3.ホムンクルス呼びは不便だから名前をつけよう。
マルクスはついにホムンクルスの製造に成功し、しかもそれは今までの実験の記憶を受け継いだ、いわば同一の個体だった。
それは確かなことらしいし、いい加減に彼もその事実を受け入れることにした。
となれば、もっと自分の創造物のことを把握しなければならないだろう。
「とりあえず、君の肉体がどれだけ安定しているか簡単な検査をしたい。折角出来上がった身体なのに、状態が不安定ですぐに崩壊するなんてことになったら悲惨すぎるからな。そこの椅子に座ってくれ。……立てるか?」
「うん」
ホムンクルスはよろよろと立ち上がり、近くにあった椅子に腰を落ち着けた。昨日マルクスが座っていた椅子だ。そのおぼつかない足取りは少し不安になるものだったが、なにせ昨日の今日初めて肉体が形成され立ち上がったのだ。身体を支えられるだけの筋力があるだけ十分だろう。
「折角服を着させてあげたんだけど、ちょっとごめんよ」
彼はホムンクルスの身体に、さっき着せたばかりの服を脱がせつつ手を触れた。触診で肌や筋肉、内臓の状態を確認するのだ。腹の中に内臓がなく実はスカスカの空洞だったなんてことになったら笑い話にもならない。
先程まで全裸の身体に狼狽して半狂乱状態になったというのに、いざ必要になるとまた素っ裸に剥いてべたべたと触ってしまうのがこの男だった。
マルクスの手が身体に触れると、ホムンクルスは笑い声を上げて身体をじたばたさせた。
「ひゃひゃひゃひゃ!くすぐったい!」
「だからごめんよって!大人しくしていなさい」
「やっと出来上がった末梢神経なんだ、敏感なんだよぉ!」
「へ、変なこと言うのもやめなさい!」
とりあえず、肌の質感はいい。ある程度の筋肉量もあり、骨と皮だけなどということもない。腹部の圧も十分あり、少なくとも形の上では内臓もしっかり詰まっていることが確認できた。体温はやや低くひんやりとしているが、ホムンクルスは元々普通の人間とは代謝の仕組みが違う部分がある。これについては問題ないだろう。
「はい、脊髄腱反射」
続けて、小さな槌を取り出して膝をコツン。
「いてっ」カクン。
「触ってくすぐったいんだから、そりゃ末梢神経も正常に機能しているか。さて、次は聴診かな」
散らかりに散らかった研究室の中を物色し、聴診器を見つ出す。それをホムンクルスの胸に当てる。
「心臓の鼓動もある。心拍は分間六十回ってところか。はい息吸って」
「すう~」
「吐いて」
「はあ~」
「肺にも異音はない」
と、その時だった。
ぐぅ~。鈍い音が薄暗い部屋の中、微かに響く。
「ほら、創造主がいろいろ弄くるからお腹空いちゃったよ」
「消化器系の機能も正常ってことか。となると、おそらくは視床下部の機能も。いいぞ、肉体には概ね問題はない。ホムンクルスとして正常に生成されたということだな。
はいはい、それじゃあ一旦食事にしようか」
この研究所にはそもそもロクな設備もないので、初めからごく簡単な検査だけで済ませるつもりではあったが、見る限り気になるような異常はない。彼女はホムンクルスとして正常な肉体を持っている。
ひとまずはそれが分かればいいだろう。今すぐ崩壊するような心配はないので一安心だ。
そして一安心した途端、マルクスの方も空腹を感じてきたのだった。
※
当然のことだが、あの狭い研究室だけがマルクスの居場所ではない。彼の家には生活するための空間というのもちゃんと存在する。
木組みで建造された古臭い居間。そこの一角に置かれている小さなテーブルはところどころ虫食いができていて、何かの拍子に天板から真っ二つに割れてしまいそうだ。
その上に並べられた陶器製の皿にはそれぞれ、ベーコンと卵を焼いてそれをトーストの上に乗せたものと、適当な野菜を適当に切って適当に詰め込んだ即席のサラダが鎮座していた。それをマルクスとホムンクルスの二人が食べる。
ホムンクルスは人間とは異なる活動源を持ち、栄養を供給する手段も多岐にわたる。が、それはそれとして通常の食事も可能だった。人と同じ方法で栄養摂取できる方が、管理も容易なのだ。
少女の姿をしたマルクスの創造物、彼女はトーストとベーコンエッグにいっぺんにかじりつきそれを頬張りながら、その白い頬を薄い桃色に紅潮させていた。
「ずっと楽しみにしていたけど、これが食事というものかぁ~、んー!んまいんまい」
が、その喜びようを眼にするマルクスの面持ちは暗く沈んでいる。
「……」
「どうかした?」
「いや、なんでもない」
『なんでもない』のにこんな顔をするわけがない。
どうやら、ぱくぱくと食事が進んでいるのを見るにやはり消化器系の機能も十分のようだ。それはそれでいいのだが、今言った通り彼女というホムンクルスにとってはこれがはじめての食事なのだ。
にしてはこれはどうにもお粗末ではないだろうか。本当はもっと上等な食事をさせて感激させてやりたかったのだが、マルクスにはそんな余裕はなかった。
魔術の使えない魔術師と聞けば想像に難くないだろうが、そんなヤツにまともな蓄えがあるわけがない。彼は生活するのもやっとなほどに困窮していたのだ。この食事だって、なんなら彼の普段食べているものに比べればまだ豪勢な方だった。
質素というにはあまりにあんまりな食事に、マルクスの胸の内で先程まで忘れかけていた罪悪感というものがまたふつふつと再燃してくる。
「その、申し訳ない。こんな出来損ないのひもじい魔術師の所に生み出してしまって。やっぱり、ホムンクルスの製造なんて早々にやめておくべきだったか」
「ふぉぅ~、むぁふぁふぉうふぉうふふぁまふぃごふぉいっふぇう~」
「トーストかじりながら喋るのはやめなさい」
「んぅ~、んぐ。……『もう~。また創造主が泣き言を言ってる~』とさっきは言ったんだけど」
「……」
『泣き言』か。まったくもってその通り。
黙り込んでしまったマルクスに、ホムンクルスは語りかける。
「誰かに生み出された者が、生まれた時点でその誰かを恨んだりすることなんてありえない。子供が親―――だっけ?親が新しい生命を創造するとそれは子供になるっていう概念は合ってるかな。創造主はこの辺りの話はあまりしてくれないから」
「まぁ大体合ってるよ。悪かったなこんな歳して子供もいなくて」
「子供が親を恨むのは、親が子供を幸せにさせてやれないから。つまり後天的なものだ。生まれた時点では人の幸不幸は確立されていない。全てはその後の結果によるものなんだとジブンは思う。
それを踏まえて、この食事はとても美味しいからジブンは幸せな気分だよ。創造主に感謝している。だっていうのに当の創造主がそんな顔をしているなんて、それこそ逆に失礼なんじゃない?」
「……」
「どう?」
「は、ははは。いや、その通りだよ。まさかホムンクルスに慰められるとは思わなかった。
分かった。俺が君の前で泣き言を言うのは、君が俺のことを恨むほど不幸になってからにする。ってことだよな?」
「そう!それならよし!」
「それなら、泣き言を言わない代わりにずっと気になっていることを言わせてもらうんだが。その、『創造主』という呼び方は何とかしてくれないか。なんだか聞いててむず痒くなってくる」
「いやぁ、そう言われても」
「あ、そうか!そりゃそうだ。そういえばまだ君には俺の名前を教えてなかったんだ、三百回以上も実験を繰り返してきたっていうのにさ。そりゃ畏まった呼び方しか出来ないわな。
俺の名前はマルクスだ。これからはそう呼んで欲しい」
「分かったよ。創造主マルクス」
「……あのさぁだからさぁ」
「いいじゃないか。こっちはそう呼びたくて呼んでるんだから、個人の自由を侵害しちゃいけないよ~」
やれやれ、口の達者な人造人間だ。こんな屁理屈を言うホムンクルス、一体誰が作ったのやら。
いや、そう考えるマルクス自身なのだが。
「まったくもう、そうかいそれなら結構。
だったら俺の方も個人の自由として、君のことを好きに呼ばせて貰うことにする」
「?」
「君の名前だよ。他の個体と区別をつけるために、自分の創造物に呼称を特定しておくのは道理だろう?以前からホムンクルスの完成品ができたらまずこの名をつけようとずっと考えていたんだが、ようやくそれが叶いそうだ」
「ジブンの名前……」
「“オウル”だ」
「オウル?」
「世界が創造された時、そこには暖かい無限の光があったという。その“光”に当たる呼び名。
それが君だ」