上京 2
涙引っ込んだ頃、目的地に到着した。
駅から徒歩十分もかからないにも関わらず、ここに到着する間にも何遍か道路に倒れ伏すお化けと遭遇し道を替えたり、通りがかった家の窓からこっちをじっと見る影に気付いて竦みあがったりしている間にさらに二十分の遅れとなっていた。
辿り着いた目的の住所一帯は、時代劇に出てくるような立派な塀がぐるりとその周りを囲っていて中を窺い知ることは難しそうだった。
こういう塀はなんというのだろう、漆喰のような薄く波立つ渋い黄色の土壁の下の方はぴっしりとくみ上げられた石積みになっている。
屋根というべきなのか分からないが、塀の上には瓦が並んでいて何の知識もない自分でもそれがとても立派で大変にお金のかかったものだと分かる。
土地の大きさにしても地元の小学校の校庭は悠に超える敷地範囲ではないだろうか。
その外周に沿って歩いている内、塀の途切れた場所にこれまた随分と立派に構えた門扉がデデンとそびえている部分に到着した。
夏の映画で見たことあるやつだこれ。
ここが今日から私が厄介になる絹居さん家、である。
そんなご近所みたいな呼び方自体違和感を禁じ得ないです。そう、絹井家ご邸宅と呼ぶべきでしょう。すっごいです。豪邸です。テレビで見るやつです。ここに住むとか、これから毎日この門扉をくぐって生活する事になるとか全然想像できません。
かなり気遅れするものの、既に一時間を超える大遅刻をしている手前、あまり躊躇していられないと門へと手を伸ばすが。
インターホンはどこだ。ピンポンなんてこういう家にだってあるでしょ、どこだ。
ぱっと見では、普段見慣れたスピーカーやカメラの付いた小さな四角い箱が見当たらず、キャリーバックを置いて門に近づいていく。
普通なら目線より低めの位置にあるもんだろうとボタンを探しに近づくと、時代劇で見た通りに大きな門の脇にあった小さな扉から、カタリと何かの外れる音がした。
誰かが出てくると分かって何故かとても隠れたくなったが、そそくさとキャリーバッグのところまで戻った頃には扉が開け放たれて、中から実にゆったりと、優雅な所作で着物を着た人が現れた。
初めに紫色をした薄いケープのようなものが目に入り、次に赤よりずっと濃く暗い赤色がグラデーションになった生地に、赤黒い宝石と黄色い花を絵具にして描いたような花柄の着物が出てきて、最後に一番きれいなものが目に入ってきた。
昼下がりの太陽の光を受けてキラリとした天使の輪を乗せた黒髪の女性だった。
ほっそりとしていて、長い髪は高級な木炭を梳ったような爽やかな煌めきを放ちながら扉をくぐる動きに合わせてサラサラと肩を撫でている。
白磁のような、という表現を小説ではよく見かけるものだけれど、現実そう表現するに値する程きれいな指先を見たのは初めてだった。
その指を扉にかけたまま女性の切れ長で、でも大きくて真黒な瞳がすっと細められて
「あの」
声をかけられた。
「うぁはぃ!」
ようやく見惚れすぎてジロジロ見つめていた自分と、その行いが大変失礼な物だったと気づいて変な声が出てしまった。
どう見ても、まだ塀と門しか見ていないけど、どう見てもこの豪邸にふさわしいお嬢様然とした美少女ににらまれて、しどろもどろになりながらなんとか言葉を紡ぎだす。
「あ、あの、今日からこちらでお世話になる、あ!こちらって絹居さん、絹居様のおたくでありますでそ、おたくでしょうか?!」
酷い。背筋だけは伸ばして心の中で膝を折った。
「・・・・」
呆れられたのだろうか、目を細めたままスーッと小さな唇から吐息を溢してから美少女が扉を大きく開く。
「お待ちしておりました。はい、遅れているようでしたので迎えに上がるところでした」
それから掌でその向こうを指した。入れ、ということらしい。
「あ!あの!すみませんでした!池袋で道案内していたら一時間も!遅れましたごめんなさい!」
「はい、結構ですよ。特段、お越しになる時間さえ分かればという程度のもので、待ち合わせという程のものでもありませんでしたから」
美少女が淡々と同じ姿勢のままそう告げる。
待たせてはまずいとキャリーバッグの持ち手を仕舞って扉を慌ててくぐる。