9.かわいい女の子に褒められたら、そりゃ嬉しくて泣くよね。
「大丈夫だって、他のところに燃え移ったりはしないから」
何食わぬ顔で、そんなことを言い返してくるオウル。
言うまでもないことではあるが、別に彼女の指が燃料になって火球を燃やしているわけではない。
これは魔術だ。
世界に偏在する、あらゆる事象を司る5つの元素。その内の一つである“火”の属性を行使したものである。
“五元素行使”による魔術を使えば、なにもないところに火を起こすことも、水のないところに水を流すこともできるのだ。
マルクスは必死の形相で研究室の中へと押し入る。
「燃え移るとかそういう問題じゃなくて、昨日話したとこだろう!魔術師が魔術を使うのにも、管理局の許可がいるの!無許可の魔術行使が見つかれば捕まっちゃうんだぞ!」
「あ、そうだった!こりゃまずい今すぐ消さなきゃ」
彼の言葉に促され、オウルは指先に浮かべていた火球を消した。
もっともその方法は、火の玉をそのまま前方にひょいと飛ばして近くにあった本棚目掛けてぶつけるというものだったが。
「ま゛!!!!」
マルクスは思わず、得体の知れない悲鳴をあげた。
が、しかし。本棚に衝突した火球は、ただそれだけだった。
赤々と燃える炎が本棚の表面を広がり拡散していくが、それはどこにも燃え移ることもなくまるで初めから何もなかったかのように消え去ってしまった。
「なんてこった『自分の作ったホムンクルスが実は思考能力が狂ってた』とはさすがに盲点だったどうしようどうしようどうしようとにかくオウルは今すぐ井戸水を汲んできなさいすぐにこの火を消すぞ―――……あれ?」
慌てふためいていたマルクスだったが、一向に火が燃え広がらないことに数秒ほど遅れてようやく気がついた。
そうして、その事実に対して思わず息を呑む。
「(炎が瞬時にその熱量を拡散させて消えたんだ。他の場所に燃え移るよりも早く。
こんなこと、かなり高度に火属性を操作しないとできないぞ)」
火事にはならなかったようだし、火消しに奔走するようなことにもならずに済んだと理解した途端、冷静さを取り戻すマルクス。
当のオウルはというと、そんな彼の動揺ぶりを愉快そうに笑っていた。
「あははははははは」
わざとあんな危険な真似をしたようだ。
冷静になってもなお、その顔から驚愕の色が消えないマルクスが、オウルに呼びかける。
「オ、オウル。これは疑いようもない魔術だ。俺は君には五元素行使に関する知識は何一つ教えていないはずだぞ。今の、一体どうやったんだ」
「創造主が寝ている間にこの研究室に置いてあった魔術書を読んで、ちょっと試してみたら、なんかできた」
「『ちょっと試してみたらなんか』でできることじゃないよこれェ!まだ昼頃だってことは、多分俺が寝ていたのはほんの四時間ぐらいだろう。たったそれだけの時間で、君は五元素行使の基礎を学びそれを実践したってことなんだぞ!……え、無理じゃねそれ?」
「いやぁ、でもできたし」
自分で自分の言っていることの途方の無さに、いっそ目眩までしてきたオウル。
確かに、彼女には絶大な能力があることは先のステータス解析で確認済みだ。魔術の成功率に関わる“集中力”や、五大元素や精霊との相性を表す“適応性”の値も桁外れだった。オウルには、まさしく人間離れした魔術の才能があるということだ。
だとしても、たった四時間で魔術を使えるようになるなど異常だった。
が、それはそれだ。マルクスは驚くのも早々にやめ、椅子の上に泰然とした態度で座っているオウルに歩み寄り、その両肩をがしりと掴んだ。
「!?」
オウルが吃驚する。
そしてそんな彼女の眼を見据えながら、険しい顔で戒めるように語りかけるマルクス。
「いいか?まずは一つ。魔術の勉強や練習をするのはいい。だがまずこちらと相談してからにしなさい。周りの人を無闇に驚かせたりからかったりするような真似はダメだ。やってる当人は楽しくても、他人に心配をさせるようならそれは悪事と同義だぞ。
次に二つ目。さっきの管理局うんぬんの話は昨日確かにしていたはずだ。何をするにしても、それが公的に許される行為であるのかということを常に考えて行動しなさい。もしさっきの魔術が失敗して家に燃え移ったら、最悪の場合周りの建物にも引火して大火事になっていた。死人も大勢出たかもしれない。そうなった時、君は責任を取ることができるか?
人が自らの生命を、生活を守るために作り上げたもの、それが“規律”なんだ。君は賢いホムンクルスだ。規律を遵守することの大切さを、理解できるはずだ」
マルクスの厳しい言葉を聞いたオウルは、申し訳なさそうに眼を伏せる。
「ご、ごめん。調子に乗りすぎた」
言葉を短時間で理解できるほどの高度な知能を持っているものだから勘違いをしていたが、オウルは未だ社会というものを経験していない。倫理に関して言えば、彼女はまだ子供なのだ。
高いステータスに喜んでうつつを抜かしていた自分も馬鹿だったと、マルクス自身も反省する。なによりもまず、彼女にはこの魔術都市で生きるひとつの“個”として、いろいろなことを教えなければならないということを実感した。
とはいえ、それはそれとしてそんなことより、だ。
そんなくだらないことよりも、マルクスはオウルに言いたいことがあった。
「分かればよろしい、叱るのはこれまで。今言ったことは心の隅に残しておく程度にして聞き流していい。で、これからが褒める番だ。いいか?俺が言いたいのはむしろこっちだからな?管理局がどうこうとか赤の他人が焼け死ぬとかそんなのどうでもいいからよく聞けよオウル。いいなよく聞ききなさいよ!」
険しい面持ちを一転破顔させながら、マルクスは掴んだオウルの肩をゆさゆさと揺さぶった。
「君はすごい!創造主の俺なんかよりもよっぽど才能があるじゃないか!君の能力は一般的なホムンクルスのそれからも逸脱している。この俺という路傍の小石のような魔術師が、君という原石どころか研磨済みの金剛石を生み出すことに成功したんだ、これは奇跡だぞ!」
それを聞いたオウルはしばらくの間わずかにその白い頬を紅潮させた。さすがにこうまで言われると恥ずかしいのだろう。
そうしてまたいつもの調子に戻って、にまにまとした笑顔を浮かべる。
「いやあそれは違うなぁ。製造物である自分の実力は、すなわち創造主の能力によるもの。『よりも』じゃない。自分が優秀であるなら、同様に創造主もまた優秀なんだよ。自分が宝石なら、創造主はそれを生み出す大地の豊穣さそのものなんじゃないかな」
今度はマルクスがその言葉に固まる番だった。さきほどまで笑顔だった彼は途端にぽかんとした顔になり、そのまま黙り込んでしまった。まったく表情のコロコロ変わる男である。
そうして次の瞬間、彼の両眼にはにわかに涙が浮かび始めた。
あまりに突然のことにオウルもぎょっとする。
『優秀』などという言葉、この十年間彼は一度として自分に向けられたことはなかった。
最早自分には無縁だと、永遠にそんなこと言われることはないだろうと思っていた言葉を、例え自分が作り出したホムンクルスからとはいえ聞くことができたのだ。
今までの全ての苦悩と煩悶が、報われたような気がした。
「な、何よく分からないこと言ってるんだ、冗談はやめなさいよ……。あのねオウル?今は、その、……君が褒められてるんだぞ?お、俺なんかにそんなことを言うタイミングじゃないんだよ?」
「創造主?」
一度堰が切れたら、もう止まらなかった。
決壊した角膜からは滝のように絶えず涙が溢れ出てくる。マルクスは完全に感極まっていた。
「き、君は!君は本当によくできた子だ!俺、誰かに褒められたことなんて一度もなかった。何が『大地の豊穣さ』だよ。俺なんかただの石ころだって、ずっとそう思っていたんだ。そんな俺を、君は優秀だと言ってくれるのか?」
「そうやってすぐ泣くところはちょっと恥ずかしいと思うけどね。人前でそんな顔しちゃダメだ。それが『まずは一つ』。
『次に二つ目』―――……ごめん、ないわ二つ目」
先程のマルクスの言葉を真似るようにいたずらっぽく言うオウルの身体に、突然彼は覆いかぶさるような勢いで抱きついた。
「へぇ!?じ、自分の創造主って実は変態だったのか!」
急のことに狼狽する彼女の身体を抱きしめ、おいおいと泣くマルクス。
「あぁ分かったよ!オウル、俺のホムンクルス!魔術を使いたいっていうんなら、すぐにでも管理局に許可を貰いに行こう。そうすりゃ君は立派な魔術師だ!その力を存分に振るえばいい。二人でこの魔術師都市に名を残す偉大な魔術師になろう!
俺が無能と呼ばれるのは、今日で終わりだ!」
「そ、そうか!そういうことか!いや、やっぱり抱きつかれてる理由はよく分からないけどそういうことならそうだとも!一緒に頑張ろう、創造主マルクス!」
「まぁでも今日はまだ昨日歩き回った疲れが残ってるし、一日家でゆっくりしてるか。魔術を使うのはダメだけど、本を読んで勉強するぐらいは大丈夫だしね」
「えぇ……。なんで今の話の流れでそうなっちゃうの」