懊悩を解く応答 1
再び、来ました「奥の蔵」。
昨夜とは違い太陽の恩赦を受ける廊下は夜に見るよりやはり平凡な物で、埃一つ舞っていない廊下には、母屋の中を掃除しているのであろうお手伝いさんたちの声が遠く微かに聞こえる以外に音は無い。もしかしたら、恵子さんもお掃除しているのかな。
戸に手を触れても、依然嫌な感じがしないのは昨夜と同様で、入れば最後、またひどい目に遭うかもしれないという可能性は相変わらずで身が竦む。
三度、大きく深呼吸をしてから覚悟を決めて。
取っ手を握って戸を僅かに開いた。
これも昨夜と同様に、戸は軽く特に抵抗無く開いた。
隙間から覗いてみるに、白い箱、行李が七つ並んでいるが、一つだけ盛大に位置がずれており、元からあったのであろう位置はちょうど行李と同じ大きさに埃が無く、綺麗に四角く板の間を覘かせている。
「おーい、おばけさーん・・・・・・・・」
まず戸の外から声をかける。
「あのー、いらっしゃいますかー?いたら返事してくださーい・・・・・・・・」
昨日のようにいきなり不用心には入らない。
様子をうかがいながらジワジワと戸を開けながらなお問いかける。
「昨夜は突然お邪魔してすみませんでしたー・・・・聞こえますかぁ・・・・」
蔵の中はシ・・・・・・・・・・・・ンと静まりかえっていて私の声もそこに散って消えていく。
意を決して戸を開け放って中へと足を踏み入れた。
と言っても、開け放った戸の内側に背中を張り付けてにじり寄るようにゆっくりと部屋へと体を入れる。また閉じ込められたら敵わないし上からバーン!なんて何かが落ちてきたらたぶん心臓が潰れるので、あくまで慎重に。慎重に。
数分かけて右肩が蔵の中に入りきるころ、小さな音が耳に入ってきた。
ふと見ると、中天から差し込む陽光を受けて白く照り返している行李の一つがカタカタと震えている事に気付いた。
やば。
と反射的に身を引こうとする前に背にしていた戸が思い切り後ろから押してきて、発射されるように私は蔵の中に転がり込んでしまい、あえなく埃の絨毯に飛び込んだ。
「がぼふ」とせめて埃の摂食を拒否した私の口から漏れ出る意味不明の音。
その私の頭に
「じ~~~~~~~~~~~れってぇ奴だなぁテメェはぁ!!!たかだか三寸歩くのに何時間かける気だボケカスコラぁ!!!イッライラすんだよドチクショウがぁぁ!!」
「ゴゴ、ごめんなさいごめんなさいぃ!!」
反射的に頭を抱えて突っ伏す。
昨日聞こえた怒号と同じ声だった。
ガッタンガッタンと揺れる行李の隣、今度は私の頭の正面にある行李がカタカタと揺れながら声を上げる。
「あらあら、なんかそんな気はしてたけど遅かったわネェ。マツワリ、アンタってホント肝が小さいわネェ、またぞろ昨夜みたいになられたらどうすんのよ」
とキンキラした女性の声が聞こえるが、こちらも昨夜「戻って休め」と言ってきた声のようだ。激しく揺れる行李がごちゃごちゃと何をわめきたてているが、女性の声は構わず優しい声色で語りかけてくる。
「アッチの五月蝿いのは無視していいから、まずは起きなさいな、小可愛い面相がダイナシになっちまうヨ、ホレ」
優しい声に促されて恐る恐る顔を上げるも、目の前にあるのは相変わらず白い行李が七つだけ、行李も寝ているし何か恐ろしげな影がそびえているわけでもない。
私が顔を上げたのを見計らってか、端にある行李から、今度は男性の声がした。
「よぉマトイ、随分としょぼくれた様やけんどもよ、まぁワシらん所為ばい。嘩嘩嘩!すまんなぁ!許せ!」
気風の良い、といえば聞こえがいいが、気勢は田舎のヤンキーそのものの、やたら訛りのキツイ声がそう詫びてきた。いったいどれだけこんなのがいるのか、ここは。
その声で少し気を取り直すことのできて、まず頭に降り積もった埃を叩いて落とした。
それから意を決して、そう、私はここに話を着けに来たのだ。
埃塗れの床に正座すると、埃を吸い込まないように気を付けながら息を吸い込む。
「あの!私は的井依子です!あなたたちはなんですか?!もし!迷って困っているならできる範囲で協力しますし私でだめなら力になってくれそうな人を探しますから!えっと!何が目的ここにいるんですか!悪い事する気なら私も絶ェッ対許しませんから!最悪有名な拝み屋さん読んで祓ってもらっちゃいますから!私こんななんでそういうの詳しいので!でも何も悪さするつもりがないならそれでいいんです!その辺どういうつもりなんですかぁ!!?」
と一息に言い切った。
緊張と無呼吸発声の結果肩で息をする私の浅く速い呼吸音をおいて他の音が消えている。
蔵の中の時が止まったように静まり返る中、徐々に誰もいない空間で声を張り上げていた自分を顧み始めてしまう寸前で、いくつかの行李がカタカタと揺れ始め
「「「・・・・・・・・っくはハハははッハハはアハはははははははげはははは」」」
とけたたましい男女の笑い声が蔵に響いた。
呆気に取られる私をおいて、笑い声が響く中、涼やかな女性の声がこれを遮った。
「みなさま、懲りておられないようなのであえて水を差しますけれど、この方が恐らく何の手習いも受けずにここへ至った事はもう承知のはずでございます。あまり虐めてはと仰ったヒヨドリ様までそんなことでは困ります」
淡々と、冷ややかな物言いでパキリと笑い声を止めるとそれきりその声も止まった。
行李の一つがガタガタ揺れながら「あーー」と不満げに唸っている。
「悪ぃ悪ぃ、いやさ、思いん外に人が好いちゅうか、あんまりなんも知らんごたーけんワシらも参っとーちゃんよ。嘩嘩嘩!こりゃ失敬!嘩嘩嘩!」
カカッと笑う男性の声がそう告げる。要するに私の言うことが的外れすぎて笑うしかないということらしくてむっとする。だったら説明してほしい。あなたたちが何者で一体全体どういうつもりでこの家にいるのか。
「ンだコイツ、マジでなんも知らねぇのかよ」
ガタガタ揺れていた行李から呆れかえった声が聞こえる。だんだんムカついてきた。
この連中ときたら、私の事を何か知っている様子のくせに何も言わないし、そのくせ「何も知らない」だの「お人好し」だのと人の事を馬鹿にして。
「だったらこの際説明してもらえませんか?!だいたいなんで私の苗字知ってるんですか!あれですか?盗み聞きとか好きなタイプですか!?」
「やぁけん悪かったち言いよーやろそげん熱うなりなんしゃんなや、こっちもこっちでぼちぼち分かってきたとこーろばーい」
男性の宥めるような声色を受けてググッと自分を抑える。人がこの訳の分からん状況になんとか付いて行こうと必死だというのになんと呑気なとムカムカするものが腹の底に溜まっていく気がするが、あまり喧々諤々になっても話にならないし。
私が正座してむんっと行李たちを見据えると、奥の方の行李から低く擦れていながらも威圧感のある声色の男性が口(?)を開いた。
「よろしいか。では、うぬが何も知らぬ、そういう前提で話をしよう。もしうぬが只人として市井に暮らしてきたならば、恐らくは気の遠くなる話になるやも知れぬが、覚悟は良いかな?」
地鳴りの様にお腹に響く声がゆっくりとそう言い渡す。
一体何が始まるっていうのさ、私はただあなたたちお化けが悪さしないと分かればそれでいいのに、なんか凄い壮大な話が始まりそうな雰囲気ですけれど。居住まいを正して固唾を飲んんで頷く私に対して、行李がゆっくりと語りかける。
「とはいえ喃。いったいどこから話すべきか喃」
ガクシと思わず姿勢が崩れる。これだけ威厳たっぷりに朗々と前振りしておきながらまさかノープランだったとは恐れ入った。
「ガエン様、もしかしてなん~~も考えてなかったんでありますノ?」
「うむ、昨夜からあれやこれやと考えておったのだが、どうにも儂ら、いや妖の事から話す事になりそうじゃと昨夜の様子を見て気にかかってしまって喃」
と思案声を上げるガエンと呼ばれる行李がムンムンと唸っている周りでもやんややんやと取り留めも無く男女の声が行き交う。
「じゃあ、とりあえず私から質問するのでお答えいただいてもよろしいですか?」
その様子から察するに、説明する方が私を気遣ってか攻めあぐねているようなので手を挙げてこちらから助け舟を出すことにした。どうせこちらとしては無害か否かが分かればそれでいいのだ。
「宜しい。それであれば、応じながら掻い摘んで儂らについても話そう」
こうして、行李に対する質疑応答が開始された。




