待ち人の正体
待ち人の正体
「お待ちしておりましたエリス様」
比較的乾いた音を軽く立てながらゆっくりと開かれたドアの先、から落ち着いた透き通るが向けられる。私達を出迎えたのは、姿勢よく頭を垂れる女性であり、私達が良く知る人物だった。
「あ、アリシアさん!?」
「名を覚えていただき光栄でございますわ」
「そんな、だって一緒に旅だってした仲じゃない」
この言葉にリーリカが少し機嫌を損ねたような気配を発するものの、私は気が付かないフリをしてアリシアさんの次の言葉を待った。
「そうですが……ちっとも王都に居つかずに、やっと拝顔できたと思った矢先にそそくさと出立してしまったので、てっきりわたしくの事などお忘れだったのではないかと思いまして」
彼女にしては棘のある物言いに、内心ドギマギしながらも
「いや、確かにすぐに発ってしまったけれど、色々と急ぎの用があったわけで……ねぇ? リーリカ」
「そうですねぇ、急ぎだったようなそうでもなかったような……少なくともここ五日間ほどは怠惰な時間を過ごしましたでしょうか」
「ちょ、リーリカ!?」
思わぬリーリカの謀反に私が取り乱していれば、アリシアさんかリーリカか、どちらからともなく笑い出し、軽く揶揄われていただけだという事に気が付いた。
「もうっふたりとも!」
一応怒ってみせるものの、リーリカがそのような行動に出たという事は、大変喜ばしい事でもあり、また少し……彼女との距離が縮まったような気がするのだった。
「まあ、おふざけはこの位にして、アリシアさんはどうしてこちらに?」
「あら、わたくしはろくに帰ってこない主を、使われることのない部屋で待ちながら過ごすよりは、自分で会いに行けば良いと思っただけですよ? 幸いにも我が国王は理解のあるお方。わたくしがほんの少しだけ進言いたしましたところ、こうして早々にわたくしがお役に立てる場をお与えくださいました」
「話の腰を折るようで悪いのだけど、アリシアさん、ここって何なの? 船長に聞いても行ってみればわかると言われて、この部屋が何のための部屋なのかすら知らないのだけど」
「では早速ご案内いたしましょう。さあ、お二方ともこちらへどうぞ」
促されるままに部屋に入ると、そこは7畳くらいの広さの部屋に、四つのドアがある部屋だった。
私達が入ってきたドアを閉めると、丁度左右対称に同じく私の紋章の刻まれたドアがあり、そのドアを開けると階段が下へと続いているようだ。
最初に入ってきたドアの正面にあったドアをあけるとそこはトイレになっており、先程は意識が向かなかったけれど、小さいながらも洗面台兼化粧台が据え付けられ、小さな棚も備わっている。
そして階段へと続くドアに対面するドアを開けた時、私は思わず感嘆の声を口にすることになった。
「うそでしょ!? 凄い!」
「ふふ、お気に召していただけたようですね」
「これは……国王も思い切った事をしましたね。しかしこれで航海の間も快適に過ごせそうです」
私達の目に飛び込んできたもの。それは――お湯こそ張られていないものの、海を望むことのできる湯殿だったのだ。
「お喜びのところ水を差すようで恐縮なのですが、一点だけご注意がありまして……」
少し申し訳なさそうにそう話すアリシアさんに「どうして?」と聞くと
「ご存知の通り海の上では真水は貴重品となりますので、給水や給湯は、エリス様に頼らなければなりません」
正直なところ、なんてことのない物だった――少なくとも私には。
湯殿の上に設置された給水タンクに水やお湯を魔法で用意しておけば、航海中でものんびりと入浴に興じることが出来るのだ。
それが堪能できるというならば、水やお湯の一トンや二トン精製するのはわけもなし、である。
「大丈夫よ、それくらい。馬車でもそうしていたし、大きければ溢れてしまうことをあまり考えないで済む分、楽な位だわ」
自信満々のその言葉に、驚くアリシアさんを見ながら、リーリカは
「エリスさまも大概ズレてまいりましたが、流石です」
なんて言っているけれど、とりあえずという事で目の前の湯舟に少しだけ熱めにイメージしたお湯で満たすと、二人して感心したように賛辞を呈するのだった。
勿論その後給水タンクに案内してもらった私は、一方は熱々のお湯で満たし、もう一方には冷水をみたしておいたのだ。
やったね、これで今夜もお風呂に入れるわ。
「そういえばこの階段の下は?」
「ではそちらから戻りましょう」
アリシアさんを先頭に狭い階段を下りてゆくと――下り階段の先にもやはり私の紋章が描かれた壁があり、なんとよく見ればそこは、私に割り当てられた船室の、すぐ先の曲がり角に通じていたのだった。
「ちっとも気が付かなかったわ。ねえ? リーリカ」
「そうですね。奥にいく用事が無かったですから」
「わたくしは航海の間、エリス様達のお隣の部屋に詰めておりますので、何かの際にはお申し付けください」
「そうだ、だったら早速みんなにも紹介しなきゃ。アリシアさんはお茶の準備を、リーリカはみんなを集めてくれる?」
「「かしこまりました」」
頷いて早速行動に掛かる二人を見送りながら、私は我に返ると、ふと一つの事が気になりだした。
それにしても……アリシアさんの進言って一体!?
遠く離れたリオンの王城では一際大きなくしゃみが響き渡ったそうだけど、当然私たちがそれを知ることはないのだった。
◇ ◇ ◇
「ノーザ国、リオンの王城で客室付き給仕の主任を務めさせていただいておりますアリシア・フェルマータです。お見知りおきを」
流石に狭い個室の中で六人は無理という事で、結局湯殿の脱衣所に集まった一同は壁に仕込まれていた跳ね上げテーブルの周りに、同じくその中に収納されていた折り畳み式のスツールを取り出して座っていた。
アリシアさんの紹介は私やリーリカは言うまでも無く、サラも会ったことがあるので実のところはルーシアとマリスの為である。
「ルーシア・ラスティ・ブルーノートです。ブランドル家でご厄介になっています。よろしくお願いしますね」
立ち上がり丁寧に頭を下げると頭角の脇から薄亜麻色の髪がさらりとこぼれる。
先日までは黒いドレスに身を包んでいたルーシアは今ではクリーム色というには黄色味の強い鳥ノ子色のブラウスに焦茶色のロングスカートをはき、藤色のショールを羽織っている為に印象が随分と柔らかく感じられる。
ドーゴで暇を持て余していた際に山百合が仕入れていたストックの中から購入したものであり、これもまたベロニカさんのデザインした洋服だった。
こんな服まで用意していたのかと内心山百合の抜け目のなさに感心しつつ、決して安くない――どころか一般の者から考えればとんでもなく高価なこの普段着の清算の為に、サラが金貨二枚以上を支払っているところを私は目撃してしまっていた。
もっともそこまで高価にしてしまっているのは、私の装備化のせいなので、色々と思う所はあるのだが。
どこか甘い香りを漂わせ再びスツールへと座ったのを見届けると、マリスは立ち上がることはせず名乗りを上げる。
「マリス・ラスティ・ブラッドノート。今更この名前を名乗る事になるとは思ってもみなかったけれど、そうね、厄災の緋眼と言えばわかりやすいかしら?」
妖しく光る真紅の瞳がアリシアさんを捉え、その視線に彼女が呑まれてしまうのではないかと危惧したけれど、どうもそうはならなかったようである。
一瞬表情こそ強張らせたものの、アリシアさんはマリスの全身を改めて上から下へと確認するとすぐに元の穏やかな顔になり
「これからはそちらの二つ名のほうを名乗る事も無くなりますね」
と、表情穏やかに言うのだった。
「……ふん。まあいいかしら」
何かに対して身構えていたのに、肩透かしを食らったような……そんな気配すら漂わせてマリスは小さく嘆息するとなにやら小声でブツブツと言いながらもおとなしく引き下がった。
いや、マリス……それ聞こえてるからね?
これだから妹ちゃんの周りは誰もかれも妙なのばかりなのかしら。と。
「それにしても神子様が三人も一同に会するなんて、お世話のし甲斐があるというものですわ」
「いや、アリシアさん、そこはもうあまり気にして頂かなくてもいいんだけど」
「何を仰いますかエリス様。こんな名誉なことはないのでございますよ? 少なくともわたくしたち最下級貴族の爵子では、本来であればお目にかかる事さえ出来ないのですから。それをこうして目の前に、さらにお世話させて頂く機会が来るなんて……ウフフフフ」
最後はどこか自分の世界へと旅立ってしまったアリシアさんを横目に、リーリカが皆に温かいお茶を注いでは配っていく。私はそのお茶を飲みながら、テーブルの下でなんとなくリーリカの腿の上で彼女の右手を探し出すと、その小さな手を握ったままこの奇妙な空間に耐えるのだった。
どうでもいい事だけど、リーリカは左手でも普通にお茶を飲めるのね。