂らの力を己が力として振るった勇猛にして怪傑なる戦士じゃ」
「お化けを着るとお化けの力が使えるんですか?」
「応!じゃけんワシらも力ば貸す、纏異が暴れりゃなごーなすん一緒になってやるばい。纏異に纏われよって暴れよう時ゃあ生きとった時とおんなじ気持ちばぁなれるけんなぁ!」
「纏異に纏われて一緒に妖を叩きのめす為に力を振るう時は生前の感覚が戻るので楽しいそうデス、それについては同感ですワ。アタクシ達はこの通り、普段はただ行李に収まっているくらいで時々互いに言葉を交わすくらいしかやる事も無い。纏異に纏われている時だけは生きている実感を取り戻せたものでしたからネェ」
自分では身動きが取れない。多少なんとかなっても、この様子からして自ら行李を開けて出てくることもできず、百年間箱の中でじっと、身じろぎもできずに納められていたのか。
暗い匣の中に百年。
「おいテメェ。今憐れんだか」
突然ドスの利いた声が、声も低く、確かな怒気を持って発せられた。
びくりとしてそちらを向けば、揺れるというよりもわななくように小刻みに震える行李が一つ。
「本はといやぁてめぇら纏異が力失くしてどこぞに落ち延びたんが悪ぃんだろがオイ、もっと言やぁ天下を気ままに謳歌してたオレをトッ捕まえやがってこんなナリにしやがったのは鬼縫でてめぇら人間だぞコラァ!いいか!?オォ!レェ!はッ!ちったぁ遊べる分腹も減らねぇし悪かねェと思って付き合ってやってたんだよ!!だってのにイキナリ百年も閉じ込めやがってクソがぁ死ねボケェ!!」
言いながら怒りのボルテージがグングン上がってしまったようで、爆発したように行李がばっかんばっかんと浮き上がる程に暴れている。
「そのくせ「百年も閉じ込められてカワイソー」とかケンカ売ってんのかテメコラァ!」
「ごめんなさいごめんなさい!そんなつもり無いしそもそも何も言ってないじゃない!」
フーフーと威嚇する猫の様な声を出して荒い呼吸音を響かせるマツワリ、どーどーと宥めるような声を出すヒヨドリさんだが、それは馬のヤツでは。
「まぁその点に関しちゃホントに情けはいらないわヨ、アタクシ達、みーんな漏れなく非の打ちどころも無くジャヨウだったんですもノ」
「ジャヨウ、ですか?」
「そ、ヒトがアタクシたち妖を呼ぶ時、特に人界に仇を成すヤツの事を邪な妖としてそう呼ぶのヨ」
あー「邪妖」。
それじゃあつまり、ここの着物さん達、鬼着さんはみんな昨夜の大男のように。
「そうヨ?マツワリもタケマルも人喰いだシ、ガエン様やシノビにシラサメちゃんも結構豪快な事したっていうシ、アタクシとムショウはちょっと特殊だけどネ。昨日今日と煩わしいんで黙らしてるけど、壁の抽斗に仕舞ってある半端モノ共もみーんな悪いコ、みーんな邪妖、みぃぃんなみんな人を食ったり殺したり悪さしてきたノ、だからこんな目に遭ッテ、妖退治のお手伝いさせられてる訳、無期懲役の強制労働ってところカシラ!」
キャハーッと何が楽しいのか一人でケラケラ笑い出す。ヒヨドリさんはどうにも、親切なのには違いないけれどイマイチ掴みどころが分からない。
その間、一際長い溜め息を吐き流すとやや落ちついたトーンになったマツワリが問うてくる。
「でよ、テメェ結局どうしてぇの。オレはいつでもいいぜ、また雲海を駆け、稲妻を従えて、調子こいてる木端妖怪どものドタマ目掛けてドンぴしゃりと食らわしてよぉ、そのアホ面撫でまわせるってんならやってやらぁ。どうせソレくれぇしかやる事もねぇかんな」
「アタクシ達としては全員一致、ほぼネ?全員一致で纏異を歓迎するワ。どんな形でアレ、またこの世で力を振るえるナラいくらでも協力してあげる」
鬼着さん達的には私の事は歓迎らしい。
「・・・・私が拒否して出て行ったら?」
「ざっけんなコラぁ!ここまで思わせぶらしといて今更ばっくれてんじゃねぇぞオイ!」
「だってまだ決めて無いもん!怖いし!」
綾子さんとの話だってついてないし。
あくまで私が今聞きたいのは「纏異」が何たるかの当事者たちの話なのだ。
実際に活動する場所は部活にしろ職場にしろ内情は知っておきたい。知っておけと言うのは父の言葉だ。
「纏異様の言い分も、はい、分かりますよ。皆様ももう既知の通り、この方は正に先日までは只の見鬼。妖に他の人よりも悩まされ続けてきただけの方です。どちらにせよマツワリ様。私共には何の権利もございません。全ては纏異様の意志。それ一つなのですから、もう少し、協力的に。ね?」
冷たくて穏やかな声がまくし立てようとするマツワリの声を制してくれる。今まで話した中でガエンさんに次いで話が通るヒトが出てきてくれてほっとする。ヒヨドリさんは優しいけど飄々としすぎていてどこか胡散臭いので、普通に誠実な感じのヒト、着物、お化けさんがいて助かる。
「シラサメさんも纏異の人と、なんていうか、仕事した事あるんですよね」
「もちろんでございます。私、こちらの歴々の妖方とは比ぶるに値わぬ矮小の身ではございますが、贖罪も込めて纏異、ひいては鬼縫の皆様の御勤に微力を加えさせておりました」
目の前で深々と三つ指立てて頭を垂れる美人が目に浮かぶような丁寧な話し方。ちょっと自虐気味なところがあるようだけれど、シラサメさんの物腰は他のヒトに比べて話しやすい。
「マトイ様がお望みなのは「纏異という異能がどのようなものであるか」についての私たちの所見でございますよね?まだ具体的なお話はしておりませんでしたし」
それである、昨日はその話になる前に、私の頭がパンクしはじめたのを見かねたガエンさんが仕切り直しを提案したんだった。
僅かにではあるものの、昨夜私は綾子さんの大立ち回りを目にしているわけで、もし自分が実際にお化け相手に切り結ぶような事になるとすると、それを前向きに考えるにしても拒否するにしても現場の話は聞かなければいけない。
断るにせよ承るにせよ、切れるカードは多い方がいい。これも父の言葉である。
「かつての纏異様は、私たちをその身に纏う事で、私たちが生前に持ち合わせていた妖としての異能をまるでご自分の力であるかのように振るわれておりました。特に初代様と四代目様は誠に素晴らしい武人で、あの方たちに纏われると私たち、まるで自分自身が確かに地を踏み空を薙いでいるかのように思えたものです」
「あー初代もよかばってん、四代目もすごかとばい!ほんに気持ちのいいおなごなやったなぁ、おなごだてらにワシの馬鹿力で妖のオーロモンどもクラして回すんわもう胸ば梳くようやったばい!」
タケマルさんがはしゃぐように声を上げる。ご先祖様で纏異をやっていた人にはどうやら女性もいるらしい。
「あのー、やっぱり危ないもんなんですよね・・・?」
「うむ、それは勿論じゃとも。妖を討たんとするならば自らもまた討たれるのは道理じゃ。無論、儂らを纏う以上、纏異は儂らそのものじゃ。纏異を失えば儂らは外界との繋がりを失うに等しかったでな。儂も、いや、儂のソレはシラサメの程軽い罪禍ではないが、儂もまた贖罪を込めて纏異を守り、纏異に力を貸したものじゃ。それがこうして生き存えておる儂らのここに在る意味じゃろうてな」
だから、やるならやるで安心していい。ということなのかもしれない。
やっぱり鬼着さんたちは基本纏異に対しては肯定的、と思っていいみたい。マツワリにしても基本はずっと反抗的だけど、纏異に纏われれば生前の力を使える、という点に限れば協力的と言っていいと思う。
「長久 振るわれぬ力であれば錆びもしよう
僭越 某の意見も聞き入れ願えるなら
是非 其処許を我らが御主として迎える事叶わば
望外 喜ばしい事この上無く」
突然左奥の方から声が上がる。
今まで聞いた事も無い声であったのでびくりとしてそちらを向くも、見えるのはやはり同じ色の行李である。
「あぁ、今のがムショウ、アタクシと同じ訳有り妖怪からのコノ様同盟でございマス。変なしゃべり方だけどネ、慣れるとこう、英語みたいで却って分かりやすいですワ。普段寡黙で、よっぽど言いたい事がないと喋ろうとしないのデスけどネ」
まるで機械音声のような、タイプライターやパソコンのキーボードを叩く音のように規則的で平坦の声はそれきり黙ったままではあるが、言っていた内容だけ見る限り、結構な熱烈歓迎のように見受けられる。
「マ、実際纏異の御勤めは多岐に亘りましてヨ。何せここにあるアタクシ達鬼着の分だけ仕事がありましたモノ、今はどうだか知らないケド、討伐から調査に潜入、交渉に仲介、大正頃に鬼縫が三流に分かれてやるようになった仕事も、結局纏異は一手にやっておられましたものネ」
「おまけに纏異は、どう足掻こうも一族一流、ほんで加えて才の有りや無しやも激しかったばい。こん代はおまえひとりじゃろ!カーこら忙しくなるったいねぇ嘩嘩嘩嘩!」
・・・・どうも一筋縄ではいかなそう。あまりブラックな労働形態なら本当に考えないといけないかもしれない。
「アー、あんまり心配しなくていいんじゃなイ?今の鬼縫は分業だし、戦前に比べりゃ規模も増えておりまショ。当代ちゃんがどう考えてるかは存じ上げませんシ、あの「織り」の現当主めが随分と組織改革したそうじゃありませんカ。そんな不安そうにしなくても大丈夫でございまショ」
顔色に出ていたのか、ヒヨドリさんがフォローするようにケラケラと言っている。
鬼縫の内部事情については良く知らないけれど、その辺りはもう綾子さんと直接話すしかないのかな。
それはそれとして今の発言にはやや引っかかりがあって口から出る。
「あれ?ヒヨドリさんはずっとここに居たのに今の当主ぅとか誰誰が何したとか分かるんですか?」
「あーそれネ?ウフフ、よくぞ聞いて下しゃりましタ。アタクシィ、そういうの得意でしてネェン?よかったらぁ、ちょぉっとだけ体験してみまスゥ?」
甲高い声が滑らかに艶めいた声へと質を変え、しっとりと耳の奥に触れてきてちょっとドキリとする。
いや、声だけなら間違いなく女性なのだし私だって女なのだから何を動揺することもないはずなのだけれど。
「お試しでしたらァ、ホラ、この行李の蓋をお外しになっテ?ご随意にアタクシの肌に触れてくださいまシィ。纏異様でしたらそれで充分ですカラ」
ガエンさんの件があったので、開けただけではどうという事は無いと分かっているが、そういえば生地に触れた事は無かった。
声のする行李ににじり寄ってそっと蓋を外すと黄ばんだ和紙を退かす。現れたのは蔵の微かな光にもキラキラと煌めく白地に金と緑、その他にも様々な色が散りばめられた美しい生地。少しだけ見惚れてから、おずおずと指を伸ばして
「気ぃつけろよ纏異。ソイツァコマシで鳴らして人間から妖になったような筋金入りの毒婦だぜ。うっかり憑り殺されんじゃねえぞ」
とマツワリの声がしてひぇっと手が停まる。
「マァァツワリィ!アンタは余計な事言わないノ!だいたいアンタにはデリカシーってもんを知らないのカイ!?女の過去を勝手に語るなんテ呆れた野暮天だわサ!大妖怪サマが聞いてあきれるよもおうダサいったらないわネあんたワ!」
先ほどよりもはっきりとしたよく通るキンキラした声が目の前から浴びせられる。行李が一人でにガッタガッタ揺れながら発せられる声は本当に怒っているらしく、これまでに無く甲高い。
「あの、ヒヨドリさん?」
本当に憑りついたりしないよね?
「オホン!ウチの事はいいんでス!何もしませんからホレ、早うお触れなんしっ」
フンッとそっぽを向く所作が脳裏に過ぎるような言い方の後、ヒヨドリさんは黙っている。
マツワリに言われた事も気にならなくはないけれど、ここはヒヨドリさんを信じて手を伸ばし、柔らかくもツヤりとなめらかなその生地に触れる。




