泥濘に沈む 2
目は覚めていた。
でも、手足がジンと痺れるような感覚に囚われて起き上がれない。
頭も痺れている気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・
二日だ。
二日連続でひどい目に遭った。
人が。死ぬところを見たのは、初めてだった。
もう死んだ人なら何人も見てきた。
首が無い人も見たことがある。
腕が無い人も、多い人も見た。
友達と池袋に遊びに行った時には、高層ビルと地面の間に挟まれて必死に地面を掻いてむせび泣いている人たちを無数に見た事もあった。
「・・・・・・・・けどぉ・・・・」
人が、あんなふうに。
ぎゅっと目を瞑り背筋に走る怖気に耐える。
人の命が無くなる瞬間なんて見たくなかった。
いくら犯罪者だからって、あんな死に方していい訳じゃない、と思う。
目が覚めてからこっち、瞼に焼きついた映像が何度も目の奥を突き刺す。
起き上がる気になれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・
先ほどからこうしてフラッシュバックに耐える為、瞳を閉じて無心になる度に意識が落ちて二度寝三度寝を繰り返している。
居候の身でこんなことでいいのだろうか。
それでも起き上がる気力が湧かず。もうどれだけ立ったのだろう。
廊下を時々誰かが通る音がする。
その度、朝ごはんに呼びに来たのかと身を固くする。
とてもじゃあないけど、物が喉を通る気がしない。
あのおいしいご飯に手が付けられない様など、とても恵子さんに見せられない。
かといって、このまま臥せっていても心配をかけるだろう。
心配、するかな。
この家、なんなのかな。
「依子さん」
凛っ・・・・と神楽鈴のような低くも鋭い、清廉な声が部屋に切り込まれた事で私はビクリと体を起こした。ばっと縁側の方の障子を見ると、庭から入る光によって落とされた影が細い女性のシルエットと、着ている衣服のものであろう赤色を障子に滲ませてその存在を伝えてくれた。
声の主は、綾子さんだろう。
昨夜聞いた声と同じ。冷たい冷たい声だ。
「・・・・・・・・はい・・・・」
動悸が激しい。どうにか返事を絞り出すも、立ち上がれず、顔を見せる気になれない。私の表情にはきっと、絹居に対する疑義が浮かんでしまっているだろう。
私に動きが無い事をどう感じたのか分からないが、綾子さんはそのまま続ける。
「お休みのところ、申し訳ございません。ですが、あなたをご案内しなければならない場所がございますので、ご支度いただけますか」
「ご案内、ですか?」
なんの、と思って間もなくなんとなく察しはついた。
「キヌイとして、ご紹介しなければならない人たちがおりますので、あぁ、別に出で立ちはそのままで結構です。楽にしていただけ構いません」
そのままと言われても下着姿なのだけど。
それにしても、紹介。か。
なんの話か分からないけど、もしかして口封じとか?
ぞっとする想像に身震いするが、それきりじっと外で只待つ綾子さんを見つめて、私はやおら立ち上がる。
それがどんな事で在れ、どうせ逃げる事は出来ないと思う。
何より、説明を求めたい気持ちが俄然強くなりむくむくと首を擡げている。
「・・・・少し、待ってください」
箪笥からTシャツとデニムを出して四肢を通すと、パーカーを羽織ってから襖を開けた。
じっと、身じろぎひとつせず待っていた綾子さんと目が合う。
残念ながら、昨日以上に感情の感じられない瞳からは綾子さんの思惑は少しも読み取れない。
「ではこちらへ」
そういうとさっさと歩いて縁側の角までつくと、振り返ってこちらを見ている。
待っているようなので部屋の襖を閉めると、その跡を追うことにした。
綾子さんのいる角まで来ると、私の顔を伏目がちにじっと見つめる綾子さんが「これからご案内する場所いついてですが」と口を開く。
「一応、筋を通すためにもあなたをご案内しますし、説明の責も負いましょう」
ですが、と一呼吸おき、
「あなたには特に何もしてもらうつもりはありません。形式上、あなたにもやっていただく事が今後はあるかと思いますが、あくまで形式の問題ですので、言われるまま、その通りにしてくだされば結構です」
それだけ言うと目で行先を示してから楚々と歩き出した。
昨日初めて会った時より尚、随分と冷たい口調で、棘を肌で感じる程だった。
その声色は、昨夜のソレに近い。
正直気が進まなくってきたけど、ここで教えてもらえること次第で今後の生活が大きく変わる可能性を考えると無視もできない。もし、何か不具合が起きて追い出されるようなことになったらどうしようと、海の向こうにいるお父さんに心の中で手を合わせる。
何事も起きませんように。
そんなん全部ウソですと言われれば一番楽なんです。
壮大な歓迎ドッキリでしたぁ!とか・・・・
などという都合のいい祈りは通じるわけもなく、私はこの家における役割を提示される事になる。




