宵の宴 5
力の限り叫ぶもまるで外に届いている気がしない。
まるで蔵の扉に全て吸い込まれているかのような錯覚すら覚える。
前に体育館のステージ下に閉じ込めれた時はどうしたっけ、あの時は結局窓をぶち破ったけど流石に他人のお家でそんな凶行に及ぶわけにもいかないと頭の中で無駄に冷静な部分が私を諫める。
戸を叩く手の平に痺れが走り始めた時、ようやく声のようなものが聞こえた。
「!!すみません!誰か!いますか?!ごめんなさい!入ったら出られなくなって」
ニ・・・・・・・・ゾ・・・・
心臓を掴まれたような心地がした。
自分の声と戸を叩く音が途切れて耳が痛くなるような静寂が訪れた。
幽かに、話し声のようなモノが聞こえる。
ニ・・・・ウゾ・・・・・・・・トイ・・・・・・・・
マト・・・・・・・・ウダ・・・・
・・・・トイダ・・・・ヒサシ・・・・・・・・ダ・・・・
内緒話のような声が聞こえる。
声は戸の向こうではなく、
真後ろの一面から聞こえてきていた。
《依子さん。もし、とても気性が荒くて、放っておくと手当たり次第にひっかき、人に噛みつくような犬がいるとして、あなたならこの犬、どう管理します?》
ウソでしょ。
《あの「奥の蔵」はこの屋敷のほぼ中心にあるんです》
思えば、この家が「檻」だと言っていたのかもしれない。
《仰る通り、危険なモノなら檻に閉じ込めておくしかないんですよ》
綾子さんは危険なモノと言っていた。
ざわめきが少しずつ広がり、背中から圧して私の耳を掻きむしった。
マトイカマトイダヒサシイヒャクネンブリカアイヤソレイジョウジャヒサシヤウレシヤマトイダマトイノモノカナツカシイニオイダニオウニオウウイニオイジャマトエマトエワシヲマトエイヤサセクナマトエニオウニオウニオウゾヤレウレシヤヤレウレシサテモオナゴジャメデタシヤレマトイダマトイガカエッタワレヲ|ウレシヤアマトナウイレジャシマヤレトウエレシニオヤウノウマヒトイサシカイノウナンセトンダイマアハウレノウナシシデマアトエッタコリャヨッテアオドロイナウレタシヤジユレウレウシニダオウゾワシラオヲナゴカマトオエノコハヨデウナイノハカヨウマヒャトクネエンダマトイマトエダメヤレゴウイレシイヤノウナントヒマッサテイタシヤサァナンハトヨウイツコノブリトキヤヲレウマッテタオッタエゾマトエジアァユウヲハナテココニトキハナテコチニチコウヨレカソウゾナントスルコリャメデタイワレヲウレシヤアナウレシワレヲウレシヤアナウレシチコウマトマトヨレイカマトイダヒサシイヒャクネンマッタゾヤレウレシマトエヤメノコマトエカアアナガマトエカッタママトエトイノモノマトエカナマトエツカエシイマエニエオマトエイダニオウニオウウイニオイジャマトエマトエワシヲマトエニオウニオウニマトオウエメトニオウマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエニマオウトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエマトエ
声も出なかった。
無数の何かが後ろでざわめき、無数の声が背中を叩く。
耳を弄する声の怒涛に竦みあがって何もできない。
戸に張り付いたまま動けない私の後ろでざわめきが一つの言葉に集約されていく。
マトエ
そう言っている。
何の事だかさっぱりわからないけれど、お化けの言葉には意味が無いことがほとんどで、
うっかり答えるとひどい目に遭うことだけは理解している。
耳朶を打つ「マトエ」の大合唱に気が遠くなりかけた刹那
「だまらんかいっっ!!!!!!!」
という耳を劈く一喝が雷鳴のように室内に破裂した。。
ッ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
と耳鳴りがする。
耳を押さえて蹲ってしまった私をキンキンとした耳鳴りが包む。
遠くで誰かの声が聞こえる気がする。
後ろで何かがドスンと音を立てたのが分かった。
身体が竦んで身じろぎひとつ取れず呼吸だけが早まっていく
いやだ、もうやだ、ごめんなさい、もうはいらないからゆるして
べそをかきながら耳を塞ぐ私の後ろでゴソゴソと何かが蠢く音がする。
「おい」
聞こえない。
「おいこら」
聞こえません。だから許して。
「てめぇこのガキ」
お願いだから見逃してぇ・・・・
「無視すんなやこっち向かんかい!」
「はぃぃぃ!!!」
恫喝されて反射的に振り返ってしまう。
終わった、これ絶対振り返っちゃダメなやつだ。
後悔しつつお父さんにお別れの言葉を思う前に、
私の目の前にそそり立つ白い箱に目を奪われた。
「・・・・・・・・・・・・は?」
昼間のような、普段遭遇するグロテスクなモノを想像していた私は呆気にとられて口をあんぐりと開いたまま固まってしまう。
「ぁンだその間抜け面はよぉ、てめぇホントにマトイかよ。だらしねぇなぁ当代は」
白い箱は独りでにガコガコと左右に小刻みに揺れながら言葉を発している。
箱の足元から埃がモサリと舞い、その背後では埃が長方形にくり抜かれて板張りの木目を覘かせている。
「・・・・・・・・・・・・・・・・箱?」
「箱じゃねぇ馬鹿野郎!」
「ご、ごめんなさい!」
また怒鳴られた。
依然意味がわからない。
私の前で箱がガッコガッコ揺れながらクダを撒いている。
「だいたい箱じゃねぇ、行李だ阿呆が。なんだぁ?当代は初代並のウツケか?」
「マツワリ、アンタの声は響くんのヨ。いきなり怒鳴るんじゃあないノ」
ひぇ、と立ち上がっている箱・・・・・・・・行李?の脇にある箱がコトコトと揺れながら女性の声を発した事におびえる。もしかしてここにある箱全部?
耳が慣れてきてみると、壁一面の棚の抽斗という抽斗がカタカタと音を立て震えながら、先ほどよりもか細くボソボソと声を上げている。
「マトイジャア」「マツワリニドナラレチャカナワンワイ」「ナンモカワランワナコヤツ」
「やっかましいんだよ売れ残りのチンピラどもが、ココゾとばっかりにしゃしゃってんじゃあねぇぞこのダボが」
・・・・・・・・・・・・抽斗と立った行李が口げんかしている。
誰か、誰か説明してくれ。
恐怖と混乱のあまり依然として思考が全くまとまらず、何かを考える先からほどけて消えていってしまう。
すぐ傍で穏やかな口調で語りかけてくる箱、行李の声にも驚く事も無い。というよりも疲れ切ってしまって反応する余裕が無い。だんだん心が伸びきったゴムのように張りを無くしていく実感の中で、私は混乱と恐怖を拒絶して蹲り、次第に考える事を手放した。




