ふたり、浅草 4
「ねぇ丑太くん」
「ん」
「もしさ、海で溺れていて、助けてーってお願いしたら乗せてくれた船があったとするじゃない?」
「いや知らんが、まぁ、それで」
「で、船に乗せてくれて荷物も引き揚げてくれて、助かったと思ってたら、実はその船はサメ退治の船で」
「なんだそりゃ」
「例え話だから」
ハハと苦笑して続ける。
「で、この船は決して陸には戻らない船だ、もしこのまま船に乗っていたいならサメ退治を手伝え、さもなくば放り出す。せめて小舟くらいは付けてやろう。って言われたら、丑太くんはどうする?」
「いや全く意味がわからねぇよ、心理テストかなんかか」
「まぁ気楽に応えてくれればいいよ」
トクトクと、アスファルトの道を歩みながら彼を見上げる。
むーんと例のごとく顎に手を当てて右上を睨みながら考え込む丑太くんが、やおら口を開く。
「一個わかんねぇ、前提っつうのか。なんでそいつらサメ退治してんの」
「それは・・・・」
なんでだろう。
どうして鬼縫さんはお化け退治をしているのだろう。
生活の為か、昔からやっているから?
〈住み心地は如何でしたか?我が家は〉
あの時の綾子さんの言葉は、私には脅し文句にしか聞こえなかったし、今でもそう思ってる。
でも、確かに絹居さん家にはお化けが出なくて、昼間に行った浅草寺のように澄み切った空気に満ちていて心地よかった。
浅草寺のように。あの楼門のわらじや仁王像は魔除けのためで、それはなんのため。
参拝客の為、訪れる人が平穏にいられるように。
「・・・・・・・・サメが人を襲わないようにするため、かな」
「そのために年中海に浮かんでんのか。難儀だなオイ」
難儀、うん、大変だと思う。
「でもま、誉められた事じゃあねぇの?サメなんてよう、日ごろ遭うモンでもねぇだろうによ、それが人を襲わねェようずっと働いてんだろ?結構立派じゃねぇの?」
「・・・・うん」
「ま、ただそれを手伝えって脅してくるようなんは納得いかねぇな。めっちゃ腹立つわ。そんなんなら俺ならもう出てったるわボケはよ舟寄越せぇ!っつって、気晴らしに適当な奴ぶん殴って降りるかもな」
「・・・・うーん、そうかぁ」
船を降りる、かぁ。
その応えを聞いてしばらく黙ってコツコツ歩く。
駅前らしく賑わいを増す通りの風景に目をやれば、またそこかしこに“サメ”がいる。
丑太くんの言う通り、やっぱりそういう扱いには納得いかない。
だから言いなりになりたくないから出ていくというのも、きっとアリなのだろう。
「・・・・まぁただよ」
おでこを拳で叩きながら丑太くんが口を開く。
その顔を見上げると、どこかバツの悪そうな顔をこちらに向けて言う。
「それって結局サメのいる海に飛び込むってことでよ、改めて考えりゃ感情的なもんだよなぁ。サメ相手に働くのが嫌だからサメのいる海に逃げるってのも」
その通り、今船を飛び下りたところで、今度はまた船がサメにひっくり返される事に恐怖しながら暮らすことになるのだ。
「うんでよ、たぶんだけど、ソイツラがサメを追っかけてるのが人の為って事はよ、たぶん普通に暮らしてる中でもサメに迷惑しまくってるやつらもいるって事なんじゃねぇかな。そういう事情があってそいつらもそれでメシ食ってるわけだろ?」
駅の看板が見える。
明治か昭和か、古いテイストを残した建築様式が却って新鮮で美しくすら感じる浅草駅は、構内は現代的でありながら昔ながらの外観を残すアンバランスさで、高いところに据え付けられた大型のテレビがそれに拍車をかけている。
二人して足を止める。
「その連中の態度はナシとしてもよ、サメに困っている連中についてはこう、助けてやってもいいかとは思うよな、実際」
サメに困っている、他の人たち。
脳裏に忘れようと押し込めていた光景がフラッシュバックして少し眩暈がする。
ガードレールに凭れて姿勢を維持するも、丑太くんが気づいて支えてくれた。
「おおい、なんだ、疲れたか」
「そんなとこ、ハハ・・・・」
お化けに困っている、なんて生易しいものじゃなく・・・・殺された七人の人たちの事を思う。
もし私が力を添えたら、そういうことは少し減るのかな。
私のように、ちょっとした程度でも困っている人の助けにもなったりするのだろうか。
なんだか、結局私の心持次第でどうにでもなる問題のように思えてきた。
「うん。うん、ありがとう」
「いいけどよ、やっぱタクシーでも呼ぶか?金なら俺がなんとか」
「あーうん、それはもう大丈夫だし、それもだけど、話ができてよかったの。ありがとうね」
彼の支えから離れると駅の方に向かって歩き出す。
振り返ると、該当の下のいる大柄な、粗野な外見に優しさを詰め込んだ男の人がこちらを見ているのを確認して手を振る。
「今日は本当にありがとう!また遊びに来るからね!」
「いいけど今度は金取るからな!」
ガッと上がる口角を見て私もイッと歯を見せて笑って見せる。
改札を抜けて電車に乗り、窓の映る自分の顔を見ながら昨夜の事、今朝の事、丑太くんとの事をじっくり思い返す。
私なんてマシな方だった。
だって、私は殺されてない。
家族も殺されていないもの。
ずっとお母さんやお父さんが守ってくれて、いま、今度は私にも守る事ができそうで。
綾子さんや鬼縫さんたちが横柄に私の身柄をどうこうしようというのは気に食わないけど、そこを棚に上げても、私がお化け退治に手を貸すことは、悪い選択ではないのかもしれない。
わだかまりは有る。
それでも、危ないので三割悪し、態度がムカツクので五割悪し、暮らしを保証されるのであれば一割良しのお父さんを困らせずに済むので四割良しで私のようにお化けで困っている人を助けられるなら、それでたぶん二~三割りは良し、だろう。
今のところはギリギリとんとん。
それでもようやく心の天秤の揺れを落ち着ける考えを微かに抱くことができて、宵闇の薄暗がりに灯を見つけたような穏やかな気持ちが胸の中で瞬いている。




