「女の子は黙って。」3
「やだよねえ。こんな家……。」
母は静かに笑っていた。
笑っていながらも、左目だけから一筋の涙を零していた。
猫が欠伸以外で涙を流すのを……つまり、母が泣くのを一度も見たことがない縁は最初呆気に取られていたが、自分の一言でそうさせてしまったのだという事を思い出して心の中がザワつくのを感じた。
「こんな親で、ほんと、ごめんねぇ。
幸せにできてなくて、ごめん、ね。」
無理に笑おうとする情けない親の姿。
縁の高ぶった気持ちがスーッと冷め、今すぐ数分前に戻りたいと願う。
荒れ狂っていた波が瞬時に揺れるのを忘れ、水面が微動だにしない鏡の様に平らになったかのような静寂が全身を包んだ。
諦めに近い感覚、とも言えるかもしれない。
親への文句や中傷等、口に出してもどうしようもない。
自分の出生、貧乏、悪環境。
親すら後悔している過去のことに今更手を加えることが不可能だという事実を突きつけられたのだ。
今から、急速に這い上がるには無力な子供であることを思い知らされる。
「縁さま……?」
その変化にシオンは気付いたのだろう、心配そうに縁へ手を伸ばした。
「あ、ああ、わた、
わたし、ちょっと」
とだけ言うと、縁は二人から目を逸らし、よろよろと肩を落としながら数歩も掛からない狭い食卓から玄関へ向い、靴を履くのだった。
「お出掛け、ですか?」
「ん。ちょっと、空気、吸ってくる」
今は夜、と言っても時刻は六時半で、そこまで遅くない。
シオンも咎めることなくハンガーからコートを取り出して、いつものように着せる手伝いをした。
「桃のことは僕が落ち着かせますから、あまり、遅くならないように。」
「解った。」
桃、というのが呪いで猫になってしまった母親の名前である。
縁が生まれた時から色々と尽くしてくれるシオンが背中に掛けてくれた声。
なにか言うべきかと心はヒリついたが、振り向きもせず、ガラガラと激しい音を立てて軋みながら開く粗末な引き戸を縁は潜った。
その瞬間
――ボン!と小さな爆発が縁の頭上で発生する。
この家の変わった習慣の一つ、シオンの魔術によって縁が外へ出る際にはラベンダー色の煙と共に白緑色の猫耳が二つ、頭に生えることになっているのだった。
なぜなら、ここはそういう星だからである。
ザイグと呼ばれるこの星の住民達には、地球でいう動物――それは哺乳類に限らず、鳥や、魚の一部分をヒトにくっ付けた特徴が外見上の何処かしらに現れるのだ。
つまり、それを持たないシオンも、縁も、その母の桃も、この星へ逃げてきた異星人なのである。




