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白金のハイエルフ  作者: 味醂
凱旋
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湯で温まるもの

 湯で温まるもの




 ――どうしてこうなったかしら?


 湯船の中で顔の半分ほどまで浸かりながら、私はブクブクと声にならない疑問を投げかけていた。

 長い髪はタオルを芯に巻き上げられて、頭の上で団子にされており、露出した首回りには今でも洗い残しがないかとアリシアと名乗ったメイドの手が這いまわっている。


 隙あらば逃げ出そうとする私を警戒してか、左右には妹ちゃんとそのメイド、リーリカが挟み込むように一緒に湯船に浸かっており、今にも湯船の底へと沈みそうな私などお構いなしに嵌め込まれた大きな硝子の先に映る大海原を指差して、何やら興奮気味に話しているのだった。


「さあ、これで隅々まで綺麗になりましたね」


 その一言で、ようやく自由になれるかと身を起こし、おもむろに湯船から這い出そうとすれば、両腕をそれぞれ妹ちゃんとリーリカに捕まれて、上からは両肩をアリシアに抑え込まれ、再び肩まで湯に押し込まれた。


「駄目よマリス、もっときちんとあたたまらないと」


「もう充分なのよ……私はそろそろ上がるかしら」


「さきほど入ったばかりじゃないですか。海上は冷えますのでエリス様の言う通りにしっかりとあたたまってください。そうですね、あと三百は数えてもらわないと」


 袖を上げただけで服を着たまま世話をするアリシアに告げられるとんでもない時間に慄きながら私は慌てて声を張り上げて抗議する。


「そんなのいちいち数えてられないかしら、大体お前たち頻繁に入浴しすぎなのよ」


「だって、マリスったら結局昨日も一昨日もお風呂入らなかったじゃない」


 口を尖らせる妹ちゃんは少しおかしいのではないだろうか?

 一体この世界のどこに毎日入浴する者がいるというのだろうか。

 そもそも入浴の習慣すらない者だって多いというのにだ。


「バンパイアというものも高貴な種族だと聞いたことがあります。まさかそんなバンパイアが、ましてエリス様のお傍に居るものが、垢にまみれているなんてエリス様の風評に悪評をもたらしかねませんし、なにより臭いますよ?」


 そうだろうか?

 リーリカの援護射撃を真に受けるわけではないのだが、私は自分の腕に鼻を近づけ匂いを確認する。


「いや、流石に今は綺麗になってるわよ? むしろ薔薇の香りがするくらいでしょ? そういう風に作った泡なんだから」


 なるほど言われてみれば浴室に立ち込める湯気は薔薇の香りで包まれている。

 脂が()えたような妙な匂いがするわけでもなく、純粋に薔薇の香りのみだった。


「一体どうやって作っているのかしらあの泡は?」


「あー、あれね。別に変なものじゃないわ。私の魔法だから」


 ――充分変なものだった。


 そう、今回に限らないが妹ちゃんは時折妙な魔法を使う事が有る。

 そしてそのどれもが聞いたこともないような魔法ばかりなのだ。

 なんといったって、この湯船に満たされている湯も、蛇口をひねれば出てくる水も、元をたどれば妹ちゃんが魔法を用いて具現化した水だというし、さらにそれが飲めるというのだからとんでもない事だ。

 事実この船で提供されている真水だって、同じように妹ちゃんが魔法により具現化した水だというのだから、あきれてものも言えないとはこのことだ。


 確かに、莫大な水を出すことの出来る魔法使いはいるだろう。

 しかし大昔、渇きに堪えかねてその魔法の水を飲用した者達がいたのだが、しっかりと水当たりを起こしたと聞く。

 まあ、魔法で出した水が飲用に使えないというのはそれ以前からも言われていた事ではあったが、たまたま目撃者……というか体験者の多かったその事件の顛末が、更にその事を裏付けたのだった。


 しかし実際に妹ちゃんの具現化した水を用いて、喉を潤したことも、煮炊きに使ったこともあるわけで、特段それで調子が悪くなったことが無いのも事実。

 なによりそこらの水よりずっと美味しく、鮮度が良い位だった。


 妹ちゃんによれば、味や温度、風味は自在にコントロールできるそうで、それが既に一般にしられている魔法と言う理と大きく異なったものであることに、妹ちゃんは気が付いているのだろうか?


 そんな事をぼんやりと考えているうちにふと妹ちゃんの声が耳に入ってきた。


「――六百。さあ、もう充分よね。マリスもなんやかんや言って、全然平気そうだったじゃない」


 考えに耽っているうちに、どうやらとっくに過ぎていたらしい時間と、しっかりと温まった身体に唖然とする。

 先にリーリカに手を引かれ、湯船から上がる妹ちゃんは、そのまま任せるように身体の水分を拭われている。


「さあ、マリス様は私が拭きましょう」


 アリシアはそう言うと私の手を取り湯船から導き出して、優しくタオルで包み込むと押さえつけるように水気を拭っていった。

 何か言ってやろうと思ったものの、その機を計り損ねているうちにどうでもよくなって――まあ、ごまかされていてやるのよ。そんな気持ちになるのだった。



 ◇ ◇ ◇



 バスローブと言うには些か薄い、それでも紛れもないバスローブに包まれて、ドレッサーの前に座った私の髪を、リーリカが丁寧に手入れしてくれている。

 少しばかり小さい鏡の中には、おとなしく世話をされている白い吸血鬼の姿が映っており、その様子にアリシアさんは満足そうに "お世話熱" を上げてゆく。


 お茶会がお開きになった時、早々に立ち去ろうとしたマリスをアリシアさんは見逃さなかった。

 彼女は意味ありげな表情でこちらを窺い「エリス様、御一緒でも良いですか?」と大いに省略された言葉を発すると、マリスの細い腕を掴んだのだ。


「丁度良い湯加減となっている筈ですこのまま汗を流していかれると良いでしょう」


 にこやかな表情に涼し気な声のままそう告げたアリシアさんからマリスが逃げ出す前に、あっという間に反対側の腕をリーリカによって掴まれたマリスの真紅の瞳には、驚きの色が強く滲み出ていた。

 何かと言い訳をしながらなんとか入浴を回避しようとするマリスも、その抵抗空しく一枚、二枚……と衣服を剥ぎ取られ、あっという間に裸にされて浴室の方へと押し込まれてしまったのだ。


 そんなマリスを見送りながら私も着ている衣服を脱ぎ去ると、彼女達の後を追い、入れ替わりで服を脱ぎに一度退室したリーリカが再び戻った所で魔法の泡――マジックソープでマリスを包んだのだった。

 悲鳴のように罵声を浴びせるマリスも口で言う程嫌がっている訳ではないのだ。なにせ彼女が本当に逃げようと思うなら、優れた身体能力で一瞬のうちに逃げているだろうから。

 借り物の身体ですら、リーリカをもってしても追いきれない動きができたマリスは、今では本来の吸血鬼の身体を取り戻しているのだ。

 それが何を意味するのか分からない者がいる訳もなく、口以外では大人しく従っているマリスの複雑な心境には今後もゆっくりと時間をかけて触れていくしかないのだろうと思うのだった。


 鏡の中のマリスは瞑目し、何を思うのか?

 イリスと過ごしたかつての教会での暮らしに重ねるのか?

 それは彼女のみが知るところなのだろうし、それでいいと私は思ったのだった。


「マリスが支払った代償(じかん)はあまりに大きいわね」


「だからエリス様はあの者を助けたいのですか?」


「どうかしら? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。でもね? 永遠にも等しい冷たい時の中で、誰にも手を差し伸べられることも無く歩いてきた彼女ですもの。そろそろ温かい()を歩んだって、バチは当たらないと思うのよ」


 丁寧に髪を拭き、櫛を入れては梳かす心地よい時間がゆっくりと流れていく。

 リーリカの手を通して流れ込んでくる愛しみと同じものを、鏡の中の彼女も感じていることを願いながら、スライド式の目隠しを開ければ静かに夕日は水平線の彼方へと沈んでゆくのだった。



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