8.骨一本作った程度で大はしゃぎ。
マルクスはまた薄汚れた研究室に戻ってきた。この十年において、彼が一番その身をおいていた場所がここだ。
出入り口の壁に立て掛けてあったランプに灯りを点した彼は、そのままその僅かな光源だけを頼りに部屋を徘徊し、立ち並ぶ本棚をあれこれと物色し始めた。
その最中、うわ言のようにぼそぼそと呟く。
それは“復習”だった。これまでの十年間に培ってきたものを思い出し、もう一度頭に叩き込むための言葉だった。
「生体錬成というのは言ってしまえば“部品取り”だ。生物が活動するために必要な要素を解析、複製するもの。ヒトを模したホムンクルスを生み出すことができるのなら、ヒトそのものを作り出せない道理はない」
しばらく本棚の周りをうろうろしていた彼は、いつの間にやら数冊の本をその脇にかかえていた。
そうして、昨夜オウルを作るための実験を行っていた机にそれらの本をドサリと置いて、椅子の上に腰を落ち着ける。
「生体錬成に手を出したのは間違いではなかったな。この分野は医術に直結する。魔術による恩恵の、その花形だ。義肢、臓器移植、再生治療―――……技術さえ手に入れれば、いくらでも職にはありつける。この一晩で会得するつもりで行け。でなければ俺は正真正銘の無能だぞ。オウルに泣き言を言いたくはないだろ」
すでに夜は更けているが、マルクスには眠る気はなかった。
彼は本と同じく机においたランプの光によってぼんやりと映し出される視界の中、開いた本のページにじっと目を凝らした。人体錬成の分野について記された魔術書だ。まだ情熱というものが残っていた頃、狂ったように読みふけっていたもの。
それに今もう一度目を通す。基礎から全てを学び直し、改めてそれを実践するのだ。
魔術師マルクスとしてこの都市で生きていくだけの、力を身につけるために。
※
そうして大地の裏側から太陽が顔を出し、ある一日が過ぎ去ってまた別の一日がやってくる。
夜明けの時だ。
ベッドの中、遠い夢の世界でまどろんでいたオウルの意識を現実へと引き戻したのは、けたたましいまでの創造主の叫び声だった。
「おぉーい!!おいオウル!オウル見てー!見てこれオウル見てこれ見てーー!」
「なななななななにごと!?」
慌てて飛び起きたオウルに、マルクが両手に持ったあるものを見せつける。その顔は喜色満面であるが、眼の周りは深く隈取られ生気がない。
「ほら、これだよ!はははついにやったぞ、やっぱり俺は無能なんかじゃなかった!」
「……えーっと、骨?」
マルクスが持っていたのは、一本の骨だった。
「そう!“カルシウムリン酸”、すなわち骨!その内の橈骨にあたる部分。腕の骨だよ!」
「創造主が作ったの?」
「でなければこんな大喜びするものかよ!昨晩人体錬成についての知識をもう一度学び直して実験を行ってみたんだが、見事に成功した。骨は大事だぞ~。これだけで骨折の治療や人工関節、いろいろなことに使える。仕事にありつけるんだよ!」
「仕事」
ぽかんとしたオウルの顔も気に留めず、興奮しすぎて半ば半狂乱になりながらマルクスは早口で捲し立てる。
結局一晩中研究と実験に費やした結果は骨を一本生成しただけだったのだが、それが彼にとっては無性に嬉しかった。今まで何をやってもうまくいかなかった彼が、ホムンクルスの製造に続けて二日連続で実験を成功させることができたのだ。
それは天にも昇るような気分だった。
「骨組織を作れたのなら後の理論は同じはずだ。皮膚、筋肉、人工臓器。そうだとも、ゆくゆくは心臓や脳だって作れるかもしれん。……いや、脳移植はさすがにいろいろ怖いから考えないことにしよう。
なんにせよ!そうなれば引く手あまた、俺の作った生体部品で多くの人が助かり、こっちはこっちでお金ががっぽがっぽ!ははははは笑える話じゃないか、あはははははは!あははは……はは……は」
狂ったように笑いだしたと思ったその矢先、マルクスの身体がゆらりと傾き、ばたりと床に倒れていた。
「創造主!?」
オウルが慌ててベッドから降り、彼に駆け寄る。
どうやら気絶するように眠ってしまったと見える。一晩寝ていないのだからこうなるのも無理はないか。
「まったくもう。こんなことしてたらいつか身体がぶっ壊れるぞ、だらしのない創造主め。とりあえず寝かしといてあげよ」
そうして、いびきをかいているマルクスの身体を抱え上げ、今しがた自分が寝ていたベッドに移す。
なにせ筋力値がおよそ4,000。常人の四十倍も力持ちなオウルだ。彼のやせ細った身体など羽毛を摘むようなものだった。
「予熱はしておいたから、ぐっすりおやすみ」
そう小さく呼びかけながらしばらくマルクスのその間抜けな寝顔をしばらく眺めていたのだが、ふとあることを思い立った。
そのまま寝室を後にし、ある場所に向かう。
研究室。先程まで創造主が入り浸っていたであろう場所だ。
後何回か開閉したらそのまま壊れそうな扉を開き、部屋の中に入る。一体昨晩何があったのかはオウルには知る由もないが、ただでさえ散らかっていたのに昨日よりもさらに散乱してしまっているように見える。
その成果がどうあれ、ここは一人の男が十年に渡って続けてきた努力の史跡だ。
部屋の中に埋もれる魔術書や儀式道具の数々を見渡しながら、オウルはぼんやりとひとりごちた。
「“魔術”かぁ~」
※
「はへっ!?」
ベッドの中、マルクスは眼を覚ました。
「二日連続の寝落ちか。まぁ十二日連続までは経験あるし、そう大したことでもない。寝られはしたんだからOKOK!」
体調管理もロクにできない自分をそう慰めつつ、未だに腕に抱え込んでいる骨に再び眼を向ける。
「ん~、何度見ても惚れ惚れする出来栄え!今すぐ俺のと取り替えてもいいぐらいだあ」
と、冗談も大概にしておいて、
「にしても、オウルが寝かしつけてくれたようだが、その当人はどこへ行った?」
まだ寝室の窓の向こうから覗く空は明るい。それほど長い時間寝ていたわけではないだろうが、それでも身体の調子は戻ってきた。
どこかへと居なくなってしまったオウルを探しに行くとするか。
まずは研究室でも見てみることにする。
※
ドンピシャだった。オウルは研究室にいた。
それはいい。
それはいいのだが……
散らかり放題の床の上に佇む彼女が、天井へと向かって立てた人差し指。
その先に、煌々(こうこう)と大きな火の玉が浮かんでいた。
マルクスは反射的に叫んだ。
「火事になっちゃうでしょやめなさいお馬鹿ァーー!」