7.魔術都市ってそもそも何なの?
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とりあえず新しく何着かの衣服も見繕ってもらい、それらを購入して店を出る。
取り急ぎやるべきことは済んだのだが、まだ日は浅い。もうそろそろ昼頃かという時間だ。今度は何をしようかと考えていたマルクスに、オウルがこう言ってきた。
「折角だし、少しこの都市を見ていきたいな」
「そうだな。これからここで生活するわけだし、今の内に見て回ろうか」
ということで一旦買い込んだ荷物だけ家に置いて帰りつつ、二人は魔術都市を見学代わりに散歩することにした。
マルクスがオウルを連れ向かったのは、とある広場だった。
直径36mほどの円形の空間が階段状にくり抜かれており、その中央にはひとつの老人を象った銅像が鎮座していた。
“礼賛広場”と呼ばれる場所だ。
広場には魔術都市に住まう住人、あるいは魔術師ではない観光者の類も含め多くの人影が見え、さらにその周囲には彼らを商売相手にした露天の出店などもいくつかあった。
階段状になっている円の縁に立ちながら、オウルがその先に静かに佇立する銅像の方へ指さした。
「あれは誰なの?」
「大昔の魔術師で、この世界におけるあらゆる魔術の原型を作った人だよ。魔術を研究するこの都市にとっては全ての親と言ってもいい偉大な人だな。だからこんな広場まで作って奉っているわけ。確か名前は、……えーっと、“ケテア”とか言ったか」
「人の名前を覚えない創造主でもちゃんと言えるってことは、さぞすごい魔術師なんだろうねぇ」
「そういうこと」
オウルの問いに応えながら、マルクスは広場の周囲をぐるぐると見回す。
「うん。ここは広いし、周りにも大きな建物がないからいろいろ説明するのに都合がいい。だからここに寄ることにしたわけだが。
さ、まずはあれだ。見てみなさい」
そうして彼は広場の外、遠くの方へと指差し、オウルもそちらに目を向ける。その先には巨大な壁のようなものがあった。人間の背丈の、その何十倍も高々とそびえ立つ。
「魔術都市って、大きな壁に囲まれてるんだ」
「そうだ。魔術都市は元々、異端とされていた魔術を保護しそれを隠匿するための都市だった。あの壁は、外部から何らかの脅威がやってきた場合にそれを食い止めるための防御壁の名残だ。
まぁ今となっては魔術も世間に広く普及して受け入れられることになったから、あんな大仰な壁も必要ないんだけどね。この都市も、ちょっとした観光地同然になってるし。
とはいえ、必要なくなったといっても防壁としての機能は健在だ。あの壁は姿隠しと対衝撃、対魔力の結界にもなるし、壁上にはたくさんの防衛用ゴーレムが駐留している。一流の魔術師でも、下手にちょっかいを出せば一瞬で返り討ちだ」
「へぇ~、すごいねぇ。それなら都市の中にいる分には安心だ」
「そしてもちろん、敵を見つけ出すための監視の目もある。物見塔だ。あれと、……あれもそうだね」
マルクスが、防壁よりやや離れた場所に点在する塔を次々と指差す。山のような高さの防壁よりもさらに一回り高い、まるで空を刺すばかりの摩天楼だ。
「あそこで術式により自動化された遠隔視が行われているんだ。都市の周囲数kmの範囲なら、人っ子一人逃さず察知することができる。
で、もし何か怪しいものを見つけたならその情報は、あっちに送られる」
続けてマルクスが指差したのは都市の中央。そこにある巨大な城だった。
「“管理局”だ。この都市もかなり大規模なもので、ほとんど国みたいなものになってる。それに、魔術師なんてのは普通の人じゃない。だから都市の中で独自の規範を作り、住人を管理することが必要になった。それを行うのがあそこだ。
都市に住まう魔術師達はまず管理局に身分を登録して、認可を得てから研究を行う。人に危害を及ぼすような危険な魔術の研究が行われないようにね。僕もご多分に漏れず、ちゃんと向こうの認可を得た上でホムンクルスの製造を行っていたんだ」
マルクスの説明を聞きながら、オウルは「ふぅ~ん」と要領を得ない返事をする。
ちゃんと聞いているんだかいないんだか……
「なんか、魔術ってもっと人の目をはばかってひっそりと行われてるものだと思ってたけど、案外違うんだねぇ」
「昔はね。けど、まぁ実際のところ魔術って便利だから。人類みなその恩恵にはあやかりたいんだよ。この都市の維持にはいろんな国が協力してくれてるし、世界の各地から魔術の力で困ったことを解決してもらおうと訪問者もくる。
ほら、治療魔術なら身体に不自由を持った人を治してあげることもできるし、そんな有り難い技術なら異端と切り捨てるよりも認めることを選んだわけだ。昔は多くの魔術師が迫害されたり国から追放されたりしたこともあったけど、今となってはみんなが羨むエリート扱い」
「さすが人間、面の皮が厚い!」
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それからマルクスはオウルを案内して、魔術都市をしばらく散策した。
ロクな金も持っていないのでただ見て回るばかりで何かを買うようなこともなかったが、それでもオウルは行く先々でマルクスの説明を熱心に聞いてくれていたので、退屈ではなかった。
そうこうしてる内に陽も地平線の向こうに沈み空が赤らんできたので、二人は家に戻ることにした。
華やかな魔術都市の表通りからまた湿っぽい路地裏に戻り、そして明日にでも崩れてしまいそうなボロボロの家へ。
ごく簡素な夕食を済ませ、井戸から汲んだ水を浴びて身体を洗い。そのまま今日は眠ることにした。
ホムンクルスは人間以上に持続的に活動できるよう基本的には睡眠が不要なのだが、それはそれとして一時的に機能を遮断しエネルギーを節約するためには、眠ることも有効ではあった。
とはいえ、哀しいことにマルクスの家には一人用の寝具しかない。今日はオウルにベッドで眠ってもらい、マルクスはどこかで適当に横になって夜を明かすことにする。
少し身じろぎするだけでギシギシ音が鳴るベッドに身を横たえ、薄い包布にくるまるオウル。
「本当にいいの?」
「いいんだよ、俺は基本どこでも寝れるから。昨日だって研究室の床で寝てたんだ、君も見てただろ?っていうか起こしただろ?」
「一緒に寝ればいいのに~」と、にまりと笑うオウル。
「そんな狭いところに身を寄せ合って、それで寝れるんならそうしてる。俺としてはむしろ余計に眠れなくなりそうなのでお断りするけど」
「そ。それじゃあおやすみなさい」
「おやすみ」
そうして、そのままオウルは深く目を閉じた。その瞬間にはもう完全に寝入ってしまったようだ。
彼女には聞こえないような声で、マルクスがボヤく。
「やれやれ、こんな早く眠れるとかさ。俺なんてベッドに八時間横になって、その内の何割をちゃんと睡眠と定義していいかどうかも分からんっていうのに」
そのまま、寝室の隅に灯っていた小さなランプを消す。そうすると部屋の中は真っ暗になった。もっとも、ランプが点いている間もそう変わらないような暗さだったが。
魔術師ならば、光灯しの魔術で十分な光源を確保し真夜中でも昼間のように明るくできる。だが、マルクにはそんなことは無理だ。似たような魔術を自動で発動してくれる魔力灯という道具もあるのだが、この貧乏屋敷にはそんなものもない。
彼は自分の足元も見えなくなるほどの暗闇の中、しばらく立ち尽くした。その表情は沈んでいる。脳裏にはいろいろな感情が飛来しては通過していった。
「(本当に、よくこんなボロ屋敷でそんなにぐっすり眠れるよ。夕食だってちゃんと喰わせてやれなかったし、冷たい水で身体を洗って……。
こんな生活をこのまま続けていては駄目だ)」
マルクスは十年間この家で暮らしてきた。魔術が使えないため、日雇いの肉体労働を格安で請け負いなんとか日銭を稼いで研究を続けてきた。彼の身体が衰弱したのはあるいは、過酷な労働と研究を両立させようと無理をしてきたからなのかもしれない。
これ以上豊かな暮らしのできないギリギリの生活だったが、それでも構わなかった。なにせ自分には魔術師としての実力がないのだから、この現実も受け入れるしかない。
―――だが今は違う。
今はオウルがいる。彼女にまでこんな暮らしを強要させることはできない。
もっと上等な食事をさせたい。水を温めてちゃんとした風呂に浸からせてやりたい。
それに、服だけではない。宝石だとか首飾りだとか、そういったものでもっと着飾ってもいいだろう。なにせオウルはたとえホムンクルスといえど、女の子なのだから。
「(俺には魔術師としての実力がない?
いや、違う。そんな固定概念で自分を殺すな、俺は無能なんかじゃないだろ。現に人体錬成を成功させ、実績を得たじゃないか。
俺は確かに魔術師だ。魔術師なら、自らの会得した業で金ぐらい稼いでみろ。できるはずだろ、できないなんて台詞は俺自身が許さん)」
彼の胸の内に、ある決意が篝火のようにふつと燃え上がった。