4.街を歩いただけでからまれるとかどうなの?
オウル。その名を授けたマルクスは改めて、自らの創造物であるホムンクルスとの生活がこれから始まるという実感を持った。
「さて。君が俺の被造物であることを受け入れている以上、俺の方も君をしっかりと管理する必要があるわけだ。そのためにまず必要なことはなにか、分かるかいオウル」
「わかんない」
「それだよ」
マルクスは、トーストを持つ彼女の手元を指さした。
「袖の下から食べ物を持つと服が汚れるということ、まさか知らないとは言わせないぞ」
「し、知らなかったそんなの…!」
「嘘をつけ!そんな格好のままいさせるわけにはいかん。食事を終えたら君の着るものを買いに行くぞ」
※
というわけで二人は朝食を終えて早々に、オウルが着るための服を買いに出かけることにした。
「正直俺には女子供の着る服なんてとてもじゃないが選べないわけで、それならばいっそ君も一緒に連れて行った方がいろいろと手っ取り早いのではないかと考えているんだが、……とはいえ、さすがにその格好で外に出すのもマズい。ちょっと待っていなさい」
そう言ってオウルをその場に待たせ席を立ったマルクス。
しばらくして彼が戻ってくると、その手には一枚の小さなローブがあった。
「これも上から着よう。魔術師用のものだ。魔力との親和性が高い素材で編み込まれているから、必要となれば触媒の代わりにもなるし、多少の魔術なら防ぐこともできる代物。昔買った型落ち品だが、これなら街中を歩いていてもまだ怪しまれないだろう。傍から見る分には普通の魔術師だ」
「それ、創造主のものでしょ?……切ったの?」
マルクスの持つローブの丈や袖は、彼が着るにはあまりに短いように見える。
「そのまま着せるとさすがに丈が長すぎるからな。魔術師の道を目指して間もない頃、まずは形から入ろうと思って買ってみたんだが、俺にはどのみち必要ないものだから君にあげるよ。ロクに着てもいない新品同然だ」
※
マルクスの住む家は、細い路地裏の中、他の建物の壁に囲まれ隠れるようにひっそりと建てられている小さな古家だ。その出入り口の扉を開き(開くごとにギィギィどころか、ガギッガギッと得体の知れない音が鳴る)、薄暗く湿っぽい路地裏を進む。
その場にいるだけで気持ちがどこかに沈殿してしまいそうな空間をしばらく行く。そして建物の間を抜けその先に出ると同時に、空気が一変した。
幅の広い、まるで山を飲み込むほどの大蛇が這った後のような大通り。そこには日差しが差し込み眩いほどの明るさに満ちている。そして、そこを行き交う無数の人の波。通りを挟みこむように立ち並ぶ、小高い清潔そうな建物の数々。
“魔術都市”の繁栄の姿だ。
多くの魔術師が研究や、あるいは同業者向けの商いごとなどのために集まる都、それがここだ。通りを行き交う人々の多くが、多少なりとも魔術を心得ている者である。
マルクスもここの住人であった。魔術などこれまでロクに扱うこともできなかった彼も、だ。
オウルが街の賑わいように驚嘆を上げる。
「へ~すごい!創造主以外の人間を見るのも初めてだけど、一度にこうたくさん見ると人酔いしちゃいそうだなぁ」
「心にもないことを。さぁ、行こう」
二人は改めて大通りに出て、流れる人の波に乗って進み始めた。
通りを行く人々の服装は、どれも整っていて小奇麗なものだ。その中で薄汚れたシャツ一枚のマルクスの姿はいささか見窄らしい。
そして服装とは関係なしに、マルクスが魔術を使えないと知れば、この場にいる者たちは一斉に奇異と嘲笑の視線を彼に送ってくるのだろう。
例えば今のように。
「おい。
おい待て、止まれよマルクス。無能者のマルクスよ、お前に言ってるんだぞ」
背後から聞こえるその苛立たしそうな呼び声に、マルクスとオウルは振り返る。そこには一人の男が立っていた。
「そのホムンクルス。誰のだ」
「誰のって?」
マルクスは表情を変えず、男からの問いを聞き返す。
「誰から借りたモノだって話だよ。いや、まさかお前みたいな奴に創造物を貸す物好きがいるとは思わなかった」
「その、あんたは?どこかで会ったような記憶は確かにあるんだが、どうにも名前が……。いや、申し訳ない。何かの拍子に知り合いになったんだっけ?」
「なんだとっ?」
そのマルクスからの返事に眉根を寄せる男だったが、気を取り直したように愉快そうな笑みを浮かべる。
「あぁいや、仕方がないか、はははは!魔術師のくせに魔術の使えない無能のマルクス氏はなにせ日々の暮らしに精一杯なんだものなぁ、俺達優秀な魔術師のことなんて覚えている余裕すらないか。
だが俺はよく知ってる。なにせ一部じゃお前は有名人だからな。無能で、出来損ないの、なんでこの都市にいるかも分からないような男だってな。
俺がお前のことを知ったのはもう大分昔のことだったが、あの頃から少しは魔術師として成果を上げることができたのか?んん?」
神経を逆なでするような台詞を平然と吐く。
程度の差はあれ、魔術都市の住人がマルクスに見せるのは大体これと似たような態度だった。
「―――」
オウルが今まで見せたことのないような顔をして、前に身を乗り出そうとした。もっとも、そもそも彼女の表情をまだそういくつも見ているわけでもないのだが。
そんな彼女をマルクスは制止し、男の声に応じる。
「思い出したよ。いや、名前は依然さっぱりと思い出せないが。
君、ゴーレム設計士だったな?最近君の設計した機体が、都市の量産型ゴーレムを採用する競争に参加したというのも、学会誌か何かで読んだ記憶がある」
そう語る彼の口調も表情も、まるで世間話をするかのような淡々とした軽やかさがあった。そこには、自分が明らかに侮辱されていることに対する怒りも恥もない。
必要ないからだ。わざわざこういった声に余計な反応をするのは無駄な労力だからだ。
それに……
「それと、君の言わんとしていることもなんとなく分かった。しかし、どうやら想像に応えられなかったようで申し訳ない。このホムンクルスは別に、誰かからの借り物なんかじゃない。名をオウルというんだ。俺の創造物だよ」
それを聞いたゴーレム設計士の男が、一瞬ぽかんとした顔をする。
「いや、いやいやいや。何言ってんだ無能者が。まさかこのホムンクルスを?お前が?自分で?作ったと?『俺は知ってる』って言っただろうが。お前みたいな奴が、まともな個体を生成出来るわけがない。
……いや、いやいやぁ?改めてよく見てみるとそのホムンクルス、あまりにも身体が小さすぎるんじゃないか?それじゃ実用性は一般的な仕様に比べて落ちるだろう」
男は今度はオウルを品定めするように眺めながら、大声で笑い始めた。
「ははははは!なるほどぉ!そうなると確かに出来損ないのお前にはよくお似合いだ!普通の魔術師ならこんな中途半端な個体、作った自分が情けなくてすぐに処分するだろうさ、あははははは。出来損ないの作った出来損ないのホムンクルスか!はははははははは」
「おい待て。今なんて言った」
「っ?」
ゴーレム設計士は思わず息を呑んだ。今まで、こちらがどれだけ小馬鹿にしたところでただ何も言わず黙っているばかりだったあの出来損ないのマルクスが、まるで地獄の底で炎に焼かれながら天国にいる者達への憎悪を募らせるかのような、そんな怒りをたたえた眼で睨みつけてくるのだから。
彼は静かな声で言う。
「……なんだろうな。別に俺がどうこう言われるのは構わん。なにせ実際俺には何の実績もないんだから、言い返す言葉もそりゃあ無いはずだ。
だがな、この子を侮辱することは決して許さん。俺の大切な、初めての創造物だ。それを蔑む権利などどこの誰も持たない。そんなことを、創造主として俺が許すわけにはいかん」
そこまで言ったところで、黒々と煮えたぎる怒りの炎がふとマルクスの眼から消え失せた。
「―――それと、一つ君に聞きたいことがある。君、ゴーレム設計士として優秀であることは俺も知っているんだが。しかし生体錬成の分野においてはどうだろうか?君はホムンクルスを作ったことはあるか?もし無いというのなら、少なくともこの分野においては、俺の方が君より実績を積んでいるので、むしろ相対的に見て無能なのは君の方になると思うのだが。
それについて、どう思うね」