宵の宴 1
一通り、あてがわれた部屋に荷物も解き終えたあたりで綾子さんが夕飯の支度ができたと呼びに来たのが十八時を回った頃だった。
一房さんがご馳走を用意してくれたそうで、食卓には見るも華やかな、所謂懐石料理というものが眩いばかりの輝きを放って並べられていた。
「いくらウチが日本最大手の呉服屋と言ってもね、流石に毎日こうではないよ」
カカッと笑う一房さんを奥にして、大きな座敷に私と綾子さん、そして昼間には会わなかった小さな娘さんの四人で並ぶ。
肩口で綺麗に切り揃えられたおかっぱ頭と綾子さんの赤く艶やかな着物と違い、黄緑色が爽やかなお人形さんが私の隣に神妙な顔をしてチョンと正座をしている。
「ささやかな物だがね、今日は依子さんをお迎え祝いと、綾子と依子さんの卒業祝い、それに二人の進学祝いと諸々を兼ねて植田さんたちに腕を振るってもらったって訳だ」
植田さんというのは絹居本家お抱えの料理人だそうで、近所で料亭を構えていて、お祝い事となるとわざわざ出向いて振る舞ってくれるのだとか。素人目にも精緻な細工が施されたお野菜に見るも鮮やかな照りの煮物が眩しい。これから続々と運ばれてくるのだろうが・・・・
「そうそう、作法などは特にないから気にすることは無い。普通においしくいただこうじゃあないか」
と一房さんが先手を打って憂いを晴らしてくれた。
すると隣に座るお人形さんのような、これまた美少女が手を合わせて言う。
「私、まだまだお外でこうしたお食事をいただけるほど手習いを受けているわけでもないので、気兼ねしなくていいのはありがたいです。味が分からなくなってしまいますからね」
と、はにかんだ笑顔が花のようにこぼれ咲く。
私の視線に気が付いた少女は、こちらに向き直ると三つ指なぞ立てて一礼してから
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。絹居八重と申します。お話は一房様よりお伺いしております。」
と俯き気味に自己紹介をしてきた。
美少女には違いないが、綾子さんがしゅっとした美女然としているのに対して、八重ちゃんはもう、もう愛くるしいという言葉をそのまま形にしたような美少女である。
くりりとした大きな瞳がややせわしなく泳いでいるのも、私のような並の並にある人間に対しても初対面として人並みに緊張してくれる様子が見て取れる様のいとしさよ。こちらが改めて自己紹介を返すと、はい、はい、と精一杯の笑顔で返してくれるのもまたあはれなり。
「八重は中学生ですから、もうしばらくは学校がありますので。東蘭中の終業式はいつだったかしら?」
「ちょうど来週くらいなので十七日ですよ。もう二年生になりますから、そろそろ姉さんのように受験についても真剣に取り組まないといけませんね」
とぷっくりとした小さな唇からほぉっと零れる吐息なぞ、あまりに可愛すぎて思考が変態じみているので心を閉ざそう。
「待て待て、八重、二人はつい先月くらいまでずいぶん苦しんで来たんだから今日は受験の話は無しだ無し。見ろ、依子さんの顔」
いえ、私は全く別の目的で禅僧のような面持ちをしていたのであって、八重ちゃんもそんな顔赤くするほど慌てなくていいんです、なんかすみません。
「全市さんは?」
「アイツは今日も残業だそうだ。もうすぐ初めての後輩が入ってくるからな、
今の内にやっときたいことが色々とあるんだと。しっかりやってるならそれでいい」
さぁ、と一房さんが促して食事が始まった。
結論から言うと大変美味でございます。こういう日本料理ってものに対してはこう味が淡白というか、私のような平民に理解できない味覚であるという印象があるもので不安だったものの、これが完全に杞憂であり、一口一口、舌の上で様々な味が弾ける度に小躍りするほどおいしかった。
細かな細工の施され、小皿に盛られたお野菜たちは一体どんな出汁を使って浸したのか、味わい深い香りと舌に染み入る旨味、それに野菜が元々持っているであろう青々しい爽やかな香りが鼻に抜けて幸福感へと変わり笑顔になって溢れ出す。
綾子さんは相変わらず楚々として召し上がっているが、隣の八重ちゃんは私と同じように口の中に広がる味わいに喜びを滲ませては、私の視線に気づいて恥ずかしげにはにかんでいた。可愛い。
八重ちゃんは綾子さんの妹なのかと思っていたが、食事も進み香りの暴風を巻き起こす炊き込みご飯が出てきた頃にそれが誤解だと分かった。
「八重は私の従妹です。お父様の弟、つまり私の叔父さんのお子なのです」
「私、将来は絹居屋のお仕事に就くつもりなんです。ですから、今の内からこうして住まわせていただいてお手伝いをしながら針仕事を学ばせていただいているんです」
未熟過ぎてご迷惑ばかりかけていますが、とはにかむ姿が眩しすぎる。その年で将来の事とか考えようも無いでしょうに。私の中一の頃なんてお母さんがいなくなった後だったし、家の事と漫画の事くらいしか考えてなかったもの。
「八重はいつもしっかりしています。朝に弱い事と、その赤面症さえどうにかなればどこに出しても恥ずかしくないでしょう」
「お前の面の皮の厚さに比べれば八重のそれは金箔ほども無いんだぞ、誰に似たんだお前は」
「お父様ではありませんね、私は鉄面皮と呼ばれることはありますが、お父様の面の皮には到底及びませんもの」
こいつは、と一房さんはカカカと笑う。
昼間に比べて、こういう家族同士の弄り合いのようなやりとりを見る事ができるようになった。綾子さんもああいう物言いをするのかとおかしくなって一緒に笑う。
綾子さんの事、八重さんの事、一房さんの事、今はここに居ないお母さんの恵子さん、兄の全市さんの事を笑いたっぷりに話してもらえた。私も地元の事やお父さんとお母さんの事を話す。少しでも打ち解けたくて、夢中で話している内に気付けばもう二十一時を過ぎていた。




