2.これまでの失敗作がどうやら全て彼女だったらしい
「は、はだか……。はだかやんけーー!!
ってそりゃそうだよな着るものまで試験管の中で作られるわけがねえもんそりゃはだかで生まれるに決まってるわな!なんで前もって準備してなかったんだ俺のバカ!」
マルクスは大慌てで身体を上げ、幼い少女のように見える“何か”を抱え起こした。
長年魔術の研究に没頭してきた身体にはロクな筋力も残っていなかったが、さすがにその小さな身体をなんとか持ち上げるだけの力は残っていたようだ。
「服、とにかく服を!きき、君はそこで待っていなさい!」
“何か”をその場に座らせたマルクスは、そのままバタバタと研究室の外へと出ていった。
途中、本棚の角に足の小指をぶつけながら。
「痛ァー!いったっ……もうやだ誰だよこんな散らかした奴!?いや俺じゃねえか!」
そうしてしばらく自分の家の中を駆けずり回った彼は、一組の衣服を持って研究室に戻ってきた。襟付きの白い―――と表現するにはどうにも薄汚れているシャツに、黒色のズボンだ。マルクスの普段着の一つ。彼が今着ているものと同じ、殺風景のパッとしない服だ。
彼の家には、子供が着るような小さな服は何一つなかった。ずっと一人暮らしで世帯を持つことなど想像もしていなかったのだ。
「ほら、とりあえずこれ着なさい!」
そう言いながら彼は“何か”の後ろに回り込んで、持ってきた服を着せてやった。
「あぁ~、分かっちゃいたけどサイズが合ってなさすぎる。ぶかぶかじゃないか。ズボンも、……ダメだこりゃ、履かせたところですぐにずり落ちるぞ。仕方ない、下は諦めるか。
これじゃ余計いやらしい格好になったじゃないかぁ!何だ俺はこんな変態みたいな!」
結局シャツだけしか着させられなかった。というか、サイズの大きすぎる服に身体を包まれている様は、着ているというよりむしろただ布に巻かれているだけにしか見えない。
それでも、裸の身体を覆い隠すことはできたので良しとしよう。
「気が済んだ?」
“何か”が、その妙に落ち着いた声で聞いてくる。
「あぁ、ひとまずこれで安心ってことにするか。そして安心したところで改めて思い直すとだな……」
思い直すと。
そう、そもそもの問題だ。
「君は、一体誰なんだ?」
「誰ってそんな、分かりきったことを。解答を知った上でなお質問をするっていうの、面倒くさくない?」
「……確かに俺の中には一つの考えがあるが、それはあくまで仮説であって確証はない。信じられないんだ。では、信じられないことを信じるためにどうすればいいか。一番手っ取り早い方法は当事者に聞くことだな。
というわけで改めて聞くが、君はもしやして昨日の、俺が実験していたホムンクルスなのか?」
その問いに“何か”は応える。
「言うまでもない」
「いやそこははっきり言おうよぉ!さっきからの話の流れもあるじゃん!」
まさかのまさかだった。確証を得てなお信じられなかった。
だが、他ならぬ当人の言葉なのだから受け入れるしかない。マルクスはついに、自らのホムンクルスを生み出すことに成功したのだ。
が、今の彼にあるのは努力が実を結んだ喜びよりも、むしろ困惑の方が大きかった。
それに、
「というか、それ!言葉だ!君は今生まれたばかりなのにすでに言葉を高度に把握している。そりゃあ、ホムンクルスはその発生段階である程度発達した頭脳を有し、高い知能を得ることができる。それでも、知識や文化というのは外部から取り入れて学習しなければならない。言葉にしてもだ。
昨晩の俺の独り言を聞いていたのか?でも、それにしたってほんの二言三言だけだぞ。たったあれだけで会話が可能になるほどの理解ができるとはとても思えない。君は一体どうやって……」
「『ふたことみこと』?
ふむ、そこがなんだか根本的に思い違えてる気がする。もしかして創造主は、ずっと知らずにそうしてきたの?」
“何か”―――マルクスの作ったホムンクルスが、シャツの裾に半分ぐらいしか通っていない手を顎に当てた。
幼い姿の割にはその仕草はどこか堂に入ったもので、なんというかちぐはぐな印象を受ける。まぁ、ホムンクルスは生まれたその時点で知恵に関しては大人同然ではあるので、そうおかしなことではないのだが。
「へ?どういうこと?知らずにって、なにを?」
「二つや三つなんかじゃない。創造主の言葉は、もう何百何千と聞いてきたんだ。ずっと覚えていたよ。実験はこれで三一三回目。ようやく成功したね」
「……まさか」
そこまで聞いて、マルクスは理解した。
「ま、まままま、まさか君は!今までの実験で作った試作品はみんな、君だったのか!?」
「そうだよ」
「そんな馬鹿な!肉体が崩壊しても記憶は残留して、それが新しい肉体に移し替えられていたと、そういうのか!?そりゃ、そういう方法も世の中にはあるにはあるらしいけど、俺はそんな特別なことはしてない。あくまで一般的な製造法で……」
言い終える前に、彼はひとつ思い出した。
『特別な製法』。
「あ、いや。してた。してたわ俺!あまりにも同じ実験を繰り返してるもんだからすっかり忘れてたとんだ無能だよく成功できたなこいつ!
た、確か最初の実験が失敗に終わった時、ほんの小さな組織片が残った。ほんのかすかながらも、それは活動していた。生きていたんだ。……当時は嬉しかった。完全な失敗ではない、少なくとも生物として機能しうる何かを生み出すことはできたから」
当時の感動を思い出すマルクス。
「だから俺はその可能性にすがって組織片を保存し、以後の実験に流用することにした。まぁ、その後も失敗続きだったけどね。それでも、その組織片だけは毎回同じ状態を保ったまま残り続けていた。だから同じようにまた次の実験にそれを流用して、また失敗して、また流用して、それをずっと繰り返してきた。
まさかその組織片に記憶に関する機能が存在していて、これまでの実験のことを全部覚えていたって?」
「承知の上でやってたんじゃないの?」
「マジかぁ!」
「後、多分それを使わなかったらもっと早い段階で実用性のあるホムンクルスを作れてたと思う。正しい製造法にわざわざ異物を混入させてたんだから。創造主、自分で実験の難易度を上げてたんだよ」
「マジかぁぁー!!一番ショックだわそれ!十年無駄にしてたのが五年で済んだかもって話だろそれ、マジかぁー!
―――いや、ちょっと待って。それはつまり。そ、それじゃあつまり……」
マルクスは、あることに気がついた。
記憶を継続して、実験を繰り返してきたホムンクルス。ということは。
彼はハッとした様子でホムンクルスに身を寄せて、その肩を力強く掴んだ。
「君は!き、君はこれまで、実験が失敗し身体が崩壊する苦痛を、何度も経験してきたっていうのか!?そんな、あまりにも惨い。俺は君になんてことをしてしまったんだ!その苦しみは途方もないものだっただろう。ひとつの生命を三百回以上も無為に死なせてしまったなんて、俺にはどう償えばいいか……っ」
ホムンクルスを抱きかかえるマルクスの眼には、涙さえ浮かんできた。
が、そんな沈痛な彼の態度に対して、ホムンクルスは事もなげな様子だ。
「いや、これも思い違いのひとつか。そんなみっともない顔で泣いちゃダメだよ創造主」
「え?」
「ジブンが意思と呼べるようなものを得てから、最初に発達したのは聴覚だった。まず、培養液を伝う振動として、創造主の声を聞くことができるようになった。だから言葉をある程度理解することもできたんだ。けど、触覚、痛覚に当たる神経伝達系は結局今まで発達することがなかった。だから、例え身体が崩れて消え去ったとしても、別に痛くも痒くもなかったんだよね」
「そうなの?」
「それに、そもそもジブンはホムンクルスなんだよ?身体機能も思考能力も、人間のそれと似ているようで違う。正直言って、ヒトが苦痛に感じるような要素をジブンは実感できないんだよね。そういうわけだから、創造主が謝るような必要はこれっぽちもないんだ。だから安心してよ」
「あ、そっかぁ。そうなんだ。……へ~、そっかぁ」
マルクスの眼から、一瞬で涙が引いた。
散々自分の試作品に罪の意識を感じていながら、いざその必要がないと聞かされると途端に冷めてくる。彼にはそういうずる賢い部分があった。
あるいは彼が周りから“無能”扱いされて嫌われているのは、そういった理由もあるのかもしれない。要は自業自得だ。
「あ~、でもまぁ。それでも今まで散々君に迷惑をかけてきたのは確かだし、それについてはせめて謝っておかないとな。ごめん。スンマセンシタ」
「謝罪って、そんな無気力そうな顔でするものだったけ?」
「お気を悪くしたようでどうもスンマセンシタ」
とはいえ自らの作ったホムンクルスに対し、社交辞令的にでも謝罪の言葉を投げかけるような魔術師など、世の中にはほとんどいないのだが。