上京1.5 閑話
私は所謂「見える子」だ。
小さい時から、家から一歩出ればそういうモノたちがそこかしこにいた。
歯茎しかない口を開けて路地でじっとしている何かの塊。
友達の家の軒下を走る目がたくさんあるネズミのような何か。
背中から何人もの人の手足や頭を引き摺ってうろつく大きな黒い人。
夜道に街灯の下でぼーっと道の先を眺めている腰が横に折れ曲がった女性。
家の門扉の外で白い手が手招きしていることもあった。
怖くて泣きじゃくる私をお母さんとお父さんはいつも抱きしめて慰めてくれた。
もう何を言ってもらったかはよく覚えていないけど、家でお母さんといる時やお父さんと外にお出かけに行くときはいつも安心できたし、お父さんはそういうモノとの付き合い方を教えてくれることもあった。
そういうモノが、他の人には見えないと知ったのは小学校に上がってからで、学校の体育館の倉庫に壁に向かってじっと頭を押しつけている人を見かけて大泣きした時は大変な騒動になった。
誰に聞いても、誰もそんな人物を居なかったと言うし、先生には「何かおかしなものが見えるの?」と大変心配され、そうして自分だけがずっと怖い思いをしていたと知った時、お父さんとお母さんすらも見えてないかったと知った時はとても悲しかった。
そもそも、お母さんとお父さんが私の話になんの疑問も挟まなかったので、それが当たり前だと思っていた。
お母さんはそのことを謝ってくれた。お父さんは「お前が言うんならそうなんだろ」とあっけらかんと言っていたのを覚えている。
ともかく、両親が自分を信じてくれた事が何より幸いだと思っている
お父さんはそれから「そういうモノはね、見えちゃうものはしょうがないんだ。だけどね、目で追っちゃダメだ、お前がもし誰にも彼にも無視されたら悲しいけど、そんな時に誰かと目が合ったらうれしいだろ?たぶんな、ソイツはうれしくってお前に飛びかかってくるぞ」なんて話をされて怖さのあまりお母さんに縋りついてまた大泣きした。 お父さんはお母さんにものすごく怒られてた。
今のところ人生で一番怖い話だったと思う。
ともあれ、そういうモノとの付き合い方として、まず無視を決め込む事を私は覚えた。
一度、小人のような何かが楽しそうに踊りながら神社の脇に消えていくの見て、つい追いかけてしまって、その先で小人がぐずぐずになった人のような何かに大勢で噛り付いているのを見て腰を抜かしたことがある。漏らした。
それからしばらくは、なるべくおかしな物とパッと見で分かるモノは無視するようにして暮らしていたが、これが意外と難しくて、時には無視以外の対応を迫られる事も何度があったけど、まさか田舎の道や建物ならまだしも、文明の城たる東京で出会うと思ってもみなかった。
不意打ちは卑怯だと思う。
正直、ああいうのから解放されるかもという淡い期待があった分、さっそくこの先への不安が上乗せされる事になり足取りは殊更に重くなっていく。
所詮は淡く甘い展望、人類に逃げ場無しですか。