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私に纏わる怪異鬼縫  作者: 三人天人
懊悩
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懊悩を削ぐ美食

 結論から言うと綾子さんは朝食の席に現れなかった。

 朝餉の膳を用意してくれた高田さんによると、早朝に簡単な食事をとってすぐに出かけてしまったそうだ。私が漫画に没頭していた時間である。

 思った通りというか想像以上言うか、早起きな人だったようだ。

 ちょうど起きてきたらしい八重ちゃんは私におはようございますと声も低く挨拶する。

 食堂には大きめのテレビが備え付けてあり、八重ちゃんがそれを食卓の角に置いてあったリモコンで付けるとしばしチャンネルを回し、ニュース番組にすると運ばれてきた朝餉に向き合い手を合わせてでいただきますと小さく口にするとお味噌汁を啜った。

 私もそれに倣って目の前に並べられた朝餉と向き合い合掌、いただきます。

 味噌汁を手に取ってから改めて卓に並んだ数々の品に目を配る。

 手の取った味噌汁は赤味噌で、古い木の肌を思わせるような暗褐色の靄を湛えて芳しい独特の香りを漂わせている。表面に浮かぶ細かなネギが一層お椀の中を鮮やかにしていて、一緒に啜ると目が覚めるような味わいが口に広がり、鼻腔を内側から刺激される。具材はなめこだ。大っっ好物である。

「ふぅぁ・・・・・・・・美味い・・・・」

 溜息を溢し、口を潤して次に手を伸ばすのは焼き魚。瑞々しくうっすらと油を表面に浮かばせて煌めく桃色の肉に箸を差し入れる。なんの抵抗も無くスルリと身が解れる様が食欲をそそる。まずはそのまま口に。絶妙な塩加減が下の上に走る。しょっぱさが唾液腺を叩きながらも身に含まれる潤沢なサラサラとした油が塩味を覆って甘さを伝えてきて、完璧なバランスに一旦そのまま咀嚼する。これを嚥下しまた一口含み、今度は塩味が抜けない内にご飯を掻き込み。日本有史以来最強の主食と評されてやまないであろう炊き立ての白米の芳醇な香りを嗅ぎながら口中に爆発するパーフェクトハーモニーにうっとりとする。

 そして卓にある以上手を出すのが礼儀と思い、やや挑戦する心持ちで手を伸ばした白菜の漬物は私の知るところのソレとは全く違うステージの物だった。基本的に酸っぱい物が苦手で、酢の物は勿論のこと酢豚や梅干しなども嫌いなモノの類である私にとって地元の町内会で出される白菜の漬物の山に他の子供が飛びついて食べている様は異様としか感じられなかったものだけれど、これは分かる。甘いのだ、すっぱさはむしろアクセントになっていてみるみる箸が進む。まさか漬物でご飯が進む日が来ようとは。

 最後に中央の大鉢に入った煮物。醤油とみりんが香しい茶色の宝石がゴロゴロと転がっている。イカと里芋を中心にしてさやえんどうの緑が鮮やかだ。頂点には刻んだ柚子が散らされていて、里芋と一緒に口に入れると芋のねっとりとした下に纏わりつく触感と芋本来の甘さに醤油の香りと柚子の爽やかな酸っぱさと苦みが合わさり、咀嚼しながら何度も頷いてしまう。

「あー、美味しい」

 お父さん、昨日は正直緊張も在って細かな部分まで味わう余裕が無かったけれど、

 私、この家に来てよかったです。

 朝起きると朝食ができているという事実自体が既に奇跡というか、それだけでありがたいのに爆裂美味しいです。昨夜の御馳走は異次元の仕上がりだったので全く理解が及ばなかったけれど、これは私の領分だ。これは何が凄いがなんとなくわかる。お父さん、今度教わるので帰ってきた時には振る舞いたいと思います。

 ふと、視線を感じて斜め前を見ると八重ちゃんがくすくすと笑っている。

 思わず「な、何か」と問えば、いえ、とお水を口に含んで一呼吸を置く。

「すごくおいしそうに食べるから、なんだかいいなぁ、と」

 そう言って笑っている。それはもう、こうして何もせずとも食事が用意されている状態自体に感謝の念が堪えないというのにそれが絶品とあれば望外の極みでしょう。

「この朝ごはんって誰が作ってるの?」

「恵子様です。髙田さんたち使用人の方もお手伝いしてらしてますけれど、基本的には奥様はご自身で台所立たれてますから」

 恵子さんというと綾子さんとまだ見ぬ全市さんのお母さんか。

 今も台所を忙しくされているとなるとご挨拶は少し置くべきかと逡巡するのも束の間。

 奥から割烹着を着た女性が前で手を拭きながら現れた。

「あら、いらっしゃい!昨夜はごめんなさいね?用事があったもんだから全部一房さんに任せちゃったからねぇ全然ご挨拶できなくて!まぁ私が居なかったからごちそう食べれたでしょ?結果おーらい結果おーらい!」

 そう言って早口でスパスパ喋りながら割烹着を脱ぐ。その下から現れた紺色の着物が良く似合う豊かな黒髪を後ろで一纏めにした人、こういう方をそう評するべきなのだろう、妙齢な女性だった。

「ごちそうになってます!本当にどれも美味しくて!今度ぜひお手伝いさせてください!」

「いいのよいいのよ、我が家に迎えた人なんだから八重ちゃんと同じで私の子。私の子なんだからご飯くらいは私が振る舞わないとねぇ」

 そういってカラカラと笑いながら自分用に配膳を始めた。食堂には台所仕事を終えたお手伝いさんたちが入ってきて皆で朝ごはんが始まる。

「あぁ、ウチではみんな一緒に食事してもらってるの、めんどくさいでしょう?お手伝いさんみんな私たちのご飯作ってから自分用に作ってなんて、一遍にした方がいいに決まってるのよ。前がおかしかったの」

 いただきます!と威勢よく食べ始める恵子さんは活力に満ちていて、なんというか、この気風の良さこそが母親というものなのだろうか。お手伝いさんたちも和やかに朝食を取り始める、八重ちゃんと私はもうほとんど食べ終わってしまっていた。

 八重ちゃんがそっと食後お茶を出してくれて、お礼を言いつつ「なんていうか、意外だったな」とテレビに目を向ける。

「あ、何か?」

「ううん、ホラ、良く「食事中にテレビを見るのはお行儀が悪いので禁止」なんていう家もあるって友達が言ってたし、結構そういうの厳しいのかと思った」

 なるほどですね、と自分の分のお茶を注ぎながら笑う八重ちゃんも隣に座りテレビを見る。

「実は私も、ご本家でこうして食事を摂らせていただく前はそうでしたよ、食事時は家族と話しなさいって言われてましたから。こちらでお世話になるようになってから、夕飯に現れたと思ったらいきなりテレビを点けたのでびっくりしました」

 私には綾子さんがリモコンをグワシと拾ってぶっきらぼうにテレビを点ける姿が浮かんだが、いやいや、もっと楚々としているに違いない。後で確認しよう。

「なんでも、ニュースやバラエティ番組なども確認しておかないと、「今時、テレビなんて当てになりませんが、ほとんどの人がテレビから情報を得ますから。ええ、流行は常に押さえなければなりませんから当然です」って言ってて。確かに、絹居では若い方向けのファッションも取り扱っていますから、そういう事も常に気を配らないといけないんですね」

 途中、綾子さんの真似をしているらしく背をシュッと伸ばして声色を変えて話していたが、八重ちゃんの話し声はクリクリとしてどこかもたもたしたニュアンスがあるので全く似ていなくて、ただ可愛さの別のベクトルを向いて襲ってきたに過ぎなかった。

 テレビでは千葉の漁港特集が終わり、デイリーニュースが流れ始めていた。別段、地元で見ていた内容とは変わりなく、政治汚職の話や何処だかで轢き逃げだのひったくりが多いだの、芸能人の結婚発表や少し前からつづく行方不明事件についてなど、多種多様な情報が次々と流れていく。

 一通り終わった頃、「では、ごちそうさまです」と八重ちゃんが自分の食器を片づける始めていた。

「あぁ、食べ終わったら流しにお水張ってあるから漬けといてね、あとでまとめてやるわ」

 と同じくお手伝いさんとテレビの内容についてアレコレ世間話をしていた恵子さんから言われ、御馳走様でしたとうやうやしく手を合わせて深々と一礼して食器をまとめる。

 結構のお点前でした。

 食器を持って流しへ漬けると恵子さんに改めてお礼を言って部屋へと引き上げた。

 満腹感と多幸感に任せて畳に身を投げるとしばらくゴロ寝して余韻を味わった。

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